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ちゃんとした大人になる

 中間テストまで、残り5日になった。

 中間テストまでの1週間はバイトは休みだから、勉強に専念できる。

 私達は京ちゃんとの残された時間を大切にしつつ、学業に励んだ。


 

 そんなある日。

 私が一人で施設の廊下を歩いていると、愛ちゃんが壁際で泣いていた。

 まだ、包帯は取れていない。


「どうしたの? 愛ちゃん」

「帰りたい」


 愛ちゃんは聞き取れるギリギリの声で言った。


「帰りたいって、どこへ?」

「お母さんとお父さんのところ」


 私にとって、その言葉は落雷を受けたかのように衝撃的だった。


「ど、どうして? 愛ちゃん、殴られたりしたんでしょ?」


 職員から直接聞いたわけではないけれど、愛ちゃんの傷跡から虐待を受けて来たのは明白だ。

 私のように恨むならまだわかるけれど、この安全な施設から虐待親の元へ帰りたいと願うのは、理解ができなかった。


「好きだから、お母さんとお父さんが」


 ますます、理解できない。

 虐待親をどうして好きになることができるだろうか。


「お父さんとお母さんが私を叩くのは、私が悪い子だから」


 愛ちゃんはそう言って、壁に自分の頭を思い切り打ち付け始めた。


「あ、愛ちゃん! やめて!」


 私は愛ちゃんを必死に押さえ、壁から離す。

 愛ちゃんは絶叫する。

 思わず、耳を塞ぎたくなる。

 恵理子先生が駆けつけて来てくれた。


「真奈ちゃん」

「恵理子先生、愛ちゃんが……」

「大丈夫だからね。真奈ちゃんは部屋に戻っていて」


 私はその場を恵理子先生に任せ、自分の部屋に戻った。



「どうしたの? 真奈ちゃん」

 

 京ちゃんに心配される。

 怖かった。

 愛ちゃんがどんな行動を取るか、まるで予測できない。

 

 それに、愛ちゃんは親が好きだと明言した。

 どうして、虐待する親を好きになれるか、全然わからなかった。

 私は親を恨んでいる。

 でも、虐待されたことは覚えていない。

 解離と言って、虐待の痛みに耐えるために自分を切り離したらしい。

 だけど、親が私に暴力を振るったことは事実だ。

 服で隠れているけれど、傷跡も残っている。

 親は絶対に許せない。

 

 だから、愛ちゃんの言うことが理解できないし、怖いのだ。

 そのことを、京ちゃんに話してみた。


「子供が親に愛してほしいって思うのは、本能なんじゃないかな?」

「本能?」

「うん、それにきっと、愛されていると思い込んでいるんだよ」


 わかるような、わからないような。


「親に愛されないのが、辛いことだってのはわかるよね?」


 京ちゃんはゆっくりと、年下に説明するように言った、


「うん」

「だから、愛されていると思い込む。そうすることで、自分を保っているんだよ。親に否定されるって、自分の存在を世界に否定されるのと同じだから」


 小さい子供にとっては、親が全てだ。

 だから、京ちゃんの言うこともわかる。


「真奈ちゃんは信頼できる職員さんや友達、施設の仲間がいるでしょ? でも、愛ちゃんはまだ親しかいないんだよ」


 私は間違っていた。

 愛ちゃんのことを怖がって、理解しようとしていなかった。

 愛ちゃんは今、すごく苦しんでいるんだ。

 きっと、死んでしまいたいくらい、悩んでいるんだ。


「ねえ、京ちゃん。どうしたら、愛ちゃんを助けられるかな?」

「私は職員さんとかに任せるべきだと思うけど。それでも、私達にできることは……」


 京ちゃんと一緒に考える。



 翌日。

 私達はテスト勉強の合間を縫って、愛ちゃんに勉強を教えてあげることにした。

 いつもは職員さんが教えているけれど、職員さんは忙しくて時間をあまりとることができない。

 

