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第38話 炎の中の再会

万寿節の夜、紫禁城を揺らしたのは、歓喜の叫びではなく、すべてを拒絶するような暴力的な爆鳴だった。

 蘭瑛ランエイが仕掛けた「花の柱」――黒煙を祝祭の紙吹雪へと変える鮮やかな手品に、観衆が酔いしれたのも束の間。その美しさに耐えかねた玄天ゲンテンの、獣じみた咆哮が夜空を裂いた。


「認めぬ……。小娘一人の知恵に、私の築き上げた『神の座』が、この帝国の未来が、塵に帰すなどと……断じて認めぬぞ!」


 玄天の瞳は、もはや理性の色を失い、どろどろとした嫉妬と狂気に染まっていた。彼は震える手で、懐に隠し持っていた最後の引火装置を、足元の隠し床へと叩きつけた。


「私を神として認めぬのなら、この城ごと、皇帝ごと、灰になれ! 偽りの神が去った後に残るのは、真実の虚無のみだ!」


 瞬間、楼閣の底部に仕込まれていた大量の黒色火薬が一斉に炸裂した。

 轟音と共に、楼閣の一階部分から真っ赤な炎の舌が噴き出し、瞬く間に木の柱を舐め、龍の彫刻を呑み込んでいく。夜の闇を塗り潰すような紅蓮の火柱。それは玄天という男の、空虚なプライドの断末魔でもあった。


「火事だ!」「陛下をお守りせよ!」「逃げろ、崩れるぞ!」


 さきほどまでの静寂はどこへやら、宴席は一瞬にして地獄図へと変わった。逃げ惑う観衆、右往左往する官吏たち。だが、その混乱の極致にあって、蘭瑛だけは一歩も動かなかった。


 彼女の瞳には、荒れ狂う火の粉が映っている。だが、その眼差しに恐怖はない。ただ、何かに魅入られたような、静かな確信が宿っていた。


「蘭瑛! 何をしている、逃げろ!」


 背後から、怒鳴り声と共に強い力が彼女の腕を引いた。載淵サイエンだ。

 彼は既に、抜き身の剣を片手に、迫り来る炎から彼女を庇うように立っていた。常に冷静沈着な彼の顔には、隠しようのない焦燥が滲んでいる。


「この楼閣はもう保たん。構造材が焼かれれば、数分で自重に耐えきれず崩壊する。貴様まで、こんな男の道連れになる必要はない!」


「いいえ、載淵様。……見てください。逃げる必要はありませんわ」


 蘭瑛は、自分を引く載淵の手を、逆に優しく、だが力強く握り返した。

 彼女の指差す先、炎上する楼閣の「梁」に、異変が起きていた。


 玄天が贅を尽くして塗り込ませた、厚い黒漆。それが猛烈な熱に晒され、醜く泡立ち、剥がれ落ちていく。だが、その漆の層の下から現れたのは、焼け焦げた木肌ではなかった。


「……あれは、何だ?」


 載淵が思わず息を呑む。

 漆が剥がれた梁の表面には、鈍い銀色を放つ金属の層が露出していた。さらに驚くべきことに、そこには人間の手によって精密に刻まれた、不思議な幾何学模様がびっしりと浮き上がっていたのだ。


「円環、そして連動する歯車を模したような溝……。ただの装飾ではない。あれは、計算尺の目盛りに近い」


 数理を愛する載淵の目が、瞬時にその模様の正体に気づく。

 蘭瑛は、熱風に髪をなびかせながら、震える声で呟いた。


「お父さん……貴方は、最初から分かっていたのね。いつか、誰かがこの楼閣を燃やすことも。そして、その『時』こそが、貴方の仕掛けた最後の一幕の始まりだということも」


 蘭瑛は確信していた。その梁に刻まれているのは、父、蘭鳳ランホウの筆跡だ。

 父が十三年前に設計し、玄天がそれを奪って完成させたこの楼閣。玄天は、それを自分の「神殿」だと思い込んでいたが、父はそれを、最初から別の「何か」として設計していたのだ。


「お父さんのマジックが……十三年の時を経て、今、完成しようとしているんです。載淵様、よく見ていてください。あの模様は、熱によって金属が膨張したときにだけ、パズルのように噛み合う『鍵』なんです」


 火の勢いが増す。だが、普通なら崩落を早めるはずの熱が、その梁に刻まれた溝に沿って、驚くべき変化をもたらしていた。

 熱膨張によって歪んだ金属の目盛りが、物理法則に従い、特定の角度でピタリと重なる。すると、楼閣の奥底から、ズ、ズ、という重厚な地響きが聞こえ始めた。


「楼閣が、回っている……?」


 載淵が驚愕の声を上げた。

 炎上する巨大な建造物が、自重と火の勢いを利用して、まるで生き物のように形を変え始めていた。それは、玄天が仕込んだ殺意の罠を、一つ、また一つと物理的に無効化していく、壮大な「自己解体」のマジックだった。


「玄天殿! 貴方の勝ち誇る顔は、もうすぐ絶望に変わりますわ」


 蘭瑛は、炎の中で立ち尽くす玄天に向かって、静かに言い放った。

 彼女の目には、父・蘭鳳の、十三年前の穏やかな笑顔が重なっていた。父は、自分の死後、この場所で何が起きるかを予測していた。悪用された自分の技術が、いつか誰かを傷つけることを防ぐため、彼はこの「炎の中でだけ発動する安全装置」を仕込んでいたのだ。


「蘭瑛、あれを見ろ! 梁の模様が……繋がった!」


 載淵の指差す先。完全に漆が焼け落ちた四本の主柱が、銀色の輝きを放ちながら、一つの巨大な「円環」を描き出していた。

 それは、父・蘭鳳が遺した、この帝国で最も壮大で、最も切ない「手品」の始まりの合図だった。


 炎が踊る中、蘭瑛と載淵は、その「再会」の瞬間を固唾を呑んで見守っていた。

 十三年前の失敗のタネが、今、紅蓮の華となって、夜空に咲き誇ろうとしていた。

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