第42話 仕事だけではない
翌朝も、ミレイが昨夜の続きを引きずっていた。
「夫人」
「なんですか」
「侯爵様のことなんですけど」
私は薬品庫の補充計画の書類から顔を上げた。
「昨夜の話の続きですか」
「そうです。夫人って……侯爵様と仕事の話をしているとき、表情が少し違います」
「違う?」
「仕事の場面だから、という話ではなくて。なんというか、もう少し……生き生きしているというか」
私は少し考えた。
「仕事の話をしているのだから、仕事に集中しているということでは」
「違うんです、そういうことじゃなくて」とミレイが言った。もどかしそうな顔をしていた。「夫人って、他の人と仕事の話をするときもあるじゃないですか。レルムさんとか、ヘルダさんとか。そのときとも、違うんです」
「……そうですか」
「侯爵様と話しているときだけ、なんか……」
ミレイが言葉を探して、「ちゃんと、夫人自身がいる感じがします」と言った。
それから「うまく言えなくてすみません」と続けた。
「いえ」と私は言った。「考えてみます」
* * *
午後、一人で書庫にいる時間に、考えた。
侯爵と仕事の話をするときに顔が違う、とミレイは言った。それはなぜか。
侯爵と仕事をしていると——確かに、何かが違う気がする。
兵站の計算表を一緒に修正したとき。「この道は凍る」という情報を受け取って、計算を修正したとき。「助かった」という言葉をもらったとき。
仕事の話だから楽しい、と思っていた。でも、仕事の内容が楽しいのとも少し違う気がする。
……侯爵と、話すのが。
その先が出てこなかった。
好きだ、という言葉が、一瞬浮かんだ。
私は書類を手に取った。
どちらでもいい、と思った。今は仕事が大事だ。内務の管理が正式に委任されたばかりで、やることが山積みだ。帳簿の切り替えもまだ途中で、使用人の作業分担の見直しも検討中で——。
仕事だから楽しい。それだけのことだ。
でも。
「……仕事だけではないかもしれない」
独り言が出た。声が部屋の壁に吸われた。
誰もいない。聞かれてはいない。
私は書類を机に戻した。仕事に戻ろうと思った。でもしばらく、書類の文字が目に入ってこなかった。
* * *
翌日の朝、カルルから伝言が届いた。
「侯爵から、使用人全体の作業分担を見直したいとのことで。ご都合がよければ明日、一緒に確認していただきたいとのことです」
「承知しました」と私は言った。
また共同作業だ、と思った。
その考えが出た瞬間、胸の中に何かが生まれた。嬉しい、と言えば近い。楽しみだ、と言えばもっと近い。
「夫人?」とカルルが言った。
「はい」
「今日も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
カルルが出ていった。私は窓の外を少し見た。
仕事が楽しみなのか。それとも、仕事の相手が楽しみなのか。
まだ、答えが出なかった。




