3
前の世界ではあまり食べられなかった温かい食事を口いっぱいに頬張り、ひと仕事終えたばかりのクゥフィアはニッコニッコと笑顔を零していた。
新たに仲間に加わったグレーが、子供が好きそうなメニューばかりを選んでクゥフィアの皿に取り分けてくれるのが嬉しい要素だったようで、年相応の姿を見せて兄と呼ぶ男を既に慕い始めている。
対するゼトの方はあまり好き嫌いをさせたくない為、大人好みの味付けをされている肉や生の野菜、チーズの様な加工品をクゥフィアに勧めてはいるが、リスを彷彿とさせる程に頬を膨らませてぷいっと顔を背けられてしまうと、分かりやすすぎるぐらいに影を背負って落ち込んでしまった。
(これは何の対決をしてるんだ)
第三者目線でいたニナーナが、思わず心中で突っ込むのも無理のない光景である。
そんな神の子一行が今居るのは、雪と氷、そして内海の上に浮いている無数の氷山に囲まれた、とある国の沿岸部に位置するそこそこ大きな町、【デルトゥヒ】にあるレストランだ。
雪と氷、とは言うが、地面がしっかり見えている場所も多くあって、陸地側の山は岩肌が露出している。
その為に住人の感覚では今日は比較的外出しやすい気候な様で、そこそこ人の往来が見られ、このレストランでも友人同士や家族連れらしき組が多くあったので、ニナーナ達でも問題無く馴染めている状況だ。
到着した直後はあまりにもの寒さに凍えてしまいそうではあったが、衣替えをして数時間も過ごせば、前に居た鉄やコンクリートばかりの機械産業都市よりも断然過ごしやすく、人の温かみすらも感じられる場所であった。
そのまま観光気分でカラフルな街並みを暫く散策していると、クゥフィアの腹の虫がその存在を盛大に主張してきたので、今は彼等的には少しばかり早いディナーを取っている最中である。
ここで問題になってくるのは支払いに関してだが、既に私物を現金化する事ができた為、何の問題もない。
グレーが今、勝手にメニュー表を開いてデザートを追加注文していても、十分に払えるだろう貨幣がちゃんと手元にあるのだ⋯。
「お前、この世界の文字が読めるのか?」
その姿をスルーしそうになったニナーナだが、ふとした違和感に気付いて即座にグレーを問い詰めた。
目の前に並んでいる食事に関しては適当にメニューを指差してオーダーしたものだったのだが、グレーは呼び止めたウェイターに向かって、メニューに書かれている料理名をはっきり伝えたのだ。
異世界人が、初めて訪れた土地の文字をすぐに読める訳が無い。
なので突然に突き刺す様な疑問を投げてみたのだが、対するグレーの方は何食わぬ顔で。
「うん?読めるよ?」
さらりと答えた。
「俺達にはさっぱりなんだが、まさかこの世界の出身、てワケじゃねえだろ。神術の一種か?」
「これは私のフィアの権能による恩恵さ。言語訳だけでなく、全世界の文字を解読出来るんだ。結構便利そうな能力だろう?おかげで外国語のテストはいつも満点でした」
「テスト⋯?何の話だ」
訝しんだが、「何でも無いよ」と適当にはぐらかされた。
すると今度はクゥフィアが、一通り満足いく程度に食事を堪能してから、間に入って無垢な質問をする。
「そういえば、お兄ちゃんの神の涙ってどーいう子なのか、僕たち知らないや」
「私のは非戦闘型だよ。目に見えてわかる様なタイプではないし、口で説明するのもちょっと手間かなあ。まあそのうち教えてあげるよ。此処で披露するものでもないし」
「もったいぶりやがって。じゃあ、その腰に着けて持ち歩いてる紙のヤツとは別物、と捉えといたら良いんだな?」
ニナーナが再び発言し、グレーの腰にあるベルトホルダーを指さした。
