第53話 ヴォルダの圧力
城の空気が変わった。
廊下を歩く使用人の足が速い。衛兵の数が増えた。書類を運ぶ人間が倍になった。
前世で、会社の経営危機が起きた時に似た空気だった。誰もが何かを抱えて動いていて、余分な会話がない。目が前だけを向いている。
「ミレイ、外に兵が集まっているという話は本当ですか」
「……本当みたいです。城下の人たちも、心配していて」
私は部屋の窓から外を見た。城壁の向こうに、城下の屋根が見える。そこに住んでいる人たちのことを考えた。
* * *
重臣会議が開かれたことはカルルから聞いた。
ヴォルダ公国が約二千の兵を国境付近に集め始めた。さらに、外交的な圧力として「辺境の農産物の優先供給協定を結べ」という要求が届いていた。
「恫喝です」とカルルが私に説明した。「要求を呑めば次もある。侯爵はそう判断しています」
「軍の備えを整えるということですか」
「はい。城の守備体制も今日から変わります」
カルルが出ていった。私は部屋で少し考えた。
私にできることがあるだろうか。
でも——今は邪魔になりたくない。エドヴァルドは軍事の専門家で、重臣たちがいる。私は内務管理を任されているが、軍事のことは分からない。
出過ぎない。
その考えが来て、でも同時に別の考えも来た。
——物資の備蓄は、どれくらいあるか。
* * *
夜、私は一人で物資台帳を確認した。
食糧倉の現在の在庫。薬品庫の備蓄。燃料の量。工具の数。
冬の兵站計算で使った数字が頭にある。あれは春の訓練期間のための数字だった。もし守備体制が強化されて、兵の数が増えれば、計算が変わる。輸送ルートが制限されれば、在庫の最低水準も変わる。
「今の私には分からない」と思いながら、でも手が動いていた。
数字を書き出した。現在の在庫と、変動のある可能性のある品目を整理した。まだ使えるかどうかは分からないが、整理しておけばいつか役に立つかもしれない。
「夫人、遅くまで——」
ミレイが顔を出した。
「もう少しで終わります」
「……侯爵様みたいなことを言いますね」とミレイが言った。苦笑いだった。
「どういう意味ですか」
「忙しい時に「もう少しで終わる」って言うのが似てるな、と。二人とも」
私は少し手を止めた。「似ている」という言葉が、予想外に胸に来た。
「そういうわけではありません」
「そうですかね」とミレイが言って、「早く休んでくださいね」と扉を閉めた。
* * *
重臣会議では、一つの問題が浮上していた。
「侯爵、正直申し上げると、守備体制を強化した場合の兵站の計算が複雑になりすぎています」とカルルが言った。「食糧・薬品・物資の補給計算を、現状の我々の力だけで追うのは」
「時間がかかる、か」
「はい。特に輸送ルートが変わった場合の在庫の最低水準の計算が」
エドヴァルドが少し考えた。
ふと、思い浮かんだ顔があった。




