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ゼトが大氷穴に辿り着いた時、真っ先に飛び込んできた景色は、巨大な氷柱に両手を当てている小さな使い主の姿だった。
「坊ちゃん!!」
咄嗟に叫び、周りの絶景など目もくれずに脚に稲妻を纏わせて、強く跳躍する。
そして一瞬で傍に駆けつけはしたが、ヘイヌーが目の前に立ち塞がってゼトの行く手を阻んだ。
ギロリと睨みつければ、ベールの奥からも射殺す様な視線を飛ばされる。
「静粛に。御子は今、非常に大事な儀式、の真っ只中」
「儀式だと!?貴様、坊ちゃんに何を強要している!返答によってはタダでは済まさんぞ!」
「⋯⋯何を言っても、タダで済ます気等無さそう、ですが?」
決してやましい気持ちは無いものの、怒り心頭であるゼトの様子を見る限り、自分が何を言っても無駄であると早々に見切りをつけた。
それにヘイヌーは、元々悪魔とまともな対話をする気など毛頭ない。
向けられてくる殺意をそのままお返しするつもりで、笛を取り出し、メロディーを奏でて、直ぐに巨人を数体造り出した。
今迄の足止め要因とは違う、屈強な迎撃用の巨人である。
今居る大氷穴は全面に神の涙の神力が行き渡っているので、外部からの攻撃では余程でない限り崩壊はしないのだ。
それを見越してのヘイヌーの本気を見て、ゼトも身体中から紫電を激しくスパークさせ、元来のドラゴンの姿へと変貌していく。
「組織の末端程度の小童風情が!魔皇帝陛下の忠実なる眷属である、このゼンティウヌスと刃を交える選択を取るというならば、決して容赦はせんぞ!」
「我々に戦わない、という選択肢、は始めから存在、しません。神の子を謀る悪魔、よ。大人しく粛清、されよ」
互いに一切聞く耳を持たず、次の瞬間には力と力の激突が始まった。
巨体同士が凄まじい勢いで暴れ回る事で、この場に似つかわしくない轟音が轟き、洞窟内が振動する。
ゼトが空中に魔方陣を複数出現させて魔術を放てば、ヘイヌーは神術によって霜の防御壁を張り、妨害と同時に笛の音で巨人達を操作して反撃を繰り出していく。
一進一退とも言えるその攻防は、氷穴を破壊するまではいかないものの、霊峰全体を揺れ動かさんばかりの激しさの為に、外では一部分で雪崩すら起きている程であった。
そんな状況の為、大氷柱に全神経を集中させていたクゥフィアも、流石に周りが騒々しすぎて一旦作業を中断させる。
「ゼトー!」
騒音に掻き消されない様に、腹の底からの大声で竜の名を叫んだ。
その声を瞬時に拾い上げたゼトは、勢い良くクゥフィアの方へと顔を向ける。
「坊ちゃん!ご無事ですか!?今すぐお傍に!」
「静かにして」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯え?」
予想外な一言に脳が凍り付いた。
実際には凍ったわけでは無いのだが、そう表現しても良い程に衝撃的な命令口調だったものだから、ゼトは完全に思考を停止させてしまい、もろに巨人の攻撃を食らって地面に叩きつけられてしまった。
そのまま取り押さえられる様に上からのしかかられるも、混乱した様子でされるがままの状態となってしまう。
「ぼ、坊ちゃん?一体どういう⋯??」
「今大事なところなの。失敗できないから邪魔しないで」
「はい⋯はい??」
「ヘイヌーさんも、ちゃんとゼトに説明してあげてよ。二人が静かにしてくれないと、僕集中できないよ」
「!も、申し訳、ありません⋯」
自分が頼み込んだ身分である手前、幼子の辛辣な指摘にヘイヌーは思わず身を縮こまらせる。
いくら相手の存在が不愉快とはいえ、場は弁えるべきであったと反省して、巨人を速やかに整列させて礼儀正しくゼトと向き合った。