魔術でこの町にいる住人と大差ない服装を纏いつつも、そのベルトホルダーと両腕の金具付き長グローブだけは形状を変えないままにしており、ホルダーの中には前の世界で飛ばしていた不思議な人型や札みたいな紙が何百枚と入っている。
デュアル・ファン・エディネス出身の彼等にとってはあまり見慣れない模様が描かれているモノもあり、そしてその紙からは、神力とは違う類の力を僅かながらに感じるのだ。
その点をオブラートに包みながらも指摘すれば、グレーはそれも特に隠す気は無いのか、からりとした態度を取るのだった。
「うん。別物。ややこしいかい?」
「⋯いや。世界が違えば常識だって幾らでも変わる。お前の中に二つの異質な力が宿っていても、さほど疑問に思う必要は無いんだろうよ」
「流石は百戦錬磨の魔皇帝様。どんな時でも柔軟な発想は大切だね。それに、今君達に話すべきなのは、私の事ではなく、ノブデュレスについてだ」
そう前置きをすると、おもむろに空いた大皿達を端に除けて、懐から出した物を机の上に置く。
気を持ち直したゼト含め、三人が同じ様に覗き込んでみると、クリアケースに入った見慣れないカードの束がそこにあった。
「君達はトランプを知っているかい?」
グレーはそのケースの蓋を開け、中身を全て取り出すと、決まりがあるのか机一面に規則正しく並べていく。
そして数分もしない間に完成したのは、縦四列、横十三列の様々な絵柄ながらも、統一感のあるカードの行列である。
数字とアルファベット、四種のマークに、中には人の絵が描かれている物もあり、一枚として同じ絵柄がないそのトランプカードは、デュアル・ファン・エディネスにもデューベにも無かった代物だ。
「カードゲームの一種なんだけれど、ノブデュレスの派閥と序列はコレに準えて構成されているんだ」
縦の列が派閥。
♡の【クール】。
♢の【カロー】。
♤の【ピック】。
♧の【トレーフル】。
この四派閥に分類され、無数にある世界のうちから、重要地点とされている場所の管理や調査、捜索等を行なっている。
そして横の列は序列。
派閥の総司令官である、No.13・【K】。
副官・司令官補佐、No.12・【Q】。
参謀長及び師団長No.11・【J】。
この三塔と呼ばれる統率者達と、その下に一部空席はあれど、No.10~2の構成員によって成り立っている。
「私は♤Jの地位にいたから、一応♤部隊の序列三位だったんだ」
「これだけ見れば五十人前後。一派閥に最大で十三人ってところか。だが、内情はもっと大規模なんだろう?」
「そうだね。三塔ともなれば複数の世界を掌握している者ばかりだし、一番下のNo.2でも、一国の軍隊を動かせる程の軍事力を持っているのが殆どだ」
「それなら構成員というよりも、貴族階級に当て嵌め、それぞれがその地方等を統治している貴族の様なもの、というイメージで考えていた方が宜しいのでしょうか?」
「まあ、自分達をノブデュレスと言っているぐらいだから⋯。Kが王族、Qは公爵、Jは侯爵、といった具合で、それより下のNo.10からは伯爵以下の爵位持ち、という事になるのかな?」
「お前が侯爵級ねえ⋯」
じとりと値踏みされるが、「だから私はなりたくてなったワケではないんだって」と急いで弁明した。
それでも大まかな構成を知る事が出来たのは、今迄に無かった大躍進ではある。
続けてクゥフィアが尋ねる。
「1は?ココのところはマークが一個だけだけど、数字じゃないよ?」
一番端に並べられた四枚の縦列を指差すと、グレーは再び説明に入る。
「それは【A】だ。本来はAが1の意味なんだけども、ノブデュレスでのAの階級は、この序列順とは枠が外れた仕組みになっている。彼等は通称・エースとも言われていて、自分の支配域を持たない代わりに、単独の自由行動を許される実力者揃いなんだ。人手が欲しい時はJと同程度の権限で、10以下のナンバーズを動かす事もある」
