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翌朝、事件は起きた。
民宿の娘が約束通り起こしに来たので、皆で朝食を取り、遊びたい盛りの子供達が昨日のスケート広場へ向かうというので大人達はそれに付き添って行く。
そして既に集まりつつある地元の子供に紛れて、意気揚々と滑り出し楽しんでいるクゥフィアの姿を少しばかり眺めてから、ニナーナはゼトとグレーに声をかけた。
「じゃあ行くぞ。夕暮れまでには戻るつもりだが、万が一の場合はすぐにでも次の世界へ飛べるよう、準備をしておけ」
「畏まりました。此方に何かあった場合も、手筈通りに遂行致します」
「もし私の刺客があそこに居たらそれも教えてね。殺り合えなくもない奴なら良いんだけれども、本気で戦いたくない相手なら私は全力で逃げるから」
「⋯その相手ってのは、厄介な力を持っているのか?それとも他に戦えない理由が?」
「ん?それはどういう意味だい?」
まるで特定の人物を想定するかのような物言いだった為、ニナーナが勘繰って質問をするも、グレーはその意図を拾えなかった風に逆に聞き返してきた。
やはりそう簡単には口を割ろうとはしない男に、特に期待はしていなかったので「まあ良い」とだけ返答する。
とりあえず、このデルトゥヒから神殿へは陸路で向かう為、一旦町の入り口へ向かおうとゼトに分身体を用意するよう促そうとした、その時。
町全体に、ベルと笛の音が響き渡ったのだ。
───チリーン⋯ピューィ⋯
昨夕に聴いた音色と同じである。
あちこちから驚きの声が上がり、外に出ていた者達だけでなく、建物の中から音を拾った者達も、その音に気付いた全員が条件反射的に空を見上げた。
それにつられてニナーナ達も同じところに視線を向ければ、そこにはいつの間にか空の架け橋が出来上がっていて、昨夕の様に礼聖師達が複数の組を作って、滑る様に渡って来ている最中であった。
彼方此方から「なんで?」「今日はミシュ・ミシュなかったよね?」という混乱の声が上がる。
それと共に、急いで建物の中に入るよう誘導する声も辺りに飛び交った。
だが、現地人が各々の作業を放り投げてでも通例に従おうとする中、ニナーナ達だけはその場に留まった。
厳密に言うと、宿の娘がクゥフィアの手を掴んで一番近くの家に連れて行こうとしたのだが、明らかに昨日よりも速やかに橋を渡り終えた礼聖師達がそれよりも早く地上へ足を着け、そのうちの二組が、クゥフィア達の行く手を阻んだのだ。
そして残る礼聖師達も、ニナーナ達三人を取り囲む様に降り立った。
楽器の音が未だ漂う中、異世界人達と礼聖師達との間には、一瞬にして緊張感漂う空気が張り詰めていく。
「⋯⋯真っ直ぐ、私達の処へ来たねえ」
「って事は、ノブデュレスの手の者なのは間違い無いな」
「坊ちゃん!」
ゼトが急いでクゥフィアの安否を確認する。
そのクゥフィアは、咄嗟に自分の手を握っていた娘を自分の背後に隠して、混乱している彼女を庇いながら、自分の真正面に立つ礼聖師の一人と相対していた。
少しばかりの無言の睨み合い。
先に口を開いたのは、礼聖師達だ。
「「「「我が主の導きにより」」」」
「神の子を」「悪魔を」
「崇め奉る」「滅殺せん」
反響するかの様な音を響かせると、クゥフィアを囲んでいた者達は揃って膝を付き、全員が崇拝の姿勢を示し、手を伸ばしてきた。
それを避ける為に身を引いたクゥフィアは、娘を連れて一目散に逃げ出す。
対してニナーナ達の方は、笛とベルの音が一層強く鳴り響くと同時に、礼聖師達の手に槍や剣や盾が出現して一斉攻撃を仕掛けられた。
ニナーナの方も魔剣を形成してそれに応戦し、ゼトは瞬間的に魔力を放出させ、直ぐにクゥフィアの傍に向かうと自らが盾になるべく動き出した。
その場の状況は途端に激変し、金属同士のぶつかる音と、雷撃を伴った爆発音等が飛び交いだす。
その中で風変わりな動きを見せたのはグレーだ。