 愛ちゃんは小学5年生だけれど、足し算もできない。

 平仮名がかろうじて書けるくらいだ。

 お箸の持ち方もそうだけど、鉛筆の持ち方も間違っているので教えないといけない。

 

 私達は愛ちゃんを沢山褒めた。

 きっと、親には否定されてばかりいただろうから。

 そうすることで、愛ちゃんが救われると信じていたから。


「真奈ちゃん」


 勉強の途中で、愛ちゃんが話しかけて来た。


「何? 愛ちゃん」

「死にたい」


 愛ちゃんの口から、すっと出てきた言葉。

 それは、あまりにも悲しくて、心がバラバラになりそうだった。


「愛ちゃん、そんなこと言っちゃだめだよ」


 京ちゃんがたしなめる。


「私、勉強できない。運動もできない。クラスのみんなから嫌われてる。ねえ、真奈ちゃん。どうして、私は生まれて来たの?」


 何も、答えることができなかった。

 愛ちゃんの心の傷は、私達がちょっと気にかけてあげただけで、治る傷ではない。

 その事実が重くのしかかって来た。

 愛ちゃんには希望というものが、全くなかった。

 私は無言で愛ちゃんを抱きしめた。


「愛ちゃん……」


 愛ちゃんは黙って、抱きしめられている。

 きっと、食べ物も必要なだけ与えられてこなかったであろうその体は、あまりにも小さくて儚かった。

 どうして、こんなに小さい子に暴力を振るえるのだろうか。

 虐待親が、同じ人間とは思えなかった。

 

 私の中で、小さな火が灯った。

 この子を、助けたい。

 愛ちゃんが前を向いて、進めるように。

 生きる希望を、見つけられるように。



 中間テストの日になった。

 私達は、目の前のことに全力で取り組む。

 そのことが、生きている証に思えたから。

 

 3日間のテストを終えて、今日からバイトに復帰する。

 他の遊びに行く生徒たちを横目に、バイト先へ向かう。


「いやー、片井さんが抜けて大変だったよ。また今日からよろしくね」


 店長さんに笑顔で言われ、私は必要とされる喜びを感じた。

 制服を着て、棚に商品を陳列する。

 次にレジに立ち、お客さんの対応をする。

 いつものタバコとお酒のおじさんが来た。


「いつもの」


 私は言われた通り、タバコを取る。

 おじさんは代金を支払う。


「ありがとな」


 おじさんはお釣りを受け取り店を出て行った。

 おじさんはどんな仕事をしているのだろうか。

 そもそも、仕事をしているのだろうか。

 一度、話をしてみたい。

 そう思った。


 単なる興味もあるけれど、おじさんは私と似た境遇なんじゃないかと思っているからだ。

 もしかしたら、虐待を受けていたのかもしれない。

 なんの根拠もないけれど、そう思った。



 土日を挟み、月曜日の学校。

 今日の5時間目は、修学旅行の計画を練る時間だ。

 班長も同時に決める。

 話し合った結果、タカが班長になった。

 すんなり決まったので、ありがたい。


 そして私達はスマホ片手に、行き先を考える。

 基本的には札幌が中心だ。

 20分ほど話し合って、時計台とテレビ塔に行くことが決まった。

 まあ、定番と言えば定番のコースだ。


「でも、これだけじゃつまらないよな。何かないか?」


タカが班員に聞く。


「わ、私この公園行きたい」


 麻紀がスマホの画面を見せて、おずおずと提案する。

 百合の花を中心とした、沢山の花が咲いている公園らしい。

 麻紀は花が好きなのだろうか。

 私達はいいけれど、男子は花を見て楽しめるのだろうか。


「俺はいいよ」


 園部君はいいらしい。


「俺も。良さそうじゃん」


 タカ達も同意したことで、麻紀はほっとした表情を見せる。


「麻紀ちゃん、そこ気になってたの?」


 京ちゃんが聞くと、麻紀はうなずく。


「うん、小さい頃家族で行ったことがあって、もう一度行きたいなって」


 いい思い出なんだろうなあ。

 その後、昼食を取る場所を決めた。


「そういや、修学旅行中に告る奴とか出てきそうだな」


 タカが唐突に言った。


「下らないよなー」

 