「Aとは、初めて聞くお話です。その様な者達が存在するとは⋯」
「クゥフィアの捕獲任務は基本的に♤部隊の下位者が担っていたからね。だけどもAの任務は別。ごく稀に神の涙や適合者なんかの中から、破壊神にとって不都合になる存在が現れる。その排除任務が主な仕事なんだ」
「となると、お前を追いかけて来るとしたら、此奴等になるのか」
「恐らくは。権能の相性次第ではKにも匹敵する者だって居るから、無事に逃げ切っていけるだろうかといま私は戦々恐々としているところさ」
「「どの口が言う(のですか)」」
ニナーナとゼトが思わず口を揃えてツッコむ。
戦々恐々どころか、丁度運ばれてきたデザートをクゥフィアと分け合いながら、朗らかに微笑んで堪能し始めているではないか。
この緊張感の感じられない男を何処まで信用しても良いのか、甚だ悩ましいところである。
思わず呆れも混じりそうになるが、ニナーナはノブデュレスについて、他にも気になる点があった。
「組織構成はほぼ理解した。で、このノブデュレスの頭は誰だ」
そう、肝心の組織のトップだ。
これまでの説明で組織の規模は大体見えたのだが、今のままでは各派閥毎に統率者が異なっており、三つ首どころか四つ首の状態になってしまう。
破壊神本人が頭目かとも思案したが、あくまでソレは崇拝対象であり、恐らく破壊神とは別にノブデュレスの全適合者を統べる存在が居るはずだと、ニナーナは睨んでいた。
するとグレーは口に含んでいたデザートをきちんと呑み込んでから、未だ手元に残していた一枚のカードを、並べたトランプの上にこれみよがしに置いてみる。
「【ジョーカー】だ」
その一枚には、トランプを散りばめる道化らしきイラストが描かれていた。
「ノブデュレス一、謎の人物。いや、人かどうかも怪しい。何せ自分の事を神の使者と名乗っている上に、ちゃんとした姿を見た者は誰も居ないんだ。人型の様ではあるが、いつも光のベールに身を包んでいて、輪郭しかわからずじまいだった。このジョーカーがノブデュレスの実質トップだよ。神の涙やフィアの適合者達を集めて、破壊神からの神託という名目で各部隊に指示を出しているのさ」
「ジョーカー⋯」
その名の響きと、目の前で滑稽に笑うジョーカーの顔を、ニナーナはしっかりと記憶した。
神を気取る者達を人間の遊び道具で束ねつつ、自らもその道具を名乗っている存在は、果たしてどんな者であろうか⋯。
「先に言っておくけれど、私からジョーカーの情報を引き出そうとしても無駄だよ。コレに関しては調べてみても何の成果も得られなかったんだ。その実力すらも測り知れないから、出来うるならば、私達の前に現れる事が無いように祈っている」
そう付け加えると、クゥフィアの幸せそうに頬張る姿を見て、またちゃっかりウェイターを呼び止めようとするグレー。
それを見たゼトが思わず反射的に、「坊ちゃんに甘い物を食べさせすぎないで下さい!」と叫んでしまったのは、正直無理もない話である。
甘やかすなとは言わないが、人の金だと思って遠慮無しにバカ食いはしないで欲しい、と思いつつ、最終的にはクゥフィア本人が満腹と満足を主張した事でこれ以上の出費は免れたのだった。
ノブデュレスに関する重要事項の確認後、ひとまずは話を打ち切って、四人は混み合い始めたレストランを後にした。
次に、まだ宿を確保していないのでどうするかと軽く相談していれば、そのタイミングでクゥフィアが何かを見つけ、ゼトに呼びかける。
「ねえねえ、ちょっと遊んできても良い?」
顔色を伺う様な仕草をするクゥフィアの目線を追うと、広い道の一角に天然のスケート場が出来ており、靴裏の土を払った子供が五、六人ほど楽しそうに滑って遊んでいる。
歳も近そうな子達ばかりなので興味を抱いたのだろう。