彼は腰に着けているカードホルダーを開けると、ニナーナ達と初めて出会った時のように紙を複数枚取り出して、軽く息を吹きかける。
そしてそれを宙にばら蒔いた瞬間、紙に文字が浮き上がり、それぞれが三等身程の小鬼へと姿を変えた。
見目は小人サイズながら、金棒や鎖鎌を持っていて、頭には角を生やし、中々に強面な人相をしているモノばかりだ。
言い方を変えると、かなり厳つい。
それらは容赦無く礼聖師達に襲いかかり、力任せに地面に叩きつけてそのまま袋叩きにしようとするモノもいれば、礼聖師側と共に居た獣にあっさり凪ぎ払われて吹き飛んでいるモノもいる。
戦力は並ながら、数としてのバランスを取るには十分な存在だった。
召喚術とは違うその風変わりな力は、剣を振るっていたニナーナもしっかり目の当たりにした。
(やっぱり神術じゃねえな。俺の知っている類のどれにも当てはまらない、奴本来の戦闘術ってところか。出力もあえてあの程度に抑えているんだろう。体力は無いが強い、と豪語していたのはこういう理由か。アレなら確かに、神の涙の力を頼らなくても戦える)
そう思考しながら最低限度の身のこなしで敵の攻撃をいなし、隙が出来た礼聖師の胴体を躊躇なく両断した。
⋯⋯が、血飛沫が飛び散る事は無く、上、下半身ともが空気の流れに逆らう事なく揺れ動き、そのまま静かに霧散してしまった。
確かに実体を斬った手応えがあったの筈なのだが、その不可思議な現象にニナーナは「ほう⋯?」とだけ呟いてみる。
その現象はグレーとゼトの方にも起こっていた。
鬼に殴られ、切り刻まれた者も、雷撃で致命傷を負ったのだろう者も、戦闘不能となった獣ですら、次々と実体を失い霧散していく。
そうしてあまり時間をかけないうちに、礼聖師達は最後の一人どころか武器や楽器等も全て消えてしまい、その場には戦闘痕だけが残ったのだ。
神力の断片すら消失したのを確認したニナーナは、戦闘終了と判断して剣を闇に還し、ゼトの傍にいるクゥフィアの安否を確認する。
「無事か?」
「うん。僕は襲われなかったけど、ニナーナさん達の方が大丈夫だった?」
「あんなの食後の運動にもなりゃしねえ。歯応えがないにも程がある」
「仰る通りでございます。ですが⋯」
ゼトが言葉を濁らせながら、周囲に目線を泳がせた。
建物の中から注がれる、数多の視線。
突然に非日常的な出来事が起きた為、恐らく現状を把握しきれている者はいないだろう。
だがそれでも全員が、自分達の崇拝対象の使者達が今迄にはない異例の行動を見せ、人を襲い、そして見慣れぬ人物達がそれ等を撃退どころか、惨殺したという事実を目の当たりにした、と認識しているのは間違いない筈だ。
四方から感じる視線からは、警戒、恐怖、そして殺気が込められており、とても嫌な空気が漂っていた。
そして、クゥフィアがずっと手を握り締めていた娘も例外ではない。
今迄はされるがままに振り回されていた娘が、力の限りクゥフィアの手を振り解いて急いで後ずさった。
その顔に涙と、恐怖の色を張り付けながらである。
それを見たクゥフィアもズキリと胸を痛める。
クゥフィアはその表情を今迄何十回も、嫌という程見てきた。
巻き込まれた無関係の人達が、自分を拒絶する時の表情だった。
「殺した⋯れ、礼聖師様、たちを⋯ころしちゃった⋯」
「あ⋯⋯」
違う、と続けたかった言葉は、喉で引っ掛かって出て来なかった。
代わりに視界に長い腕が映り、クゥフィアを庇う様にしてニナーナとゼトが二人の間に立つ。
態度を変貌させた娘に向ける無慈悲で冷徹な眼差しは、幼い子供を萎縮させるには十分すぎる薬だ。
無言の圧力に足が竦んで動けなくなってしまっている程であり、次は自分の番かもしれないという恐怖すらも植え付けていく。
そんな折、一人の見慣れない成人男性が突然飛び出してきて、娘を抱き抱えるとニナーナ達に目をくれる事もなく、一目散に来た方向を戻って行った。
