不穏は、すごいシルエットをしている
本編です。
瀬戸際高校校長室には、夜の静けさが満ちていた。
古びた書棚、使い込まれた机、薄く冷えた空気。窓の外には校庭の闇が広がり、昼間の喧騒が嘘のように消えている。そんな室内に、唐突に電話の呼び出し音が鳴り響いた。
机に向かっていた瀬戸際校長は、ゆっくりと受話器を取る。
「はい、こちら瀬戸際高校校長室……ああ、和音か。例の件で何か判ったのかね?」
受話器の向こうから返ってきたのは、重音和音の落ち着いた声だった。
『ええ。やはり、あの噂は本当のようです』
その一言だけで、校長の表情がわずかに引き締まる。
「そうか……潔岳戦から、はや半年。我が校へ立て続けに行われた宣戦布告は、やはり奴が裏から手を回していたというわけだな?」
『私のファンクラブの女子生徒たちからも複数、報告が届いておりますので、間違いはないかと』
「そうか……あの裏切り者めが……!」
低く唸るように言ってから、校長は眉間を揉んだ。
波理日高校校長。かつて同じ時代を戦った厄介な男――いや、男と呼んでいいのかさえ怪しい存在である。派手で、濃くて、筋肉で、やたらとテンションが高い。しかも今、その男が裏で妙な動きを見せている。
『我が校に宣戦布告をしてきた高校のほぼ全てに、“漢女神教”の崇拝者が現れているようです』
「漢女神教……きゃつが創設した新興宗教か」
『はい。筋肉を崇め、筋肉を奉り、古き良き漢らしさと大和撫子の両立を目指すというカルト集団です。波理日校長は、自らをご神体として精力的に活動しているようです』
数秒、沈黙が落ちた。
それから瀬戸際校長は、疲れた声で言った。
「……あいつ、アホなのか?」
『……おそらく、脳まで筋肉に侵されているのかと』
「……我が校には現れてはおらぬであろうな?」
『ええ、今のところは……』
「……ホントだよね?」
めっちゃ不安そうな声が漏れた。
『……本当です』
「ホントにホントにホントだよね?」
もう一度、念を押す。だってめっちゃ不安だから。
『……本当です』
ようやく安堵したように、校長は背もたれへもたれかかった。
「そうか、よかった……ごほん。で、松栖流高校についての情報は何か掴んでおるか?」
『はい。波理日校長が、松栖流高校の理事長と街で腕を組んで歩いていたという証言が取れました。おそらく松栖流は、波理日の傀儡となっているかと』
「ふむ……警戒を強めねばならぬな。引き続き監視を頼んだぞ」
『承知致しました』
通話が切れたあと、校長室は再び静寂に包まれた。
瀬戸際校長は受話器を置き、小さく息を吐く。
「ふぅ……後は、あの二人が結女くんの提言通り上手く潜り込めておればよいのだが……」
その呟きは、誰に届くでもなく部屋に溶けた。
不穏は、じわじわと広がっていた。
だが、その不穏がどれほどひどい形で顔を出すのかを、このとき校長はまだ知らない。
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