第46話 毎年、死んでいた
翌日の夕方、エドヴァルドが私の仕事部屋に来た。
珍しいことだった。普段は執務棟で話すか、廊下ですれ違う形が多い。
「少し話がある」
「どうぞ」
エドヴァルドが部屋に入った。私は立ち上がった。椅子を勧めたが、エドヴァルドは立ったまま窓の外を見た。
「領民から感謝の品が届いた件、カルルから聞いた」
「はい」
「毎年冬に死者が出ていた……私は、把握していなかった」
声が、少し低かった。
「侯爵が知らなくて当然です」と私は言った。「問題が記録されていなければ、見えませんから。記録されていなかったことは、私が来る前には報告の仕組みがなかったから——それは誰の責任でもありません」
「それでは済まない」
エドヴァルドが言った。「領民の話だ」
「はい」
「あなたが来るまで、見えていなかった問題が、どれだけあったか」
私は少し考えてから答えた。「……今は見えています。それで十分かと思います」
「十分ではない」
「過去の問題を悔やむより」と私は言った。「今の記録を続けることの方が、領民にとって意味があると思います」
エドヴァルドがしばらく黙った。窓の外の、冬の夕暮れを見ていた。
「そうだな」
それから向き直った。
「ありがとう」
私の手が止まった。
「ありがとう」という言葉が、部屋の中に落ちた。エドヴァルドが言った。私に向けて。
「……いえ、私は」
言いかけて、止まった。
「いえ、私は」と言ってしまえば、また否定になる。受け取らないことになる。
ミレイが言っていた。受け取ることです、と。「ありがとうございます」と言うことです、と。
「……いただきます」
そう言った。
エドヴァルドが少し目を細めた。
「いただきます?」
「……ありがとうございます、の代わりに言ってしまいました。失礼しました」
エドヴァルドが「……そうか」と言った。声に、何かが混じっていた気がした。
「そういえば」と私は続けた。「ガストン様が昨日来てくださいました」
「何の用で」
「「お見事でした」と言ってくださいました」
エドヴァルドが少し間を置いた。「……そうか」
「驚きました」
「ガストンは正直な男だ。認めると決めれば、ちゃんと言う」
「そうなのだと分かりました」
* * *
エドヴァルドが出ていってから、私はしばらく部屋の中にいた。
「ありがとう」という言葉を受け取った。
前世では、一度もなかった言葉だ。「よくやった」も「助かった」もなかったが、「ありがとう」は特に。誰かに感謝されるより、また次の仕事を渡される方が常だった。
それが今、「ありがとう」をいただいた。
手が止まっていたのに気づいて、帳簿に向き直った。
* * *
翌朝、ミレイが言った。
「夫人、最近侯爵様とよく話してますよね」
「……そうですか」
「倉庫の確認の後も。昨夕も。ちょくちょく」
私は少し、考えた。
確かに、最近は執務棟に書類を届ける時間以外にも話すことがある。共同作業が増えたからだ。兵站の計算、使用人の作業分担、帳簿の確認——それぞれに話し合う場面がある。
「……そうかもしれません」
「嬉しそうですよ、夫人」
「そうですか」
そう答えながら、少し笑った。
自然に、笑っていた。
ミレイが「あっ」という顔をして、何か言おうとした。でも私は帳簿を開いた。