混じりたそうにもじもじしている遊びたい盛りの幼子に、ゼトは目配せでニナーナの判断を仰ぎ、軽く首を動かしただけで了承を得ると胸に手を当てて軽く会釈した。
「宜しいですよ。お供致します」
その言葉を聞いた瞬間、クゥフィアに眩いばかりの笑顔が溢れ、大喜びで走って行った。
その後をゼトだけでなく、ニナーナとグレーもゆったりと追いかける。
「ねえ!僕もそれやりたい!一緒にやらせて!」
追いついた頃には、一番近くにいた少年に元気に呼びかけている声がはっきりと聞こえた。
「だれきみ?見ない子だね」
少年が、突然声をかけてきたクゥフィアに素直な質問を投げかける。
「僕クゥフィア!今日この町に来たばかりなんだ!」
「旅行?」
「そんなところ!しばらくはこの町にいるよ!」
「なら明日の朝ごはんの後にでもまたおいでよ。今日はもう帰る準備をしてるんだ。もうすぐ【ミシュ・ミシュ】の時間だからね」
「?みしゅみしゅ?」
「きみも早く今日泊まるところに帰った方が良いよー」
そう言うと、子供達は本当に帰り支度をしていたらしく、各々荷物を持って、挨拶代わりに手を振り合いながら解散してしまった。
初めて聞く言葉に疑問符が剥がれないクゥフィアと、同じ心境である悪魔達。
「何だ?ミシュ・ミシュってのは」
「貴方ら観光客なの?なら、ミシュ・ミシュを知らないのも無理はないよ」
ニナーナの呟きに反応したのは、遊んでいた子供の一人を迎えに来た母親らしき女性であった。
「ミシュ・ミシュってのはね、神に感謝と祈りを奉献する、この地域に昔からある習慣なの。月毎にミシュ・ミシュを行う町は変わるんだけど、今月はこのデルトゥヒが担当でね」
そう言いながら、とある方向を指さした。
その先には、流氷が浮いている内海の更に奥、雪の積もった山脈があり、岩壁のあちこちに何かの建物が建てられている。
此処から相当離れているので完全には視認出来ないが、そのうちの一つがかなり荘厳で巨大な建造物のようで、それを取り囲む様に多くの建物が散らばっている風であるのは遠目からでも見て取る事が出来た。
「時間は日没前後の三十分間。その間、あそこにある神殿から【礼聖師】様達が町へ下りてきて、町全体に祝福を振りまいて行ってくれるのよ。そんで礼聖師様達が町にいる間はその祝福の邪魔をしないように、皆家の中に入っておくのがしきたりなのね」
「れーせーし?」
「その祝福とやらは毎日行われるのですか?」
「いんえ、決められてる日だけよ。今日のミシュ・ミシュで今月分は最後さ。貴方ら運が良かったですねえ。泊まる宿はもう決まってるの?」
「実は今丁度、宿探しをしている処なんですよ。宜しければ何処か良い所を教えていただけると有難いんですが」
グレーがにこりと笑って女性に尋ねれば、その顔に付いた傷痕を見て一瞬言葉を詰まらせつつも、瞬時に気にしていない風を取り繕った。
それどころか、待ってましたとばかりに商売人の顔付きになる。
「ならうちの民宿においでなさいな。朝食付きでご用意しますよって!」
「おや、もしや女将さんでしたか?それはそれはなんという偶然!ではお言葉に甘えさせていただこうかな」
「おい、なんでお前が勝手に決めようとしてやがる」
わざとらしい台詞にニナーナが釘を刺すが、この好都合の提案自体は否定しない。
そのまま四人は女性の後をついて行く事にした。
道中、女性が迎えに来た娘とクゥフィアが二人で話をしていくうちにすぐ仲良くなり、案内された民宿に着く頃には手を繋ぐまでにもなっていたのは、一部を除く保護者達にとっては胸あたたまる光景でもあった。
同年代の友達が居なかったクゥフィアにとって、とても貴重な関係と経験である。
そうして宿に着くなり簡単に手続きを済ませ、四人部屋をあっさり確保すると各々旅の疲れを癒しつつ、──いつの間にか日没の時間となる。
