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新たなる敵影

 その日の夜、瀬戸際高校騎士部の部室は、いつになく賑やかだった。


 試合の熱気はまだ誰の身体にも残っている。汗の匂い、武器の手入れに使ったオイルの匂い、買い込んできたジュースとスナックの匂いが混ざり合い、いつもの部室は少しだけ“戦勝会場”らしくなっていた。


 机の上には紙コップと菓子袋が並び、壁際には乱雑に置かれたヘッドギアとバックパック。さっきまで校区を賭けて命懸け――に見える戦いをしていたとは思えない、どこか間の抜けた光景だった。


 そして、その中心にいるのはもちろん遥である。


「かんぱーい! みんな! お疲れ様! 初戦は大勝利ね!」


 紙コップを高々と掲げるその声に、部室のあちこちから応じる声が返った。


「「かんぱーい!!」」


 乾杯の音が重なる。中身はただの炭酸飲料やジュースだが、今この場ではそれで十分だった。


 遥は得意げに胸を張ったまま、続ける。


「しかも宇恵井高校チームがまるっと傘下に加わったから、うちのチームは大きく戦力を増したわ! 結女のおかげだね」


 その視線を受けて、結女はにっこりと微笑み、わざとらしく顎を上げた。


「ふふふー、感謝し給えー」


 言葉だけは妙に偉そうである。


 郁佳が紙コップを傾けながら、感心したように息をつく。


「一気に味方の数が倍以上の人数になったもんね……。普通、公式戦の勝利でそんな増え方する?」


「しないと思う」


 瑠衣が真顔で断言した。


「たぶん歴史に残るタイプの勝ち方」


 郁佳は苦笑した。

「やっぱそうだよね」と。


 今になって思い返しても、あの試合の終わり方は微妙だった。勝ったのは間違いない。間違いないのだが、胸を張って武勇伝にしていいのかどうかは少し悩む。


 そんな空気をよそに、重音はコップを片手に穏やかに言った。


「そうだね。上手く戦術に取り入れられたらチームをかなり強化できると思うよ。宇恵井のファランクスは厄介だったし、あれが味方に回るなら、選択肢が増える」


 その言葉に、瑠衣が小さく頷く。


「そう。宇恵井の密集隊形は確かにやりにくかった。おそらくあと二分でも退却が遅れていたら、私の部隊は包囲されて全滅していた可能性が高い。味方になるのはとても有意」


 遥はそこで、ふと表情を引き締めた。

 勝利の余韻が薄れ、代わりに次の現実が頭をもたげる。


「ところで重音先輩、潔岳に関しては何か新しい情報はないの?」


 部室の空気が、少しだけ静まった。


 重音は手元のコップを見下ろしてから答える。


「今のところ、これといった情報は入ってきていないな。一応、宇恵井のファランクスを僕たちが完封したから、もしかしたら別の戦術を使ってくる可能性はあるけど、確証はないね」


「別の戦術?」


 遥が首を傾げる。


「たとえば?」


 重音は少し考えてから、落ち着いた声で説明を始めた。


「可能性として考えられるのは、全員二人騎馬での突進だね。そうやって僕たちの歩兵戦術を力技で破ってくるか、もしくは――変形三人騎馬での攻勢も考えられる」


「変形三人騎馬?」


「通常の三人騎馬って、前の一人と後ろの二人で騎士役を支えるだろ?」


 重音は近くにいた部員を呼び、簡単に三人騎馬の形を作らせた。


「組み方はいくつかあるけど、基本は同じだ。騎士の体重を前だけじゃなく、後ろにも逃がして支える。だから安定するし、長く維持できる」


「へえ……」


 遥が感心したように身を乗り出す。


「でも変形三人騎馬は逆なんだ。前に二人、後ろに一人。前の二人は内側の腕で騎士を支えて、外側の手に武器を持つ」


 遥の眉がぴくりと動いた。


「……それって馬役が武器を持つってこと? ルール的に大丈夫なの?」


「ルール上は問題ない。普通はやらないけどね」


「なんで?」


「支持、つまり騎士役を支える手が減るからだよ」


 重音はそう言って、変形の形を作らせる。


「普通の三人騎馬は、騎士の荷重を後ろにも分散できる。でも変形三人騎馬は、それがしにくい。後ろの一人と、前の二人の内側の腕だけで支えるしかないから、姿勢が不安定になるし、長くはもたない。横から揺さぶられるのにも弱い」