男が居たのだろう民家に急いで娘を非難させた直後、今度は周りの建物から様々な物を手に持った人々が姿を現して、騒動の中心にいた四人を、警戒心を露わにしながらじりじりと包囲し始めていく。
「恐らくこれが、礼聖師達の狙いだろうねえ」
その状況を冷静に肌で感じたグレーが、呑気に煙管を吹かし始めながらそう言った。
「勝ち目は無いのに、あえて攻撃をしかけてきた感があっただろう?あの光景を周囲に目撃させて、私達をこの町から追い出すのが目的だと思えば、まだ納得出来ると思わないかい?」
「⋯では、坊ちゃんを追い込み、神殿に向かわざるを得なくなる状況を作り出す為に、わざとあの様な手段を?」
「標的がクゥフィアだけとは限らねえがな」
暗に「狙われたのはお前の方じゃねえのか」とニナーナが訴えると、グレーは何故かニコリと微笑み返してくる。
「勿論私の可能性もあるね。どちらにせよ、この町の観光は諦めるしかなさそうだ」
そうあっけらかんと言い放った途端、「ソイツらを捕まえろー!!」「殺人鬼が!!」と叫ぶ声が全員の耳に入った。
こうして実害を加えてこようとしてきているので、もはや此方としても黙ってはいられなくなってしまう。
一気に迫ってくるデルトゥヒの住人達を一瞥したニナーナは、足元から闇の渦を展開させて、瞬時に範囲を広げる事で彼等を牽制した。
周囲に悲鳴と混乱が交錯する。
誰かしらが、悪魔だと叫んでいる声も聞こえた。
「こうなったら仕方がねえ。元々出向いてやるつもりではあったが、全員俺と一緒に来い」
そう言って、ニナーナは当初の予定通りの方向へと足を向けた。
「御意」
「う、うん⋯」
「いやあ、完全に後手に回ってしまったね。のこのこと罠に引っ掛かりに行く様なものだけれど、はてさてどうなる事やら」
「これ程迄に盛大な歓迎を受けたんだ。それ相応の礼をしてやらねえと気が済まんだろうが。文句があるならお前だけ残るんだな」
「冗談!私だけリンチのターゲットになるのは真っ平御免だよ」
大袈裟にリアクションを取る男を鼻であしらい、自分達に近付けないでいるデルトゥヒの住人達は歯牙にもかけず進んでいく。
途中、無謀にも此方へ突撃してこようという猛者が数人居はしたものの、闇の渦に足下を掬われて底無し沼の如く堕ちそうになり、他の者に救出されている姿すらもう眼中には無かった。
「ところで、移動手段はどうするつもりなんだい?」
「ゼンティウヌス」
素朴な疑問には口答せず、ニナーナはゼトに呼びかける。
するとゼトはその場で速やかに姿を変え、紫銀の、優艶且つ面妖さも放つ、不思議な馬へと変身した。
初めてそんな姿を見て驚いているクゥフィアを素早くその上に乗せて、ニナーナは慣れた様子でさっさと後ろに跨る。
「あれ?私の席は?」
「どうせその変な紙と力があれば、自力で移動手段ぐらい用意出来るんだろう?出来ないとは言わせねえぞ」
「ハハッ、お見通しなのだね。まあ隠し立てする気もなかったし良いんだけれども」
そう言ったグレーも先程とは違う札を一枚取り出して、人が背中に乗れる大きさの獣を具現化させた。
「おや、ルナールですか」
馬の姿であるゼトが普通に喋る。
「私は【妖狐】と呼んでいるよ。中々身軽で足も速いし、空中闊歩も出来るんだ」
「では、一思いに空を飛んで参りましょうか。宜しいでしょうか?ニナーナ様。坊ちゃん」
「任せよう」
「僕も良いよ」
少し元気を失くしたクゥフィアの返事を皮切りにして、ゼトは四本足に魔力を集中し、電撃の音を響かせながら人目を憚る事無く空へと駆けて行った。
遅れて妖狐の背に座ったグレーも、その足元に狐火を灯らせて後を追う。
こうして四人は、町の混乱を置き去りにして、一晩明かしたデルトゥヒから神殿へと真っ直ぐに向かった。
立ち去る最中、クゥフィアは少しだけ後ろ髪を引かれる思いで町を見下ろす。
「お前が気に病む事じゃねえ」
その心境を察したニナーナが、前を見据えながら子供に語りかけた。
励ますというよりも、事実を淡々と伝える程度のものではあるが。