今は部屋の扉をノックして入ってきた宿の娘が、クゥフィアと一緒にミシュ・ミシュを見ようとロウソクを片手に誘いに来て、そのまま二人して窓辺に張り付いている。
「そんなにガッツリ見てて良いものなのか」
「祝福を邪魔しなければ良いんじゃないのかな?」
「もちろんちゃんとアタシたちも心の中でお祈りしなきゃいけないよ。お兄さん、神さまをあまり信じてなさそうだけどちゃんとやってよ?」
「おいおい、人を見かけで判断したら駄目だぞ。俺はちゃんと神が存在している事を知っているとも」
「ほんと〜?」
じとーっと幼子に訝しげな目を向けられるが、全く嘘は付いていないので心外であった。
信じているいない以前に、いま娘の真横に現在進行形で窓に齧り付いていて、これから何が起こるのかわくわくしているのがその神の生まれ変わりであるのだから、疑う余地など無いというのに。
───チリーン⋯ピューィ⋯
そんな折、外からベルや笛の音が聴こえてきた。
娘が「来た!」と小声で叫んでまた外を凝視し、後ろから大人達も覗いてみれば、其処には先程まで無かった光景が広がっていた。
日暮れの光がデルトゥヒと神殿の間に空の架け橋を創り、その上を風変わりな集団が渡って来る。
淡く発光しているベールで全身を覆っており、ベルを鳴らす者、笛を吹く者、ランタンの様な物を持つ者、そして四足歩行の獣の上に乗る者が組を作って列を成し、デルトゥヒ付近の上空に到達すると四方へ分散して、地上へと降りた。
そのうちの一組が民宿の比較的近くに姿を見せる。
「わあ、ラッキーね!礼聖師様がこんな近くに降りて来るのってけっこう珍しいよ!」
その姿に興奮した娘が小さく甲高い声を出す。
だが、その礼聖師の姿を間近で捉えた瞬間、ニナーナとゼトはその表情を険しいものに変えた。
「ゼト、気付いたか?」
小声で側に立つゼトに呼びかける。
「はい、ニナーナ様。あの者達から、僅かな神力を感じます」
「アリステアの虫共に近いな。って事は⋯」
「んー。この感じ⋯もしかして【♧4】かな?」
顎に手を添えたグレーが、さらりと零した。
推測が確信に変わるには十分な発言であるが、思わず怪訝な目を向けるのも仕方がないだろう。
「え?何その目。もしかして今私、疑われているのかい?」
「当然だろうが。お前、礼聖師が何か知っているのか」
「いや何も。完全に初見だよ。ただ⋯」
「ねえお兄さん達、ちょっと静かにして!ちゃんとお祈りしてよ!」
遮られて目線を戻せば、両手を組んで祈りのポーズをしている娘と、その所作を律儀に見様見真似しているクゥフィアが居た。
本当に祈ってしまったら自分が加護を与えてしまうので、あくまで形だけではあるのだが、別にやらなくても良いのにと思ってしまう。
するとグレーも「こうかな?」と言いながら同じように真似しだすので、話の続きを言及するのは後回しにして、礼聖師の動向を見届ける事にした。
礼聖師達は楽器の音色を響かせながら、まるで滑るかの様に少しの間着地地点を周回すると、そのまま町中を徘徊し始める。
視認できる位置に居たのはそのたった一分足らずの間だけで、後は段々と遠のいていく音を拾うだけであっさりと日が暮れてしまい、外が暗くなる頃には楽器の音すらも聞こえなくなってしまう。
⋯こうして、いつの間にかミシュ・ミシュは終わっていた。
「⋯⋯これだけか?」
「これだけよ」
「⋯⋯⋯」
何とも呆気ないものだが、徘徊する者達の邪魔をしない為に此方が閉じ籠っているだけの状況なので、エンターテインメント的なものは特に無いのだろう、と考えを改める事にした。
そして娘はまた明日の朝起こしに来ると言って部屋を出て行き、部外者が居なくなったタイミングで、グレーが先程の続きを話し出す。
