黒姫の采配。
やっとガルナイのもう一つの真骨頂!
用兵戦、陣形戦だ!!
技術と気合いで成り立っていた均衡は、長くは持たなかった。
松栖流高校の長槍隊は、想像以上に精密だった。
一撃一撃が重い。だが、その重さを力任せに叩きつけてくるわけではない。無駄のない足運び、揃った呼吸、正確に研ぎ澄まされた軌道。そのすべてが噛み合い、瀬戸際側の防衛線をじわじわと削ってくる。
「っ……!」
前列の一人が、受けきれずに一歩下がった。
その小さな綻びを、松栖流は見逃さない。
すぐさま二本、三本と槍がそこへ打ち込まれる。
「右前、カバー!」
郁佳の声が飛ぶ。
後ろの歩兵が即座に半歩前へ出て、その穴を埋めた。
だが、押されている。明らかに、押され始めていた。
「郁ちゃん、右が少しきついわー」
結女の声は落ち着いている。
「わかってる!」
郁佳は短く返した。
「でも、まだ耐えられる!」
その返答自体は力強い。
けれど、防衛線の端に立つ郁佳の腕には、すでにじわりと疲労が滲み始めていた。受けて、流して、指示を飛ばし、また受ける。全部を一人で背負っているわけではない。だが、ラインの中心に立つ精神負荷は、どうしても郁佳へ集中する。
「前列、無理に返さなくていい! 押し返そうとしなくていいから、とにかく崩れないで!」
その声に応え、防衛線はなんとか持ちこたえる。
だが、それでも一歩、また一歩と、松栖流に押し込まれていった。
「うわぁ……やだなー、これ……」
後方で遥が顔をしかめる。
「地味に嫌。すごく嫌」
「真正面から相手取るのは、とてもやりにくい。
たぶん、郁ちゃんじゃなきゃとっくに突破されてる
」
瑠衣も真顔で同意した。
和音は防衛線を睨んだまま、低く言う。その声は、すでに魔王モードである。
「さすがだな。派手さはない。だが、この安定感は本当に厄介であるな」
「そうですねー」
結女は小さく頷く。
「だから、正面から付き合い続けるのはやめましょー」
その声音が、ほんの少しだけ冷えた。
郁佳が前を見たまま問う。
「合図、来る?」
「来るわよー」
結女は盤面全体を見ていた。
中央の圧。
押し込まれる速度。
右前列の消耗。
そして、松栖流側が“押せている”と感じ始めた空気。
まだ早い。
けれど、遅すぎてもいけない。
吉津と鳴葉、両翼の機動が噛み合う瞬間を見極める。
――ここだ。
「郁ちゃん」
「!」
結女が短く合図を切る。
——次の打ち下ろし、右だけ半歩引け——
「わかった」
短いやり取りだった。
だが、その意味を郁佳は即座に理解する。
次の瞬間。
松栖流の前列が、再び一斉に槍を振り下ろした。
その重い一撃に合わせ、郁佳の指示で右前列だけが、ほんの半歩だけ後退する。
たったそれだけの差だった。
だが、揃いすぎた攻撃というものは、狙いが外れた時にこそ綻ぶ。
右前列へ深く踏み込んだ松栖流の槍が、ほんのわずかに前へ流れた。
整いすぎた隊列の先端に、一瞬だけ、細い裂け目が生まれる。
結女が、にやりと笑う。
「今よー! 吉津さん、鳴葉さん!」
「承知しました!」
「了解だよーっ!」
それまで左右後方に控えていた尼剃根栖高校の歩兵部隊が、一斉に動いた。
左右から、鋭く食い込む。
「なっ――」
松栖流側が反応するより早く、吉津涼香が真面目そのものの顔で槍を繰り出した。
正確。真面目。無駄がない。忠犬系女子高生の忠誠心が、そのまま槍筋になったような一撃だった。
「御手洗お姉さまの未来のために!」
「動機が重い!」
後ろで遥が思わず突っ込む。
吉津の突撃に、松栖流左翼の意識が引かれる。
その半瞬の遅れを突いて、今度は逆サイド。松栖流高校の右翼側――つまり、瀬戸際高校の左翼後方で待機していた鳴葉楓の部隊が勢いよく飛び込んだ。
「うおおおっ! ご褒美のために頑張るよーっ!!」
こっちはこっちで動機がどうかしている。
だが、勢いは本物だった。
左右からの同時突撃に、松栖流の前列が初めて大きく揺らぐ。
「郁ちゃん、そこ!」
「了解!」
郁佳はすぐさま前線を押し戻した。
それまで“受けるだけ”だった防衛線が、ここで初めて前へ出る。
押されていた空気が、反転した。
「はるちゃん、右から突っ込んで!」
「待ってました!」
遥が獣みたいな笑みを浮かべて走り出す。
アマゾネス部隊が乱戦に持ち込み、集団から個の戦力戦へと強制的に移行させた戦場へ、遥率いる遊撃部隊が楔形陣形で整然と突撃する。
「遅いっ!」
短く吐き捨てるように言って、遥の一撃が松栖流前列の槍を弾き飛ばした。
そのまま崩れた胴へ、間髪入れず追撃。
一人、また一人と、松栖流の前列が離脱していく。
その場に止まらずに右から左へと突き抜け、突破した。
乱戦の中心部を、遥率いる遊撃部隊は敵を削り取って無傷のまま左翼後方へと戻っていく。
遥の剣は荒々しい。だが、軌道はぶれない。
突破力だけなら、この戦場でも頭ひとつ抜けていた。
「瑠衣ちゃんはまだ待ってー」
結女の声が飛ぶ。
「了解」
瑠衣はぴたりと止まった。
その目は、もっと奥――まだ動いていない波理日本隊の本陣を見ている。
「……松栖流だけじゃない」
ぽつりと呟く。
「うん、そうね」
結女も笑わなかった。いつもの間延びはない。
前線では、瀬戸際・尼剃根栖連合側が初めてはっきりと押し返しに転じていた。
右に裂け目を作り、左右から差し込み、中央を押し戻す。会議で積んだ理屈が、ここでようやく実戦の形になる。
実況席でも、声が一段上ずった。
「おおっと!? ここで瀬戸際側、最初の切り返しです!」
「右をあえて下げて誘いましたね! 松栖流の前列がほんのわずかに前へ流れた、その隙を尼剃根栖高校が左右から突いた! これは鮮やかです! しかもその乱戦の中央を牛島選手が突撃分断しました!」
だが、結女の表情はまだ冷静なままだった。
松栖流は崩し切れていない。
そして何より、その後ろにはまだ、ほとんど動いていない波理日本隊本陣がある。
その本陣で、波理日校長が嬉しそうに肩を震わせていた。
「んふふふふ❤ いいわねぇ。やっぱり日野結女ちゃん、あの光明ちゃんの娘だけあるわぁん❤」
大殿が目を細める。
「なるほど。あれが伝説の系譜というわけですのね」
「そういうことよぉん❤ 四姉妹なんて呼ばれてるあの子たち、みんなただ者じゃないのよぉん❤」
うっとりと笑い、けれど次の瞬間、その声音に湿った愉悦が混じる。
「……でも、この程度で前線が崩れる松栖流ではありませんわよねぇ❤」
「ええ、もちろんですわぁん❤」
「うふふ。そうよねぇ――だからこそ、次の一手が効くのよぉん❤」
前線では、ようやく最初の押し返しが成功した。
けれどそれは、あくまで最初の一手に過ぎない。
この大戦場は、まだ本当の牙を見せてはいなかった。
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