放心状態で人型に戻ったゼトに、かくかくしかじかと経緯を述べると、今度は悪魔の葛藤による百面相が始まっていく。
「⋯⋯という訳、です」
「何故⋯何故少し目を離した隙に、その様な事になっておられるのですか!?敵に塩を送るのと同義ではないですか!」
わなわなと震えながらゼトがそう嘆き、既に作業を再開しているクゥフィアの傍へと駆け寄った。
「坊ちゃん!いま一度良くお考え下さい!我々が此奴等からどれ程の妨害を受けて身の危険に晒されてきたのか!何故、故郷を追い出され、途方も無い旅に出ざるを得なくなったのか!お忘れになった訳では無いでしょう!?」
「そうだけど、目の前で困ってる子を放ってはおけないよ。こんなところで何百年も動けないでいるんだよ?可哀想じゃんか」
「同情など無用でございます!もっと心を鬼になさい!⋯⋯ハッ!もしやこれは、坊ちゃんなりに何か策がおありなので?」
「んー、時間稼ぎぐらいには思ってるけど」
策という策では無いかなあ、と軽く首を捻った。
その言葉にゼトは愕然と肩を落とすものの、こっそりとヘイヌーの挙動を盗み見て少しばかり思案を巡らす。
他のノブデュレスとは違う雰囲気の♧4は、折角迎撃用として発動させた“霜の巨人”と共に、此方の様子を静かに見守っているだけだ。
喧嘩を吹っ掛けてきたのはあちらからだというのに、クゥフィアの言葉一つで手を止めてしまうとは、一体何を企んでいるのやら⋯。
「ヘイヌーさんとこの子、ずっと長い間一緒にいたんだって」
訝しんでいると、クゥフィアが続けて口を開いた。
「綺麗だけどこの洞窟にさ、二百年以上ずっと一緒にいて、この子を助けようと頑張ってたんだって」
「それが一体何だと⋯」
「なんだか僕たちみたいじゃない?何もできない僕とずっと一緒にいてくれて、ずっと守ってくれてる、ゼトみたいだなあってちょっと思っちゃったんだ。だからこの子にとってヘイヌーさんは、僕にとってのゼトみたいな、大切な存在なのかなって」
「⋯⋯」
「そう思ったらなんか、放っておけなくなっちゃったの。だから、ゼトも手伝ってくれない?」
そう言われてしまい、ゼトは言葉を失った。
自分の事をそういう風に思っていてくれていたとは、考えた事もなかった。
ゼトはあくまで悪魔であり、クゥフィアとは間接契約で成り立っているだけの間柄でしかないのだ。
勿論、故郷に帰り着くまでは身命を賭して守り続ける覚悟ではあるが、クゥフィアからの見返りを求めたり、ましてや主従以上の関係を強要したりしようなどとは微塵も思っていない。
グレーの登場によって己の立場が少々危ぶまれている感じはするものの、自分はあくまで、盾であり、移動手段であり、捨て駒で良い、とゼトは自分自身を過小評価していた。
それは弱肉強食社会である魔界で刷り込まれた、自然摂理の法則による消極的思考であり、ピスマとピズマから言えば怠慢に類するものであるのだろう。
だが、クゥフィアは違った。
ゼトの事を頼りになる兄同然の存在だと思っている。
今まで口にする機会が無かっただけで、物心着く頃からそう思っていたのだ。
それをあえて言葉にした事で、初めてゼトは、今になってやっと自分は必要とされている存在なのだと自覚する事が出来た。
すると纏っていた空気の重さが変化して、ゼトの胸にジーンッとした感動の波が、静かに広がっていったのだった。
「そこまで仰られるのなら、致し方ありません」
態度を軟化させるには十分な幸福感を味わってから、ニヤけそうになる口角を何とか我慢しつつ、意地で体裁を保つ。
そして気を引き締め直すと、ゼトはクゥフィアのすぐ横に並び、小さき主のフォローに務める事にしたのだった。
この光景を見て、ヘイヌーは驚愕する。
悪魔が本当に手助けしてくれるとは微塵も思っていなかった為、我が目を疑ってしまったぐらいだ。
「既にフィアの側面には触れておられるのですね」