「今の礼聖師だけども、ノブデュレスの一員から神力を分け与えられているか、権能の一種かもしれないね」
「♧4と仰っていましたね。詳しく教えて頂けますか?」
「勿論。と言いたいところだけれど、他部隊だったからほぼ面識は無いし、あまり情報は持ち合わせていないよ。♧4、名は確か、ヘイヌーだったかな。基本的には自分の管理地区に駐在している奴だから、此処がたまたま奴のテリトリー内だったのかも」
「本当に偶々か?」
疑り深い詰問が刺さる。
「お前が転移の方角を指示したんだ。その転移先を人為的に操作して、俺達をノブデュレスの支配領域に誘導した、と疑っても何ら不思議は無いと思うんだが?」
「その気持ちは良く分かるよ。しかしだね、まだ力の回復していない私にその様な芸当はこなせないし、結界の管理世界に向かうなら、その付近に漂う他の世界もノブデュレスが支配している可能性は十分に有り得る話だろう?それにどうせ誘導するなら、♧部隊よりも、もっと連携が取りやすい♤部隊の領域に誘導するね。まあ私は追われる身だからやらないけれども?」
「なら今回は、本当に偶々だと言い張るんだな?」
「クゥフィアに誓って」
右手を挙げて宣誓するので、信じる訳では無いが一旦不問にする事にした。
どうせ黒だったとしても、これ以上問い詰めたところで口を割りそうにはないので、ならばもう少し時間を有効に使うべきだとニナーナは考えたのだ。
「ヘイヌー、と言ったな?どんな奴だ」
「自然系の神の涙の適合者で、崇拝意識が高い印象だったのを覚えている。私が奴の姿を見た時は人間の姿をしていたのだけれども、♧部隊に所属している以上、恐らくは別の種族である可能性が極めて高いだろう。フィアの権能は、【ヨトゥン】と聞いている」
「よとぅん、とは?」
「"霜の巨人"という意味だが、これ以上の詳細は残念ながら持ち合わせていないんだ」
そもそも、礼聖師達の纏っていた神力がヘイヌーのモノに似ていたから名を出しただけで、もしかすれば別の神の涙関連かもしれないよ、と最後にグレーは付け加えた。
それを聞いたニナーナは少し思案する。
ノブデュレスにしろ、他のフィアにしろ、あの礼聖師達が何らかの神の涙と関連している事が濃厚である以上、あの者達がやってきた建造群を調査してみる必要はありそうである。
虎の穴に飛び込む価値を見出して、未だに窓の外を気にかけているクゥフィアに目を配る。
「坊ちゃん、どうかされましたか?」
ゼトもその様子に気付いて声をかけると、クゥフィアは礼聖師達が来た方向、神殿を唐突に指差した。
「あそこ、フィアがいるよ」
その言葉に全員が反応を示す。
「起きている子だ。誰とも適合していなくて、普通に起きてのんびり過ごしてる。でもちょっと退屈そう」
「待て。クゥフィアお前、神の涙を感知出来るのか?」
「うん。これぐらいの力の子は前まではもっと近くに行かないと分からなかったんだけど、ちょっと神聖力が使えるようになったからかなあ?さっきのミシュ・ミシュに反応したみたいで、僕もいま気づいた」
「成程。であれば、土地神レベルのフィアがあの神殿に棲みついているのやもしれません。ミシュ・ミシュはそのフィアの為の儀式で、人々の祈りを対価に、礼聖師を媒体としてこの土地に加護を与えている、と推測する事も可能です」
クゥフィアの探知能力を知っていただろうゼトは、さも当たり前の様に憶測を立てた。
初耳であったニナーナは内心、(先に教えておけよ⋯)と思ったが、そういえば前の世界で二人に尋ねた時、神の涙の存在確認等もしながら旅をしていたというのを聞かされていた事を思い出す。
無限にある世界の広大な大地で、どの様に探し回っているのか少し疑問には感じていた為、捜索方法を早めに知る事が出来て良かったと前向きに捉える事にした。
