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第37話 偽物 vs 本物

 砕け散った鏡の破片が、月光を反射して舞台に降り注ぐ。

 トリックを暴かれ、吊るし上げられた醜態を晒した玄天は、もはや「神」の仮面を維持できていなかった。その顔には、隠しようのない殺意と、自分を凌駕する知恵を持つ蘭瑛への嫉妬が渦巻いている。


「……蘭瑛。貴様さえ、貴様さえいなければ、私はこの国の神になれたのだ!」


 玄天が吠えると同時に、その袖口から黒い閃きが放たれた。

 それは、マジシャンの指捌きを悪用した「暗器」――細い鋼の針に猛毒を塗り込んだ、必殺の投擲術だ。玄天の手首の捻り、そして遠心力を利用したその初速は、常人の動体視力を遥かに超える。


 だが、蘭瑛は動かなかった。

 彼女はただ、父が愛用していた古い「手品のステッキ」を、静かに構えただけだった。


(お父さんは言っていたわ。奇術は、人を欺くためにあるのではない。人の『思い込み』を利用して、最悪の結末を最高の驚きに変えるためにあるのだと)


 玄天の放った針が、蘭瑛の眉間に突き刺さる――。

 そう確信した観衆が悲鳴を上げた瞬間、蘭瑛がステッキを軽く一振りした。


 カチッ、という小気味よい音が響く。

 蘭瑛の目の前に、一瞬にして「銀色の盾」が現れた。いや、それは盾ではない。父が遺した「自動展開式・パラソル」の骨組みに、女官たちが運んできた「細くしなやかな鋼の端切れ」を編み込んだ、特殊な防護傘だ。


 物理学の原理――「斜面による衝撃の分散」。

 玄天の針は、蘭瑛に届く直前、傘の傾斜によってその運動エネルギーを逸らされ、空しく舞台の床へと弾き飛ばされた。


「なっ……何をした!」

「玄天殿。貴方の道具は『奪う』ためにある。けれど、父が作ったこの道具は、誰かを『守る』ために設計されている。どちらの精度が高いか、試すまでもありませんわ」


 蘭瑛は傘を閉じると、そのまま舞台の中央へと歩を進めた。

 焦った玄天は、今度は隠し持っていた火薬筒を取り出し、蘭瑛の足元に投げつけた。爆音と煙で彼女を包み、その隙に楼閣の奥にある「最終的な死の罠」へ逃げ込もうとしたのだ。


 しかし、蘭瑛はその煙の中を迷わず突き進んだ。

 彼女の目には、父の設計図が完璧に焼き付いている。煙がどこへ流れ、どこに「空気の通り道」があるのか、彼女は物理的に理解していた。


「無駄よ。……あなたの手品は、常に『恐怖』に依存している。でも、本物の奇術は、恐怖を『希望』に書き換えることなんです」


 蘭瑛は、父が遺した最後の手順――「平和のための奇術」のスイッチを入れた。

 それは、玄天が「毒煙」を出すために改造した楼閣の煙突を、逆に利用するものだった。


 彼女がガラクタの滑車を一つ引くと、楼閣の内部で圧縮されていた空気が一気に逆流した。

 玄天が放った黒い煙は、蘭瑛が仕込んだ「色鮮やかな紙吹雪」と「芳しい香油」と混ざり合い、夜空に向かって巨大な「光り輝く花の柱」となって噴き出したのだ。


 観衆から、怒号ではなく、地響きのような感嘆の声が上がる。

 凄惨な殺し合いになるはずだった舞台が、蘭瑛の指先一つで、一瞬にして帝国の繁栄を祝う「最高の祝典」へと塗り替えられた。


「これが、父の目指したマジック。……誰一人傷つけず、すべての人に奇跡を信じさせる。偽物の神様、貴方には一生かかっても辿り着けない場所よ」


 煙の向こう側で、蘭瑛の静かな怒りが、本物の奇跡となって玄天を追い詰めていく。

 玄天は、自分が作り上げた巨大な「楼閣」という名の檻の中で、自分だけが「観客」に、蘭瑛が「神」になったことを理解し、恐怖に震え上がった。

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