それでも、自分が此処に来なければという自責の念と、折角仲良くなれた友人にあっさり拒絶されたという事実に、傷心した子供の憂いは晴れる事は無い。
そんなクゥフィアの思いを全員が汲み取りつつも、今は何を言っても恐らく効果は無い為、結局閉口するしかなかった。
「そう言えば聞きそびれておりました。グレー様のその、紙を媒体にした風変わりなお力は、一体何なのですか?」
気を逸らす為に、ゼトが今迄抱いていた疑問をグレーに唐突に投げかける。
「んー、何なんだろうね?」
返ってきたのは歯切れの悪い返答だ。
「私の家系で昔から受け継がれていた特殊能力だから、何?と聞かれても答えにくいんだよね。神術や️魔術といった固有名詞が特に無いんだ」
「先祖代々、秘匿してきた力って事か?」
「そうなるのかな?隠していたのかどうかは知らないけれど、でももう身内は全員いないから確認しようもないし⋯。結局のところ私自身も、この力の事を完全に把握出来ていない気がする。昔はただ、人よりも霊感があるなーぐらいにしか思っていなかったんだ。だから今断言出来るのは、この力は神の涙とは関係ない、完全に私個人のモノだという事ぐらいかな?」
そう締め括ったグレーは自嘲気味に苦笑してみせた。
その笑みは、どういった意味を含んでいるのか⋯。
少しばかりの沈黙の中、ニナーナ達は神殿間近の上空迄辿り着く。
近くで見ると一層厳かな本殿の周囲に、同じ様な形の建造物が密集し、遠方で確認したよりもとてつもなく巨大な神殿群であった。
視認出来る範囲に人が住んでいそうな居住地も多くあるので、規模としてはまるで一つの集落の様になっている。
そして礼聖師とはまた少し違った服装を身に纏っている者達がその集落内に集結しており、ニナーナ達がやって来るのを予知していたかの様に、各々が分かりやすく武器を構えている。
盛大な歓迎は未だ続いていたようだ。
「♧部隊か」
グレーが唐突に発言した。
「何?」
「ざっと見る限り、全員がクローバーのマークを付けている。♧部隊の信徒で間違いないね。この神殿はやっぱり、ノブデュレスの管理下に置かれている様だ」
目を凝らして見れば、確かに胸や腕、ネックレスといった様々な形で、昨日見せられたカードの柄の一つであるクローバーとやらを付けている者達ばかりがそこに居た。
「信徒とやらはピアス型じゃねえんだな」
「ピアスは主神から下賜される物なんだ。ノブデュレスに属する神候補の適合者でないと着用を許されない。だから信徒はそれ以外の形で、自分が崇拝する適合者の所属マークを身に付けるのが暗黙のルールになっていったらしい」
「こうして見てみると、♧は他種族しか居ないとばかり思っておりましたが、此処に居るのは人間ばかりなんですね」
「あくまで彼等は信徒だからね。適合者が認めさえすれば種族は問われないよ」
「成程」
ゼトが首肯した次の瞬間、嘶きと共に無数の雷撃が放たれた。
空からの来訪者が射程距離に入ったタイミングで、信徒達が大量の矢を打ち込んできたからだ。
それ等を跳ね返し、更に地上に向けて追撃をもしながら、ゼトは暫く空中を走った後に降りやすい場所へと着地する。
途端、四方から向けられる刃先。
神に仕える者達とは思えぬ殺意を、一心に浴びる事となった。
「念の為問おう。貴殿等は悪魔か?」
武器を構える信徒の一人が、ニナーナに向かって質問した。
「だったらどうなんだ?」
「神の子を誘拐した悪魔が貴殿等であるならば、滅殺せよとの神託が下っている。神の名の下に、大人しく天誅を受けるが良い」
「⋯⋯は⋯ハハ、ハハハハッ!成程、そういう設定なのか!」
下っ端にはノブデュレスの内情を隠匿し、分かり易い善悪を啓示する事によって、自分達の面子を保ちつつも罪悪感を持たない手駒に仕立て上げているのだろう。
神が善、悪魔は悪。
そして善である神の子を、悪魔が連れ去って逃亡し続けているという設定にしておけば、善徳を積んで楽園へ向かう事を望んでいる盲信者としては何の疑いも無く凶器を此方へ向けてこれるのも、納得のいく話であった。