「うん。でもココからどうしたら良いのかわからないの。何とかしてフィアと氷を切り分けていきたいんだけど」
「でしたら糸状のままではキリがありませんので、膜を作って表面を覆っていくイメージにしてはどうでしょう。先端から液体が広がっていく様に力を注入しても良いでしょうし、糸を織り進めて布状にしていく風でも可能かと」
「あ、そっか。何もこの細さにこだわる必要ないのか。液体みたいなイメージの方がやりやすそう」
「では、多すぎず少なすぎず、一定の厚みを保ちながら少しずつ行き渡らせ、包み込んでいく様に⋯意識を集中させなさい」
「うん」
クゥフィアはアドバイス通りに、瞳を閉じてイメージしていった。
注射針の先端から液体が徐々に抽出される様に、力を薄い膜状にしていく。
慎重な作業の為、微量ずつを時間をかけて丁寧にこなしていけば、先程まで苦戦していたのが嘘のように綺麗な形でフィアを包み込んでいけた。
そして暫くした後にやっと、一寸の狂いも生じる事なく氷と神の涙を分断させる事に成功した。
ミクロン並の厚さでありながら、確実にフィアから漏れ出ていた力が遮断された事で氷にも変化が見られ、眩く輝いていた洞窟内の明光がほんの僅かながら、しかし確実に落ちたのをその場にいる全員が感じ取る事が出来た。
「包めたよ!」
「何と⋯!本当、ですか?」
「うん!これでもう氷と一体化する事はないし、この子から漏れ出ていた力はそのうち氷と一緒に、自然に世界の中へ溶けていくと思うよ」
「良く出来ました。では、此処からはどう致しましょうか?」
「んー⋯取り出せられると良いんだろうけど、まだ氷の中にこの子の力が残ったままだから、引っ張り出すのは難しいかも⋯」
力の隙間を潜り抜けて神聖力を送っていった為、フィアを取り出せるサイズまでの空洞を空けるとなるとまた話は変わってくる。
今の氷のままでは、クゥフィアでも恐らくは壊せない。
感覚としては、暴発間近の爆弾のようだと感じた為だ。
だから強引に別の力をぶつけて押し退けようものなら、そこが起爆源となって瞬時に氷穴全域が爆発し、神殿どころか霊峰そのものすらも吹き飛ばすだろうと簡単に予測出来てしまったのだ。
ライディエゴが危惧していたのも、恐らくクゥフィアと同じ感触を得たからだと思われる。
なので、もしすぐに取り出すのであれば、空間転移のような術でも使わないと無理だろうと推測するのだが、如何せんこの場には、物体を転移出来る術を持った者は居合わせていない。
そうクゥフィアが頭を悩ませながら素直に口に出すと、それを聞いたヘイヌーは特に困る様子を見せず、返答した。
「それならば、物質転移、が出来る者に心当たり、があります」
「そうなの?」
「はい。この世界、にはおりませんが、後で連絡、を取ってみます。なので今、はこのままで大丈夫、でございます」
であれば、クゥフィアがこれ以上出来る事は何もない。
しかしながら、ヘイヌー達が百年単位で挑んでいた問題を、短時間であっさり解決してしまったその手腕は、文字通り神がかりであった。
ヘイヌーは幼子の大快挙にいたく感動をして、その場で膝をついて、敬意を表してみせる。
「言葉、に尽くせません。何とお礼、を申し上げれば宜しい、のやら。神の子よ。心より感謝、致します」
「⋯⋯どういたしまして」
深々と霜の巨人共々頭を垂らす姿に、クゥフィアは面映ゆそうに身体を揺らしてみせる。
ヘイヌーはそのままゼトにベールのかかった顔を向けると、彼にも謝意を伝えた。
「悪魔よ。不本意、ながら貴方にも、助けられた形、になりました」
「坊ちゃんの口添えさえ無ければ、決してこんな馬鹿な真似はしませんよ。これを恩義と思うならば、金輪際我々に関わらないでいただきたいものですね」
「⋯⋯それは無理な話、というもの。神の子は吾等、と共にいるべき存在。隣に居るのが悪魔、など場違い、にも程がある」