すると、今度はグレーが口を開く。
「君の感知能力は、適合者の中にあるフィアや"怠け者"にも反応するのかい?」
その質問に、クゥフィアは首を横に振る。
「ううん。適合してる人はだいたいその人の意思で力を出し入れしちゃうから、しまわれちゃうと感じづらいし、眠ってる子も本当に近くまで行かないとわからないよ」
「うーん、という事は、あそこに適合者が居るかどうか迄はやっぱり分からないかあ」
悩ましげに唸ってみせ、全員で今後の動き方について思案する。
礼聖師、神殿、そしてこの土地の神の涙を調査するのは満場一致なのだが、問題はクゥフィアを同行させるかどうかだ。
もし神殿にノブデュレスが居るというならば、敵陣にこの子供を連れて行くのは決して得策では無い。
居ない可能性も勿論あるが、居ると仮定して戦力を分配した方がリスク回避に繋がるので、その点を踏まえた上で諸々を話し合っていくのだが、理想の形としてニナーナとグレーの二人で調査に向かう、と意見が出たところで待ったをかける者がいた。
「私だって命を狙われている身だよ?危険を犯してまであんな所には行きたくないね」
そう、この男である。
「♧4はお前のJよりかなり下の階級だろうが。今更何をビビっていやがる」
「それとこれとは別。私の権能は戦闘向きじゃないって言った筈だよ。それに更に上の適合者やAがこっそり隠れていて、のこのこやってきた私を背後からグサーッと殺りに来るかもしれないじゃないか」
「俺達の役に立つと豪語したのもお前だ。足手まといになるぐらいなら、今ここで俺がグサーッと殺ってやっても構わないんだぞ」
「君ってすぐそうやって脅迫に移るんだね。自分の気に入らない事があったら力でねじ伏せようとする思考、治した方が良いと思うよ」
余計なお世話だ、と吐き捨てそうになった。
正論ではあるが、人情味を出して接したところで何の得もしない相手に情けなど不要、というのがニナーナの持論だ。
とはいえ強要したところで、嫌だの一点張りを貫く男を何としてでも動かさなければならない程、状況が切羽詰まっているわけでもない。
出来る限り自分の監視下に置いておきたいという希望的観測の部分が大きい為、その案が通らないのであれば、ゼトの分身魔術をあてにすれば良いだけの話だった。
本体は引き続きクゥフィアの身辺警護に、そして分身体がニナーナと共に調査へと。
そうすればとりあえずの戦力バランスが保たれる上、クゥフィア側に何かあったとしてもゼトの魔術でニナーナの下へ避難させる事が可能となる。
結論としては、そちらの案で行動する事が決まった。
「では方針が決まったところで、私はちょっと一服しに行かせてもらおうかな」
そう言うとグレーはアピールするように煙管を見せつけて、誰の許可も取る事なく退室していった。
その後ろ姿を一旦は見送るが、「ゼンティウヌス」とニナーナが促した事でゼトも後を追い、部屋にはニナーナとクゥフィアの二人だけが残される。
「どこに行ったの?」
「外の空気を吸いにだよ。クゥフィアお前、あまりグレーに心を開くな」
「?どういうこと?」
「アレを信用するなって事だ。何の目的があるのかはわからねえが、お前を懐柔しようとしているのは明らかなんだ。恐らくお前の力を利用して、何かを企んでやがる」
「??そう、かなあ?」
納得していない様子で少し唸ってみる。
会ってまだ半日程も経っていないが、元々が人懐っこいクゥフィアにとっては、親切にしてくれる相手に懐くには十分な時間といえるのだろう。
だが裏切り騙し合いの弱肉強食世界で生きてきた悪魔達にとってはそうとは限らず、今も民宿の裏手でのんびり煙管を吹かせ始めているグレーを、ゼトが物陰から盗み見し、何か怪しい動きが無いか監視している程だ。