実際には攫った訳ではないし、むしろ攫おうとしているのはそちら側であるのだが、その事実を知らないでいるのはニナーナにとって非常に滑稽である。
何とも短絡的な構図であろうか。
ツボにハマったのか、口元のニヤケが止まらなくなる程であった。
「何が可笑しい!」
口角を元に戻そうと頬を揉みほぐすのだが、その笑いが癪に触ったのか信徒は声を荒らげる。
それに反してニナーナは、わざとらしく自分の前に座っていたクゥフィアの顎に手をかけて、上を向かせながら自身も顔を近付けて、相手の神経を逆撫でするつもりで見せつけてみせた。
「欲しいならこの俺から奪ってみせろ。コイツはもう、俺のモノだ」
「ッ!神の子を救出せよー!!」
その号令と共に、一斉攻撃が始まった。
ニナーナは高笑いをしながらゼトを走らせてみせ、悪役らしく縦横無尽に信徒を翻弄してみせる。
「なんであんな適当な事言うのニナーナさんっ!!」
「陛下の悪い癖でございますよ。先程のはわざわざ挑発する必要などありましたでしょうか?」
「無いな。面白かったからつい」
「ニナーナさんーっ!!」
戦闘必至ではあったが、余計に焚き付けてしまった所為で猛攻撃に合う羽目になってしまった。
慣れている様子のゼトは兎も角、巻き添えを食らったクゥフィアが絶叫するのは無理のない話である。
その光景を、未だ空中に居たグレーは少し引き気味に眺め下ろしていた。
「前の世界で見た時から何となく思ってはいたけれど、火に油を注ぐのが趣味なのかな?これからアレに付き合わないといけないのか⋯いや、うん、確かに自分で決めた事なんだけれど⋯」
自信過剰で享楽主義な元独裁者の片鱗をいざ目撃してしまうと、「うーん、余計な火種も被りそう」と少しばかり先行きに不安を感じてしまうのだった。
そんな前途多難な舟に乗ってしまったグレーの方にも攻撃が飛んできたので、回避に専念しつつ、ゼトの横に並ぶよう低空飛行に切り替えていく。
「一先ず礼聖師が居そうな場所からあたるぞ。目標は神の涙の回収。可能ならばノブデュレスの撃破だ。目標達成後は直ぐに次の世界へ飛ぶが、絶対に深追いはするな。こんな所で全力を尽くす必要なんてねえからな」
妖狐が傍まで来たのを確認したニナーナが、全員に聞こえる様に指示を出した。
それを聞いて各々がしっかり返事をする。
「二手に別れるかい?」
「いや。出来る限り固まって行くぞ。その代わり最短ルートだ。クゥフィア、神の涙のある場所は分かるか?」
「うん。あの大きい建物の奥だよ」
ひときわ巨大な本殿。
正確には、その背面に聳え立つ雪山を指差す。
本殿自体が山壁を削ったのだろう場所に建てられていて、まるで一体化する様に隣接している事から、恐らく建物の中には山の傍まで抜けていける道があるのだろうと予想する。
これ程までに大規模な神殿が建造されている山なのだから、雪山というよりも霊峰と表現した方が正しい。
であれば、人々に認知されている神の涙が祀られているかもしれないという可能性に辿り着くのは、想像に容易かった。
四人は直ぐに方向を改めて、一目散に本殿へ向かった。
勿論様々に叫んでいる信徒達が行く手を遮るのだが、特に神力を与えられている訳でもないのか只の人間ばかりであり、魔術や単純な物理攻撃で簡単に跳ね飛ばされているのだから、何の障害にもならない。
特に苦労する事も無く、あっさりと本殿前に伸びる長い階段の前まで到達する事が出来た。
ところが。
「!止まれゼト!!」
此処へ来て、グレーが何かに気付いて妖狐の足を止めさせた。
ゼトはその叫び声に反応はしたが、速度を緩めるのが間に合わず、代わりにニナーナとクゥフィアを乗せたまま横へと緊急回避する。
その瞬間、空から突然の冷気と共に何かが降ってきて、三人とグレーの間に強烈な拳を撃ち込んで来た。
階段が割れ、空気が凍るその衝撃を全員が肌で感じ取り、先程迄には無かった緊張が一瞬にして走り抜ける。
「⋯⋯反応しなかったら、今頃誰かの脳天一つぐらいは砕氷できていたんだろうな」