「酷い言いようだ。まあ、何とでも仰いなさい。どうせ貴方の命運は此処迄ですので」
ゼトがそう言った瞬間、ヘイヌーの背後から強烈な衝撃が走った。
何が起こったのか分からず、混乱している間に聞こえてきたのは、先程までこの場にはなかった全く聞き覚えの無い、声。
「手間賃を貰うぞ。アレが取り出せないなら、代わりに貴様の神の涙を戴くとしよう」
「⋯ニナーナさん?何、してるの⋯?」
遅れながらに事態を把握したクゥフィアが、一瞬にして血の気が引いた面持ちで、皆の気付かぬ間にヘイヌーの背後にまで忍び寄っていたニナーナを問い質す。
血相を変えた子供と違い、ニナーナは冷徹だ。
「何って、迎えに来たんだよ。無事な様で何よりだ」
「無事、だけど⋯僕は無事だけど、そんな⋯!」
言葉を失ってニナーナの近くに居るグレーにも目を向けるが、首を横に振られてしまう。
そうしている間にもヘイヌーの身体からは力が抜けていき、具現化させていた霜の巨人は自分の意思とは関係無く、静かに霧散していった。
そこで漸く、いま自分は、背後から腕を突き刺されており、体内にあるナニかを鷲掴みされているのだと、理解する事が出来たのだった。
「ナ、ゼ」
既に声すら発するのが難しくなっていく。
「ナゼ、此処ま、で来、られた?A、たち、は⋯?」
「あっさり囮に引っかかりやがったよ。まあ、そっちはもうとっくに突破されたみたいだが、グレーが隠し通路の入り口に強力な結界を張ったから、今頃はそっちで手こずっている頃だろう。こんなんでも元、♤Jとやらだったらしいしな」
「⋯⋯うん。あの三人でも力押しでは破れない、解除方法にコツがいるヤツを張ってきた。だから私達も、クゥフィアの作業を邪魔せずにのんびり待てていたんだ」
「あわよくば両方のフィアを、と思っていたんだが、そう都合良くはいかなかったな」
だがまあ、良い。
そう付け加えて、ヘイヌーの体内に射し込んだままの拳中に力を集中させた。
誰も動かない⋯色々な事情で動けないでいる中、徐々に視界が朦朧としてきだしたヘイヌーは、最後の力を振り絞って手を伸ばす。
その先にあるのは、大氷柱の奥にいる、長年寄り添って苦楽を共にしてきた、神の涙。
「⋯⋯せめて⋯あなたのぬ、くも⋯、を、感じ⋯⋯た⋯か⋯⋯」
ニナーナが勢い良く拳を引き抜いた。
それと同時に事切れ、人形のように氷面に崩れ落ちるヘイヌー。
鈍い音を立てて、全く受け身も取らずに倒れ、その背中には黒い魔力が少しばかり燻って煙のように立ち上っている。
そして倒れた拍子に外れたのか、♧と4の形をしたピアスが乾いた音を立てて、氷の上を滑っていった。
寸刻の静寂がその場に充満する。
その空気を壊すのは、ニナーナであった。
「成程なあ。神になれる資格ってのは、こういう意味だったか」
掌に収まった黒玉⋯その中に閉じ込めた、ヘイヌーの神の涙を細見していく。
フィアの周りには、癒着しているのか、それとは別の淡く光る不思議な燈が揺らめいている。
その燈の正体にいち早く気付いたのはゼトだ。
「もしやそれは、このヘイヌーとやらの魂魄ですか?」
「ああ。神の涙だけを取り出したつもりだが、魂まで引っ付いて来るとは思わなかった。このフィア、どうやら自分の宿主の魂と融合しようとしてやがるな。或いは飲み込むつもりか⋯」
「では適合者というのは、神の涙の養分としてでは無く、融合出来る魂の資質を持った者達の事を指すのでしょうか?」
「その辺りどうなんだ?」
徐にグレーに話題を振ると、視線を向けられた傷男はそっぽを向いたまま、肩を軽く揺らしてみせた。
「さあ?どうなんだろうね。体内に溶け込んでいる筈の神の涙をこんな形で取り出される場面なんて今迄見た事がなかったから、中身がどんな状態なのかなんて知る由もなかったよ。ノブデュレスの上位者でも、この質問に答えられる者は少ないんじゃないだろうか」
