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第42話 祝宴のあと

 万寿節の夜を焼き尽くした楼閣の炎は、明け方の白々とした光に溶けるようにして、ようやくその勢いを失った。

 紫禁城の広場には、まだ燻り続ける炭の匂いと、祭りのあとの虚脱感が入り混じった、独特の静寂が重く垂れ込めている。


 蘭瑛は、ひとり、瓦礫の山となった舞台の跡に立ち尽くしていた。

 煤で汚れた指先が拾い上げたのは、熱で歪んだ一枚の真鍮板だった。かつて父が、楼閣の心臓部に組み込んでいた歯車の一部。それは、父が最後に遺した「守護の形」そのものであった。


「……蘭瑛」


 背後から響いたのは、凛としていながらも、どこか深く震えるような声。

 振り返らなくてもわかる。この夜を共に駆け抜け、自分の「理」を信じてくれた男、載淵である。


 載淵は、泥にまみれ、端が焦げた官服を脱ぎ捨てていた。代わりに纏ったのは、深紅の親王服。だが、その瞳に宿る光は、かつての冷徹な「数理の信奉者」のものではなく、一人の女を地獄から連れ戻した男の、剥き出しの安堵だった。


「陛下からの沙汰が下りた。……玄天は、皇帝暗殺未遂および、十三年前の偽証、そして数多の官吏への毒害の罪により、極刑。彼の『神』としての栄光は、朝を待たずに土へと還された」


 載淵は、蘭瑛の隣に並び、共に崩れ去った楼閣の跡を見つめた。


「そして……貴様の父、蘭鳳ランホウの汚名は完全に雪がれたぞ。陛下は自ら、当時の記録を書き換えさせた。『不手際により失敗した奇術師』という不名誉な記述は、今日この時を以て、すべての公文書から削り取られた」


 蘭瑛は、手の中の真鍮板をぎゅっと握りしめた。


「陛下は……何と書き換えさせたのですか?」


「『至高の技術を以て、自らの名声を捨て、影から主君を護り抜いた、帝国の盾』……とな。今や、都の講談師たちは、こぞって彼の物語を語り始めている。失敗の代名詞だった『あの日』を、彼らは『奇跡の守護』と呼び変えたのだ。十三年前、彼が突き出した剣がなぜ消えなかったのか……その真実に、帝国中の人間が、自分たちの無知を恥じると同時に、彼の忠義に震えている」


 蘭瑛は、ゆっくりと空を仰いだ。

 十三年間、彼女の胸を締め付けてきた呪縛。父を殺し、家名を貶め、自分をガラクタ拾いの少女へと変えたあの忌まわしい夜。それが今、朝の光に溶けていく。


「……皮肉なものですね、載淵様。お父さんは、自分が『失敗した』と思われたまま死ぬことを、きっと覚悟していたはずです。マジシャンにとって、タネを明かして褒められることよりも、タネを隠したまま誰かを守ることの方が、ずっと価値があると思っていたでしょうから」


「……だが、蘭瑛。真実を知る権利は、遺された者にもある。貴様がこの十三年をかけて積み上げてきた、ガラクタの山と科学の知恵。それがなければ、彼の沈黙はただの悲劇として埋もれていた。貴様が……彼のマジックを、今日、完遂させたのだ」


 載淵の声は、夜風に混じって優しく響いた。

 蘭瑛は、頬を伝う熱いものに気づいた。それは悲しみの涙ではなく、ようやく父と「再会」できたことへの、震えるような感謝だった。


「見てください、載淵様。……お父さんが遺したガラクタたちが、あんなところで笑っていますわ」


 蘭瑛が指差した先。広場の隅では、小翠ショウスイと女官たちが、蘭瑛が解体した資材を丁寧に片付けていた。彼女たちが手にする布や紐、壊れた滑車。それらはもう、捨てられるべき「ゴミ」ではない。一人の奇術師が、勇気と知恵で「皇帝の命」という至高の成果に変えてみせた、魔法の欠片たちだ。


 女官たちは、蘭瑛の姿を見つけると、皆、深々と頭を下げた。

 彼女たちは知っている。昨夜、蘭瑛が守ったのは皇帝の命だけではない。声なき自分たちを、理不尽な恐怖から解放してくれたのだということを。


「……この祝宴のあとの景色、嫌いではありませんわ。タネが明かされ、すべてが日常に戻っていく。けれど、人々の心には、見たこともないような『驚き』と『真実』が確かに刻まれている……。それが、本物のマジックというものですもの」


 蘭瑛は、煤にまみれた顔で、これまでで最も美しい微笑みを浮かべた。

 載淵はその表情に、思わず息を呑む。彼は数学的に証明できるすべての美しさを知っていたが、この瞬間、目の前の女が放つ「人間的な気高さ」を記述できる公式を、何一つ持っていないことに気づいた。


 都の広場では、早くも新しい噂が飛び交っている。

 かつて「不運な奇術師」と呼ばれた男には、彼を凌ぐ知恵を持つ、美しい娘がいた。彼女は、親王の指輪を光に変え、鉄の牢獄を布で破り、炎の中から真実を救い出した……。


 その物語は、語り継がれるうちに、いつしか一つの伝説となった。

 「失敗」の裏にあった「忠義」。

 「ガラクタ」の裏にあった「科学」。


 蘭瑛は、父の真実を胸に、新しい一歩を踏み出す。

 祝宴のあとの静かな街並みに、新しい風が吹き抜ける。

 それは、十三年ぶりに正しく時を刻み始めた、蘭瑛と載淵の新しい物語の序章であった。


 夜明けの光が、二人の足元を明るく照らし出していた。

 かつての「奇術師の娘」は、いま、この帝国の影を照らす「真実の守護者」としての道を、その細い足で、しかし力強く歩き始めたのである。

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