彼が何者であり、どんな狙いで此処に居ようとしているのか、その腹のうちが読み解けるまでは、こうしてゼトかニナーナが常に目を光らせて警戒を怠らないでいくつもりである。
決してあの男を、クゥフィアと二人っきりにはさせない。
それが悪魔達の共通認識だ。
「僕は、大丈夫だと思うけどなあ」
ぽつりと呟かれた声は、届きはしたものの拾われる事なく、部屋の中で空気に溶け込んだ。
ミシュ・ミシュが定刻通りに無事終了し、礼聖師達が戻ってきた神殿内。
儀式等を行うのだろう大広間の奥に巨大な神像と天使像が祀られており、その前には礼聖師達に似た姿の陰が一つあった。
その陰は、静かに像の前で両膝を付くと、神像の上の方へと声をかける。
「師達より、神の子の気配を確認、したと記録、がありました」
祈りの姿勢で顔を上げれば、神像の肩にゆったりと寝そべる獣人の、垂れ下がった尾が一揺れする。
「⋯奴も一緒か」
「そこまでは分かり、かねます。記録では神聖力を確認、したのみで姿までは、捉えられておりませぬ故」
「いや、居る。確実だ。そんで向こうもお前の神力に気付いた筈だ。だがアイツの性格じゃ、こっちを無視してくる可能性がある」
「そこまでお察し、であるとは。では、吾はどの様に⋯?」
静かながらも通る声で指示を仰ぐ。
すると獣人は、更に尾を一揺れさせて下を睨んだ。
「煽れ。奴がこっちへ来るしかない状況を作れ。来さえすれば後は俺が奴の相手をする」
「ですが、神の子の護衛達は如何、致しますか?吾だけでは恐らく、手も足も出ます、まい」
「「そこは我等にお任せを」」
大広間の入口から発せられた声に振り向くと、いつの間に現れたのか、まるで鏡写しの様に瓜二つの容姿をした一つ目の異形達がそこに立っていた。
片方の右耳に♧、もう片方の左耳に10のピアスがそれぞれ付けられている。
その二人の姿を見た獣人は、少しばかり不機嫌そうに顔を顰める。
「なんでお前等が此処にいるんだ。担当外の区域だろ」
「♧Kより勅命が下りました」
「元♤Jが神の子達と行動する可能性が高く、その為、神の子の捕縛難易度が桁違いに跳ね上がったとの事」
二人は交互に説明をする。
「故に、K同士で議論した結果、今後の神の子捕縛任務は、Q以下の全ノブデュレスが派閥を問わず、最重要任務として遂行するように変更されました」
「それに先駆け、神の子が滞在している可能性の高いこの世界に、我等が派遣された次第です」
「吾は何も賜って、おりませぬが⋯」
「それは当然」
「だって我等が、♧4と♧Aへこの事を伝える様、言付かったのだから」
「⋯⋯」
今伝えられただけでも良しと思え、とでも言わんばかりのおざなりな待遇に、陰は思わず閉口してしまった。
対する獣人は深く溜息を吐き、像の上で立ち上がると身軽に飛び跳ねて、皆の居るフロアへ降り立つ。
「K共の判断なら文句は言わねえが、奴だけは俺の獲物だ。邪魔するなよ?」
「重々承知しています」
「我等はあくまで神の子の捕縛に務める迄」
「なら⋯良い」
一つ目達を鋭い眼光で睨むと、後は特に興味を持つ事もなく早々に大広間を出て行った。
その後ろ姿を見送る陰は、神殿の奥から何かを訴えようとしているオーラを敏感に感じ取る。
長い年月、これといった大きなトラブルも無く信仰し続けられていた存在は、何やら一波乱ありそうな予感がして少しばかり高揚しているのだろう。
自身の領域を踏み荒らされるよりも、退屈への脱却を期待しており、興味津々でこちらの動向を観察している、そんな雰囲気が読み取れた。
であれば、陰がこれから行うべき事は必然的に決まってくる。
否、元からそうする様にと定められていたのだろう。
「全ては、主の御心、のままに」
───────




