第43話 ガストンの言葉
翌日、使用人たちへの業務指示が行われている部屋の前を、私は通り過ぎようとした。
声が聞こえた。
「そういう出し方では分からない。夫人が作ったあの記録帳のように、品目ごとに整理してから提出しろ」
ガストンの声だった。
私は足を止めた。
「……は、はい」と若い使用人の声がした。
「分かったな。次からはそうしろ」
それだけだった。ガストンが話を次の項目に移した。
私は通り過ぎた。気づかれないうちに。
* * *
廊下の角を曲がってから、少し立ち止まった。
ガストンが、私の記録帳を基準にした。
「あの記録帳のように」——それは薬品庫の補充計画表のことだろう。品目ごとに整理して、補充日と在庫水準と担当者を分けて記載している、あの様式のことだろう。
驚きが、来た。
ガストンは、最初から私の仕事を阻んでいた。帳簿室を開かせなかった。書類の提出を遅らせた。あれは敵意だと思っていた。
でも——今のは、そうではない。
変化を嫌う人だったのかもしれない。「侯爵夫人が内務に口を出す」という変化を。でも実績が積み重なって、正式委任が出て、それでも残っていた私を——「変化後の状態」として受け入れた。
変化を嫌う人でも、変化を認めることができる人だった。
敵、ではなかったのかもしれない。最初から。
* * *
午後に戻ると、ミレイが待ちかねたように言った。
「夫人! 今日ガストン様が夫人の記録帳を褒めていたとレルムさんから聞いたんですけど!」
「……そうですか」
「あの記録帳のように整理しろって! あのガストン様が!」
「声が大きいです」
「でも! あのガストン様ですよ! 最初は絶対認めないって顔をしていたのに!」
「認めてくださったとは少し違う気がします」と私は言った。「使えると判断してくださった、と言う方が近い」
「……同じじゃないですか?」
「認めてくださる、というのはもう少し感情が入ります。ガストン様はおそらく「効率的だから使う」という判断で——」
「夫人」とミレイが言った。真面目な顔で。「嬉しくないですか?」
私は少し考えた。
「……嬉しいです」
「じゃあそれでいいです」
ミレイが断言した。
私は手帳を開いた。嬉しい、というのは確かにそう思った。ガストンが私の記録様式を基準として使うようになった。それは——静かな驚きと、静かな満足が両方あった。
「ミレイ」
「はい」
「ガストン様は変わられましたね」
「変わりましたよ。夫人が変えたんです」
「私が変えたわけでは——」
「夫人がいなければ、変わる理由がなかったんです。実績がなければ、変わりようがなかったんです」
ミレイがきっぱり言った。
私は少し黙った。それはそうかもしれない、と思った。認めてもらうために動いたわけではなかった。でも、結果として認めてもらえた。
今生でも前世でも、それがどれほど難しいことか、身に染みている。
「……よかったですね」と私は言った。
「夫人に言う言葉じゃないですけど、まあそうですね!」とミレイが笑った。