「?どうした。急に不機嫌そうじゃねえか」
「当たり前だろう!そんな芸当が出来るだなんて思ってもみなかったんだ!君に背中を預けるのが恐ろしくなってしまったじゃあないか!」
自分もいつかはヘイヌーの二の舞になるかもしれない。
その恐怖心が芽生えてしまった以上、グレーはもうニナーナよりも優勢な立場ではいられないと早々に悟って、己の立ち位置を改める必要に迫られたと感じたのだ。
現段階での力量はグレーが上。
しかしそれを度外視する手段をニナーナが持っているならば、そんなものは意味を成さない。
元から疑心を持たれているとはいえ、暫くは心労もマシになると思っていたら大間違いだったという自分の浅慮さに、苛立ちが湧いてしまった様だ。
「そうだな。変な行動を起こせばお前もすぐにこうなると思っておけよ」
「⋯⋯ハア⋯。わかったよ。むしろ早いうちにその事実が知れて良かったとプラスに捉えておこう。全く、力の上下なんて堂々と無視してくる君の引き出しの多さには脱帽する」
「少しばかり一緒に居た程度で知ったふうな口を。お前に俺の何がわかるって」
そこで言葉は途切れた。
ニナーナの手の先にある黒玉を奪い返さんとばかりに、神聖力が放たれたからだ。
その力を持つ唯一の人物を見れば、怒りと困惑を含んだ視線と交わった。
「⋯⋯どういうつもりだ?クゥフィア」
「ッ。その⋯⋯⋯返して、あげてよ⋯」
「何故?」
「ナゼって⋯」
クゥフィア自身、どうすれば良いのかわからない。
ただ咄嗟に戻さなければ、生き返らせなければと体が勝手に動いた。
なので何故と聞かれると返答も出来ず、かといって力を解除するわけにもいかずでそのまま固まってしまい、見兼ねたニナーナの厳しめな言葉が飛んでくる。
「まさかこれだけ被害を被っておいて、慈悲深く助けたいだのとは言わねえよな?」
「うぅ⋯」
「今迄こんな場面はいくらでもあったんじゃねえのか?殺るか、殺られるか。ましてや此奴はノブデュレス。お前の敵だ。一人でも多く排除しておく必要がある。わかってるだろ?」
「⋯でも⋯別に⋯⋯魂まで取る必要はないでしょ!?それにヘイヌーさんは、悪い人じゃなかった!僕に優しかったし、丁寧にしてくれてたんだよ!だから」
「お前のその発言は、一緒にいる俺達の身を危険に晒すとわかった上で、言ってるんだろうな?」
心臓が跳ねた。
確かにヘイヌーは、クゥフィアには優しかった。
だが、悪魔と裏切り者には優しくなく、ゼトに向かっては粛清宣言までしていた程である。
このまま感情に任せて取り出された魂と神の涙を元に戻せば、今度は逆に仲間達の命が危うくなる。
指摘されずとも当然の様に想像出来る事だというのに、クゥフィアは言われるまでソレがわからなかった。
否、わかりたくなかったのかもしれない。
少しでも情が湧いてしまったが為に、正常な判断が出来なくなってしまっているのだ。
そんな幼いならではの浅はかさと葛藤に、ニナーナは「温いぞ」と思わず苦言を呈してしまう。
「確かにお前を裏切らないと約束はしたが、お前の言う事全てを聞いてやれる程俺は寛容ではない。今後もこういう事態は必ず起こる。この際だ。しっかり目に焼き付けておけ」
「!ダメ⋯ッ!」
気持ちが揺らいだその隙に強引に神聖力を振りほどかれた。
クゥフィアが狼狽えるなか、ニナーナが癒着している魂を闇炎で燃やそうと力を込める。
その時だった。
突然の地鳴り。
小さな揺れが直ぐに巨大な地震となり、割れない筈の氷塊が割れ、天井からは大小様々な氷のつぶてが降り出して、爆弾の如くあちこちで破裂していく。
足元にまでも亀裂が伸びてきて全員の意識が其方に向いた途端、立て続けに悲鳴の様な音が氷穴中に反響して、それに呼応するかのように神秘的な光が一層強さを増していった。