「……かなり無理してるわね」


「してる。だから正面制圧に特化した型なんだ」


 一拍置いて、重音は前の二人に剣を持たせた。さらに自分も武器を構える。


「でも、その代わり――」


 目配せをした。三人騎馬の前面に、武器が並ぶ。前方中心に向けて四本の武器が振られた。


「騎士役が二刀流なら、前から同時に四本の攻撃線を作れるんだ」


「「それなんてラスボス!?」」


 遥と郁佳の声が綺麗に揃った。


 重音が思わず吹き出す。


「はは、まあ気持ちは分かるよ。でも見た目ほど万能じゃない。前面火力は高いけど、そのぶん機動力も持久力も落ちる。扱えるなら強い。けど、使いこなすのはかなり難しい」


 結女が小さく頷く。


「なるほどー。前に強い代わりに、横揺れと持久力を捨てた型ってことねー」


「そういうこと」


「まあ……きっちり対策は練っておいた方がいいだろうね」


「そりゃそうね」


 遥は一口ジュースを飲み、それからぐっと拳を握った。


「次も勝つんだから」


 その一言に、瑠衣の目がほんの少しだけ細くなる。


「私は負けない……」


 郁佳も、静かにコップを置いた。


「そうだね。僕も……負けるのは好きじゃない」


 小中と男子に混じって剣道に勤しんでいた郁佳だ。実はもしかしたら四人の中で1番負けず嫌いなのかもしれない。

 結女は、いつも通りの調子でふんわりと微笑む。その姿が妙に頼もしかった。


 四人の中心にあるものは、それぞれ少しずつ違う。

 遥は勢いで前に出る。

 郁佳は現実を見て支える。

 瑠衣は静かに切り裂く。

 結女は盤面そのものを組み替える。


 だからたぶん、このチームは強いのだ。


 勝利の宴はそのあともしばらく続いた。

 瀬戸際の男子部員たちは女子が増えた現実にまだふわふわしていて、誰かがポテチをこぼし、誰かが紙コップを倒し、遥が笑い、結女が適当に煽り、郁佳が突っ込み、瑠衣が真顔で食べ続ける。


 そんな騒がしさの中で、重音は一歩引いた場所から四人を見ていた。


 ――道場破りに来た女の子たち。

 最初はそうだった。


 それが今は、もう違う。


 このチームの中心だ。

 瀬戸際高校騎士部の、新しい核だった。


 重音はそっとコップを傾けた。


 勝利の味は甘い。

 だが、これがただの始まりに過ぎないことも、彼は分かっていた。


 空になったコップを静かに置き、重音は席を立つ。

 勝利の宴はまだ続いていたが、彼には校長に伝えておくべきことがあった。

 宴の熱気を背に、向かった先は校長室だった。


 ◇


 フクロウの鳴き声が、夜の校舎の静けさに溶けていた。

 さっきまでの喧騒(けんそう)が嘘のように、窓の外からは風の気配だけが忍び込んでくる。



 重音は校長室の扉を三度ノックした。


「入り給え」


「夜分に失礼します」


 扉を開けて入ると、瀬戸際校長が机の向こうで目を上げた。

 書類の山に囲まれたその姿は、いかにも今夜の勝利に安堵する暇もない管理職といった風情である。


「和音か。先日の宇恵井高校との対戦、観させてもらったぞ。素晴らしい戦いであったな。ともあれ、まずは勝利の乾杯を」


 そう言って差し出されたグラスを見て、重音はわずかに眉を上げる。


「ありがとうございます。でもいいんですか? 学生にアルコールなど勧めて」


 瀬戸際校長は鼻で笑った。


「心配せずとも、お前のそれはただのジンジャエールだ」


「……」


 重音は一瞬だけ黙り、それから小さく肩をすくめた。

 校長はグラスを(かたむ)けてから、懐かしむように、思い出したように問う。


「ところで音色は、お母さんは元気か?」


 重音は一口だけ飲み、静かに答えた。


「ええ、元気ですよ。血の繋がりのない娘の学費まで出して頂いて感謝していると、伝言を預かって来ました。ですが寂しがっています。時々でいいので会いに行ってあげてください」


 瀬戸際校長は、わずかに目を伏せた。


「ああ、約束する。お前が卒業した後に必ず会いに行くとしよう。今は立場があるのでな……」


 そしてすぐに話題を切り替えるように、口元を緩めた。


「ところで騎士部に新しく入った女子生徒の四人、あれらは何者だ? 我が校にとんでもない逸材がいたものだな」


 その問いには、重音も自然と笑みを返した。


「そうですね。道場破りに来て、そのまま乗っ取られてしまいました」


 照れたように困ったように笑う重音。


「ふふ、ですが結果的に良かったと思います。遥さんの勘の良さと速さ、なにより思い切りの良さはズバ抜けていますし、結女さんの戦術眼は神懸かっています。それに瑠衣さんの戦闘能力は目を疑うほど。郁佳さんの守りの堅実さは、高校生の域を遥かに超えていますね」