振り下ろされている拳の先から、割れた階段が徐々に凍っていく。
明らかに先程よりも数℃気温が下がったこの場で動くのは、常人離れをした脚力で本殿から飛び降りてきた、白銀の獅子姿の獣人だ。
獣人はゆらりと立ち上がると、ニナーナ達には目もくれず、鋭くグレーを睨み付けてきた。
「会いたかったぞ。クリュプトン。ずっと、ずっと、ずうーっと⋯お前に会いたくて堪らなかった」
「⋯⋯今はグレーと呼ばれているんだ。久しぶり、ライディエゴ。私はどちらかと言うと、もっと穏やかに対話出来る場面で君と再会したかったかな?」
「そいつは無理な話だな。お前が裏切り者である以上、俺はお前の喉元を今際の際まで狙い続けてやるって決めたんだ。だから言葉なんていらねえ。なあ、俺のリュミアドネ?此処で大人しく俺に殺されてくれや」
「えー、それは難しいお願いだね」
勘弁しておくれよ、と続けながらグレーは困った様な表情をしてみせる 。
会話からしてどうやら二人は、そこそこに互いを知る仲であるらしい。
対して眼中に入れられていないニナーナは、ライディエゴと呼ばれた獣人の尋常では無い神力の圧に、内心焦燥してしまう。
右耳にクローバー、左耳にはA。
【♧A】、ライディエゴ。
その力量は恐らく、ニナーナの今の魔力を圧倒したグレーと同等か、それ以上のものであると推測できる。
であれば、今のニナーナでは太刀打ち出来ない相手であるのも、残念ながら簡単に予測出来てしまうのだ。
「おい、グレー。コイツはテメエの知り合いか?」
自分自身の狼狽は表に出さず、代わりに誤魔化す様に問いかける。
「うん。他部隊だけども、ライディとは色々あってね」
「なら此処はお前に任せる。俺達は先に行くぞ」
「え?ちょっとちょっと待っておくれよ。私を一人此処に置いて行く気なのかい?!ライディは私が全力で逃げたい相手ダントツ第一位なんだよ!」
「知るか。どう見たってコイツはテメエ宛の刺客だろうが。だったらテメエで何とかしてくれやがれよ鼠野郎」
「鼠呼ばわりは流石に酷い!」
いくら灰色繋がりとはいえその呼び方はあんまりだ!と嘆くグレーだが、ニナーナは聞く耳など持たなかった。
そんなやり取りを聞いていたライディエゴは、そこでやっとニナーナとゼト、そしてクゥフィアを横目で捉える。
「お前等が神の子と、護衛の悪魔達か。思った程大した事はなさそうだな。♤部隊はこんな連中相手に何遅れを取ってんだか」
癪に触る物言いだが、感情任せで牙を向いたところで、今はむしろ返り討ちに合うのが火を見るよりも明らかな為、無反応を貫く。
「この程度だったら俺がまとめて相手してやっても良さそうなんだが⋯お前等悪魔の相手は、この先で献身意欲の高い奴等が気合いを入れてるところなんでな」
「何?」
「まあ、付き合ってやってくれ。俺も悪魔がどのぐらい業に抗えるのか、少し興味はある」
意味深な言葉を伝えた直後、ライディエゴは神力を集約させ、咆哮するが如く発散した。
すると神力は疑似吹雪に変化して、ライディエゴの傍から極端に場が氷漬けになっていく。
グレーは咄嗟に札をかざしてガードしたものの、ニナーナ達は魔術で相殺しようとしたが、完全に圧されて呑まれてしまい、階段上へと勢い良く吹き飛ばされてしまった。
その瞬間、白銀の影が、吹き飛んだ衝撃で悪魔達から離れてしまったクゥフィアの胸元を捕まえる。
吹雪の影響で一瞬にして氷面となった神殿前の広場上に、悪魔二人が何とか体勢を整えながら着地する頃には、そのまま残像を残して外観の柱上まで登り切っていた。
「しまった⋯坊ちゃん!」
咄嗟に人型に戻ったゼトが叫ぶ。
蹲踞の姿勢でクゥフィアを宙吊りにしてみせるライディエゴは、急いで階段を駆け上がって来たグレーの姿を確認した後、己が解き放った猛吹雪を本殿の敷地全体に展開して、彼等を閉じ込める。