明らかな、異常事態である。
「一体何事ですか!?」
ゼトがクゥフィアを庇いながら周囲を確認する。
すると、目前にいたニナーナとグレーがゼト等の後ろを凝視している事に直ぐ様気付いて、自分達も急いで背後を振り返った。
そして目撃したのは、未だ氷柱に閉じ込められている筈の神の涙が、先程とは異なる激情的な光を発している姿であった。
「ちゃんと分断された筈なのに、氷穴と共鳴してこの異常現象を引き起こしているのですか?!」
「⋯⋯怒ってる⋯」
ゼトの叫びと共に、クゥフィアがぽつりと囁いた。
「フィアが、怒ってる⋯「友を返せ」って言ってる⋯⋯」
「⋯⋯⋯おい、フィアって喋るのか?」
「それも初耳だけれど、今はそれよりも不味い状況だ!このままでは氷穴が爆発する!全員、衝撃に備えろー!!」
グレーの号令と同時、神力をパンパンに溜め込んだ氷全てが、前代未聞の大爆発を引き起こした。
それはまるで火山が噴火するが如く、とてつもないエネルギーを一気に外に放出する為に、本殿をも巻き込んで山の一部を盛大に吹き飛ばしたのだ。
木々に岩々、地面に瓦礫といった様々な塊が無数に宙を飛び、粉塵、雪煙が舞い上がる。
ライディエゴの展開していたスノードーム内であった為に、それらの飛来物はドームに遮られて外部に迄飛んでいく事はなかったものの、何百年もの間蓄積していた神力を纏った大爆発は、流石のドームですらも衝撃に耐えられず半壊してしまう。
更には雪山の彼方此方から雪崩や土砂崩れ等も起き、あらゆるものを飲み込んで平地まで押し流していった。
それは生命も同じ⋯神殿群の敷地内にいた信徒だけでなく、山に住む無関係な動物や、麓に構えていた街で暮らす人々も、突然の天変地異に何が起きているのか理解も出来ぬまま、大勢が巻き込まれてその命を無慈悲にも奪われていったのだった⋯。
大爆発の震源地となった大氷穴のあった場所からは、何かが勢い良く飛び出してきた。
震源の只中に居た四人である。
咄嗟にクゥフィアが覆い被さったヘイヌーの身体もその中にある。
ニナーナとグレーの二人がかりで瞬時に張った防御型の球体が、まるで大砲の如く空高く打ち上げられたのだ。
そのままゼトが竜型に変身して全員を急いで背に乗せた瞬間、今度は煙の中から恐ろしく巨大な手の様なモノが伸びてきて、ゼトが一瞬前迄居た場所の空を鷲掴みにした。
そのまま崩壊した大氷穴から外へ出てきたのは、顔も姿も未だに定まりきれていない、真っ赤な光を蓄えた人型の怪物であった。
───ブオオアアアアーー!!!
怪物は竜へと執拗に手を伸ばして追い回す。
胴より下が形成できていない分、長く上へと伸ばして、まるで大蛇の如き異質な姿を成していく。
「何なんだアレは!?」
流石のニナーナも、成り行きを観察しつつも想定外の出来事に驚きを隠せないでいた。
「あの子、さっきまで氷に閉じ込められていた神の涙、だよね?!同じ力を感じるもん!」
「ですが、この様な変質した姿を確認するのは初めてでございます!石でもなく、世界に溶け込んでもいない!アレは一体⋯!?」
「不味い事になった」
苦々しげに呟いたのはグレーだ。
「神の涙は、いわば【卵】なんだ」
「卵⋯?」
「森羅万象より漏れ出た超高密度エネルギーが凝縮された結晶体。無から有を形成し、自ずから世界の理と成りうる力を秘めた、人智など到底及ばない普遍的な真理が顕現する、前段階の姿。それが神の涙だ。全ての世界を創り出した創造神が、数多の神を産み落とす手段として構築したシステムの一つだと聞かされた事がある。アレは、神の涙という卵から孵化したばかりの赤子の神、とでも言えば良いのだろうか。⋯⋯だけれど、怒りで我を忘れている。あのままでは災いを振り撒く【邪神】に成長してしまうぞ」