「ふむ……」


 瀬戸際校長は感慨深げに頷いた。


「このタイミングで彼女らが我が校にいたのは、神の思し召しかも知れぬな」


「そうかもしれません」


「それにしても、ふむ……」


 校長は少しだけ遠くを見る目をした。


「私の学生時代にも、四騎士(フォーナイツ)と言われた名選手がいたが、彼らを彷彿とさせる働きであった」


 重音が興味を惹かれたように聞き返す。


「フォーナイツ……伝説の四騎士、ですか」


 校長は小さく笑った。


「ふふ。舞うように敵を葬り、死の舞姫と呼ばれた山ノ井瑠香(やまのいるか)。現代の諸葛亮と畏れられた日野光明(ひのみつあき)。鉄壁のミュラーこと守りの天才、長谷部(はせべ)みうら。そして雷の軍神と称えられた榊遥子(さかきはるこ)……。皆、素晴らしい選手だった」


 その名前を聞いた瞬間、重音の胸の奥にひっかかるものが生まれる。


「遥子、瑠香、日野、山ノ井……まさか……ね」


「ん?」


「いえ、なんでも」


 瀬戸際校長はそこで、ふっと表情を改めた。


「それよりも、わざわざここまで足を運んだ要件は何だね?」


「あ、はい。実はその……これこれこういうことでして」


 重音が声を落として説明し始める。

 その内容を聞くにつれ、校長の目がみるみる見開かれていった。

 さっきまでの重厚さが猫のように急いで隠れる。


「……え? ちょっ……! それどういうこと?? そんなんおっけーなの?」


 その時だった。


 机の上の電話が鳴った。

 隠れていた重厚さの猫が、ひょいともう一度顔を出す。「呼んだ?」


 校長室の空気が、一瞬で変わる。


 瀬戸際校長は重音に軽く手を上げて制し、受話器へと手を伸ばした。軽く咳払い。


「……すまんが、少し待っていてくれ」


 重音に詫びを入れてから、瀬戸際校長はゆっくりと受話器を取る。


「……はい。瀬戸際高校、校長室」


 相手の声を聞いた瞬間、表情がわずかに硬くなった。


「……またお前か。何の用だ、潔岳校長」


 受話器の向こうから、女王のように艶やかな笑いがこぼれる。


「こんばんは、瀬戸際校長。そう邪険になさらないでくださいまし。今日はご挨拶ですわ」


「挨拶だと?」


「ええ。ルールに則って、正式に起こした宣戦布告の、ですね」


 その一言で、校長室の空気が冷えた。


 瀬戸際校長の指が、受話器を握る力を強める。


 やはり来る。

 そう思っていた。

 だが、分かっていても実際に告げられれば重みは違う。


 潔岳校長の声は相変わらず甘い。けれどその甘さは、毒の塊だった。


「次は、私たちがあなた方を頂きますわ。勢いに乗っていらっしゃるようですけれど……どこまで通用するのかしらね?」


 瀬戸際校長は鼻で笑う。


「ふん。随分な自信だな」


「当然ですわ。こちらにも、負けるわけにはいかない理由がありますもの」


 それはただの挑発ではなかった。

 執着だった。

 過去から引きずってきた、ねじれた感情の色が滲んでいた。


 電話の向こうで、潔岳校長がくすりと笑う。


「まあ、ともかく。若い子たちに負担をかけ過ぎるのも良くありませんし……いっそ次で全部決めてしまいませんこと?」


 瀬戸際校長の目が細くなる。


「何を企んでいる」


「簡単なお話ですわ。次の試合で――お互いの全校区を賭けるのはいかがです?」


 静寂。


 窓の外の風の音だけが、遠く微かに聞こえた。


 それは、ただの一戦ではない。

 負ければ終わり。

 学校そのものの消滅を意味する。


 瀬戸際校長はしばらく黙ったまま、暗い窓ガラスに映る自分の顔を見た。


 勝ったばかりだというのに、休ませる気など最初からないらしい。


「……随分と勝手な提案だな」


「うふふ。そうかしら? 断るなら、それでもよろしくてよ? その場合はこちら、毎週のように宣戦布告を重ねるだけですもの」 


 瀬戸際校長の眉間に(しわ)が寄る。

 宇恵井を手中に収めたとはいえ、選手層ではまだ潔岳に遠く及ばない。

 波状攻撃を仕掛けられれば、どこかで必ず負傷者が出る。

 ——生徒を守るのは、教育者としての最低限の矜持だ。譲れない。


「脅しか」


「現実的な提案ですわ」


 その返しはあまりにも即答だった。


 校長はゆっくりと目を閉じる。

 勝利の余韻に浸る時間など、もう終わった。


 戦いは続く。

 むしろ、ここからが本番なのだ。

このあと閑話を数話挟んで本編に戻ります。


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