中に侵入出来なかった信徒達からは、本殿と霊峰の一部を丸呑みしているその吹雪の結界はさながら巨大なスノードームの様に見えており、その中はあまりにもの視界の悪さで状況を視認する事が不可能となっていた。
ライディエゴはドームを安定化させると、その制御を完全に手放す。
そして右耳のピアスに触れ。
「準備出来たぞ。後は任せる」
『『『畏まりました』』』
───チリーン⋯ピューィ⋯
楽器の音色と共に、雪風が吹き荒れる何も無い空間から多数の礼聖師が出現した。
町中での襲撃とは比にならない程の人数に取り囲まれて、ニナーナが状況を打破する為に魔術を展開しようとするが、氷面へ注ごうとした魔力が枝を広げる前に勝手に霧散してしまい、思うように魔術が発動出来なくなってしまっていた。
恐らくはスノードームの影響だろう。
完全にライディエゴの神力に圧倒されてしまっている今の自分に、弱小すぎて情けないと苛立ちが募り出した。
「それがお前の"傲慢"」
唐突に声が聞こえた。
耳元なのか、脳に直接なのかはわからないが、覚えの無い声が確かに聞こえたとニナーナは思った。
すると突然、ニナーナの魔力が本人の意思を無視して一気に放出され、のたうち回る動きを見せた後に絞め殺さんばかりの勢いで、ニナーナ本人の身体に巻き付いてきたのだ。
まるで内臓や神経すらも強引に引き摺り出すかのような感覚と、急に外に放り出されたが為に逆流して戻ってこようとしてくる力が反発して、逃れようの無い激痛と吐き気、圧迫感に嫌悪感、呼吸困難すらが急激に襲いかかってくる。
「ぐっう⋯!」と思わず呻くのも無理の無い話であった。
「"傲慢"は身を滅ぼす」
「己の過信。他者の軽蔑。屍の山に立っても尚、不遜であり続けるその身勝手さ」
「救いようがない。己の力に噛砕される罰が相応」
姿の見えない声がそう判決する。
又、ニナーナと同じタイミングでゼトにも異常が起きていた。
急に身体中から力が抜け、放電しながらも立っている事すらも出来なくなって、その場に倒れ込んでしまう。
「それがお前の"怠惰"」
声の言葉をちゃんと聞く気力すら、ゼトは奪われつつあった。
「他者に流され、それが間違っているとわかっていても従順する、思考の放棄」
「付和雷同。受動的。己の力すらも他者任せ」
「見ていて呆れる。このまま何もせず、永劫の眠りにつくといい」
こうして二人は一瞬にして身動きが取れなくなり、更に追い討ちをかける為、礼聖師達が武器を構えだした。
ニナーナはぶれる思考の中で焦燥する。
(不味い、流石にこのままじゃ袋叩きだ!獅子男の張りやがった結界で術が妨害されているのはわかるが、力の強制暴走に、ゼトの方は搾取⋯これは権能なのか?!一体今この場に、何人のノブデュレスが居やがるんだ!)
遠くでクゥフィアの叫んでいる声が聞こえはしたが、聞き取る程の余裕は無かった。
ほんの極少とはいえ、元が強力すぎる己の魔力に、身体が内外から粉砕されそうなのを何とか持ち堪えている状態なのだ。
応戦どころかまともな言葉すら出せない状況で、意識すら朦朧としかける中、礼聖師達が一気に距離を詰めて来るのを何も出来ずに待つしか無かった。
だが、攻撃が二人に当たる直前、今度はグレーの神力が彼等を保護する様に全てを弾いた。
吹き飛び、よろけた礼聖師達に、再び具現化された小鬼達が獰猛に襲いかかる。
その間にグレーは二人の前に立つと、迅速かつ慎重に神力を二人に纏わせ、権能のレジスト作業を行う。
「大丈夫かい?」
声をかける頃には、二人は自身の魔力制御の権限を無事に取り戻す事が出来ていた。
「あ、有難う、ございます」
「クソッ!何だったんだ、今のは!」
「内面に作用する事象系の権能だね。ライディの“スノードーム”が無かったら、君達も自力でレジスト出来ていたかもしれないけれど」
「「それは心外」」
二重に重なった声の方を一斉に振り向いた。
地上と空中から雫状に空間が歪み、破裂する。
中からは、非常に酷似した容姿の一つ目の男達が姿を現して、その大きく鋭い目で全員を見据えてきたのだった。
──────