ジトリと、「君が余計なトラブルを招いたんだ」と言いたげにニナーナを睨むが、当の本人は全く反省の素振りも見せないでグレーの無言の訴えを完全無視した。
過ぎてしまった事よりも、今は現状の打開策を模索する方が建設的である。
異質な邪神もどきは、完全に此方を標的として執拗に追い回してきている。
だがある一定の距離まで来た途端、身体に纏わりついている何かに引っ張られているのか、急に動きが鈍くなるタイミングがあった。
その瞬間を見逃す悪魔達ではない。
「見ろ。クゥフィアの施した神聖力の膜が、身体に纏わりついて外れないでいる。括り付けられた風船の中から手を伸ばしている様なもんなんだろう」
「となれば、遙か遠方まで逃げおおせれば、我々の勝利!」
「「させる訳ないだろう!!」」
重なった声と同時に、ゼトが突然急降下を始めた。
強制脱力により空を飛ぶ力を失ったのだ。
この感覚は、ピスマとピズマの“因果応報”で間違いない。
かなりの高所にいた為に雪崩や土砂崩れで甚大な被害を被っている麓の町中へと落下してしまい、悲鳴が上がる中、そのままゼトは虚ろな瞳のままうんともすんとも言わなくなってしまう。
「ゼト!!」
振り落とされないよう背中にしがみついていたクゥフィアが叫ぶ。
だが降りる暇もなく、全員の目の前にノブデュレスの三人が立ち塞がる。
「ライディ⋯!」
「それにピスマとピズマ、だったか。さっきの爆発で消し飛んじまえば良かったのに、とことん邪魔な奴等め」
「「それは此方の台詞だ!!」」
「やってくれたな、お前等⋯。この惨状、どう落とし前をつけてくれるつもりだ?折角のヘイヌーの努力と配慮を無駄にしやがって⋯!」
グルルル⋯と唸る様に牙を剥く。
異形の姿をした面々が集まった事でその場はいっそう騒然となり、一般民達は安全な場所を求めて一目散に逃げていった。
喧騒の中で互いに戦闘の構えを取ろうとするが、怪物のけたたましい吠え声に全員が視線を其方へと向けると、巨大な身体を山肌に這わせて、力ずくで降りてこようとしているその姿を確認する。
その身体の根元は神聖力の膜の所為で氷穴だった場所と張り付いたままではあるが、あまりにも強引で力任せである為に、山ごと引き抜いてこようとする勢いであった。
「ライディ、流石に今はやり合っている場合じゃない!あの邪神もどきを何とかしないと更に甚大な被害が出るぞ!」
「ニナーナさんお願い!ヘイヌーさんの魂と神の涙を元の身体に戻してあげて!」
「⋯⋯⋯もう無理だ」
掌に乗せたままでいた黒玉を全員に見えるように差し出す。
その中に収まっていた神の涙に変化は見られないが、周りに纏わりついていた魂魄が先程よりも明らかに弱っているのが一目瞭然だった。
「此奴、生にも神化にも執着が希薄だった様だ。死んでも尚身体にしがみつこうとし続けていたヒューと違って、あっさり昇天するつもりでいやがる。アレを見れば気が変わるのかもしれねえが、此処まで弱っちまったら、今更フィアごと身体に戻したところで⋯」
「そんな⋯ッ!」
「善良な同胞に惨い仕打ちを⋯何処までも罪深い悪魔め!」
「貴様の罪は万死よりも重いぞ!」
「だからどうした?元はと言えば貴様等がちょっかいをかけてきたから⋯」
「やめなさいッ!!」
クゥフィアのらしくない叱責に、罵りあっていた面々が思わず言葉を飲み込んだ。
そのまま口を噤んだタイミングを見て、ライディエゴとグレーが交互に毅然な発言を行う。
「こうなっちまった以上、一時休戦してアレをどうにかして止めるのが先決だが」
「殻を破ったばかりとはいえ、相手は正真正銘の神だ。このまま成長を見届けてしまえば、適合者数人と全力を発揮出来ない悪魔じゃあかなり心許ないぞ」
「救援を呼ぶか?その間に世界の何割かは破壊されるかもしれねえが、滅亡するよりはマシだろう」
