第41話 溺愛の日常
辺境の冬が深まった。
朝、食事が届くようになって、もう一ヶ月になる。昼食も夕食も、侯爵からの指示で「夫人の部屋に」という形が続いていた。最初は「なぜ」と思っていたが、今は「そういうものだ」と受け取るようになっていた。
ミレイが言っていた。「受け取ることです」と。
少しずつ、できるようになっていた。
その日の午前、私は書類の束を抱えて廊下を歩いていた。先日まとめた在庫管理の新記録様式を各部署の担当者に配布するためだった。棚卸しの手順を変えたので、担当者への説明も必要だ。
「荷物が多いな」
後ろから声がした。
エドヴァルドだった。廊下の反対側から来たらしい。
「……大丈夫です」
「持つ」
返事を待たずに、書類の半分を受け取った。私の手から自然に、という感じで。
「あの、侯爵——」
「執務室の方向が同じだっただけだ」
そう言って、歩き始めた。
私は少し戸惑ってから、並んで歩いた。「同じ方向だっただけ」という言い方は分かる。でも、執務室は廊下の突き当たりで、私が向かっている倉庫担当の部屋とは方向が少し違う。
でも何も言わなかった。
「……ありがとうございます」
声に出した。エドヴァルドが前を向いたまま「ああ」と言った。
倉庫担当の部屋の前で書類を受け取り直した。「ここで失礼します」と言うと、エドヴァルドが少し止まった。
「渡し終えたらカルルに声をかけろ。執務室まで送らせる」
「……自分で戻れます」
「書類がまだあるだろう」
確かに、手元にまだ束がある。
「……承知しました」
エドヴァルドが先を歩いていった。私はその背中を少し見た。
* * *
廊下の角から、カルルが一部始終を見ていた。
侯爵が書類を持っている。侯爵が。
七年間、見たことがない光景だった。
カルルは咳払いをして、書類を手に持った。「なぜそんなことをしたのか、あとで侯爵に聞いてみようか」と一瞬思ったが、やめた。聞いても「方向が同じだった」と言うだろう。それが正直な答えで、かつ全部の理由でもない、という状態が侯爵には続いていた。
* * *
ミレイが廊下の別の角から目撃していた。
書類を持ってくれていた。侯爵が。
夫人のことを、すごく気にかけてくれている。
ミレイは胸の前で手を組んだ。
* * *
その夜、ミレイが就寝の準備をしながら言った。
「夫人、侯爵様のことをどう思っていますか」
私は手を止めた。手帳を持ったままだった。
「……仕事のできる方だと思います」
ミレイが「仕事……」と言った。少し複雑な顔をした。
「違いますか」
「違わないですけど……それだけですか?」
「あとは」と私は少し考えた。「不器用な方だと思います。でも、悪い意味ではなく」
「不器用……」
「言葉が少ない。でも行動はある。言葉と行動が合っているかどうか時々分からないですが、行動は確かに来ます」
「夫人は、それを……どう思っていますか」
「不思議だと思います」
ミレイが「ふしぎ……」と繰り返した。どこか納得していない顔だった。
「他に何か?」
「……いえ」とミレイが言った。「夫人らしいです、はい」
私は手帳に目を戻した。不思議な人だ、と思っている。それは確かだ。でも——もう少し何かある気がして、でも何かが言葉にならなかった。