「⋯⋯いや。私達の首が更に締まるから呼ぶのはやめてほしい。それにこのレベルの厄災となると、三塔並みの戦力が必要になるだろうから絶対に間に合わないよ。此処に居る面子だけで今のうちに手を打とう」
「⋯⋯まさか、アレをやるつもりなのか?」
意味深な問いかけに、グレーは首肯した。
「上手くいくかはわからないけれども、やるしかない」
その返答は、ライディエゴの予想通りのものだった様だ。
何か言いたげに一度口を開きかけ、しかし思い留まってすぐに閉口すると、少しの沈黙の後に率先して怪物に向かって歩を進め出した。
「ピスマ、ピズマ。お前等も手を貸せ」
「!?♧A!?」
「裏切り者の策に乗るのですか!?」
「この世界は破壊リストに載ってないんだ。だから神の涙を育てていたのに、そのフィアが世界を壊しちまったら本末転倒だろう?主の怒りを買うかもしれねえぞ」
末の一言に「うぐ⋯っ」と二人同時に返す言葉を失ってしまう。
そんな仲間を尻目に、ライディエゴは今一度大きく息を吸って神力を集約させ、激しく暴れている怪物に向かって全力の擬似吹雪を飛ばし、先程よりも巨大なスノードームを展開していった。
「俺のスノードーム内でなら、例え神が相手だろうが外に影響を与えず全力で戦える。だがこの規模のを作れるのは頑張ってもあと二回が限界だ。その間に」
「ああ。わかってる。⋯⋯ニナーナ。クゥフィア。手のモノを預かる」
そう言いながら、まずクゥフィアが抱き締めたままでいるヘイヌーの身体を軽く抱き上げた。
続いてニナーナの黒玉にも手を伸ばしたが、サッと避けられてしまい、思わずジトリ目で睨めつける。
「君、今は非常事態だろう?協力してくれよ」
「協力も何も、どんな計画なのか何も聞かされてないんだ。それに貴様等、ついさっきまで殺し合うぐらい殺伐としてやがったくせに、やけに意思疎通が取れてんじゃねえか。協力どころか疑念しか湧かんな」
「それは⋯⋯」
「俺とソイツは、親友だ」
グレーの言葉を遮ってライディエゴが応えた。
全員が白獅子の背中に視線を向ける。
「何年か一緒に生活した事もある。だから考えてる事も誰よりもわかるさ。家族も同然の存在だったんだからな」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
「だが、だからこそ⋯⋯⋯だからこそなんだよ」
徐々にその拳に力が入り、震え出す。
何かを堪える様な様子に、グレーも神妙に俯き、だがすぐに切り替えて全員に聞こえるよう計画を伝える。
「私の権能、“世界の記録保管者”で、先程起きた出来事を少しばかり改変させる」
「!⋯どういうこと?」
「⋯まさか、歴史の改竄って事か?過去を視る事が出来るとは聞いていたが、そんな事も可能なのか?」
「普通は出来ない。私はあくまで管理者。全ての歴史を正しく保管し、閲覧する権利はあれど、過去に起きた事象に干渉する権限などは本来持ち合わせていない。そんな事をすればいくらでも未来を変えられてしまうからね。今回のは覚醒しているからこその、かなりの強攻策なんだ。その辺り、決して勘違いしないでいてくれ給えよ」
「⋯⋯つまりは?」
「この権能で、あの神の涙が世界を破壊し尽くさない未来を強引に作り出す。その準備にコイツが必要なのと、時間がかかるから戦える者はあの邪神もどきの対処に当たってほしい」
「勝算はあるんだろうな?」
無言で頷くグレーを暫し見つめた。
完全に疑惑が晴れたわけではないが、世界を平然と見捨てられるニナーナとは違い、クゥフィアはこの計画に最初から前向きな姿勢だ。
この子の力が無いとそもそも時空移動が出来ないのだから、そうなればニナーナに選択肢は残されてなどいない。
渋々とばかりに黒玉をグレーに差し出すが、手渡す瞬間に、耳に口を近付けてぼそっと何かを呟くと、ニナーナはようやっと皆と同じ方向へと気持ちを向けたのだった。
──────