 タカはそう続けた。

 珍しい。

 タカは何かを悪く言ったりすることはあまりない。


「まあ、好きにすればいいんじゃね? そいつの勝手だろ」


 園部君はスマホの画面を見ながら、興味なさそうに言った。

 思い出した。

 麻紀は好きな人がいるんだった。

 修学旅行中に告白するのだろうか。

 

 麻紀をちらりと見る。

 俯いていた。


「それじゃあ、そろそろ時間ね。班長は計画表を記入して一週間以内に提出して」


 神尾先生の声と共に、チャイムが鳴った。

 他の班はどんなところに行くんだろう。



 そして、修学旅行に向けて様々な準備をする。

 同級生に私服を見られる数少ない機会なので、気合が入る。

 わざわざ、新しい服を買ったりしないけれど、お気に入りの服を着ていく。

 ボストンバッグは中学の修学旅行で使ったものを流用することにした。



 修学旅行前日の夜、なかなか寝付けなかった。

 我ながら、小さい子供みたいだと思った。

 トイレに行くため、廊下に出る。

 既に、ほとんどの照明は落とされており薄暗い。

 すると、タカに出くわした。


「真奈、どうした?」

「なかなか、寝られなくて」

「わかるよ。そういや、京子はもうすぐ施設を出るんだって?」


 タカも知っていたのか。


「うん、お父さんが長くないらしくて。お父さんが亡くなったら、お母さんと暮らすらしいよ」

「そうか、辛いな」

「うん……」


 長くないとは聞くけど、あとどれくらいなのだろう。

 せめて卒業まで、と思ってしまう。


「じゃあさ、お別れ会をやろうぜ」

「うん、やろう」


 笑顔で見送りたいけど、私は泣いちゃうだろうな。

 寂しいよ、京ちゃん。


「なあ、真奈」

「何?」

「話は変わるけど……真奈は両親のこと、恨んでいるか?」


 恨んでいるかと聞かれたら、答えは決まっている。


「恨んでいるよ」

「俺もだよ。両親のこと、殺したいくらい恨んでる」


 私はそこまでじゃないけど。

 でも、意外だ。

 優しいタカから、殺すなんて強い言葉が出てくるなんて。

 タカも虐待を受けていたのだろうか。

 タカから過去の話は聞いたことがない。


「私は恨んでるけれど、仕返ししたいとは思わない。そんなことで、刑務所に入りたくはないから。それに、自分の人生は自分のために使いたい」

「そっか。まあ、真奈は優しいからな」

「タカは教師になるんでしょ? 両親を殺したいなんて言ってちゃだめだよ。たとえ、どんな親でも」

「うん、そうなんだけどな」


 タカも私には計り知れない、闇を抱えているのかもしれない。


「真奈はさ、両親に会うつもりはあるか?」

「ないよ。どうせ、ひどい親だよ。会ったら悲しくなると思う」


 私の両親はきっと、暴力的で子供を愛することなんてできない、破綻した人間だと思う。

 だから、会わない。

 頼らない。


「真奈は会った方がいいと思うよ」

 

 新海先生にも、同じようなことを言われた。


「どうして?」

「真奈なら、やり直せる気がするんだ」


 やり直す?

 まさか、家族を?

 そんなの、絶対無理だ。


「どうして、そう思うの?」

「真奈は虐待と向き合ってるから。愛ちゃんを助けたいって、いろいろ動いているだろ?」


 あれから、愛ちゃんに勉強を教えるのは続けている。

 愛ちゃんの心の傷はまだまだ深いけど、少しずつ修復されていると思う。


「自分の虐待とは向き合えてないよ」

「そんなことないと思う」


 タカは優しいから、そう言ってくれるだけだ。


「私、不安なの。こんなんで、ちゃんとした大人になって、誰かを愛したり、愛されたりできるのかなって」


 なんだか、今日は言葉がするする出てくる。

 夜だからだろうか。


「真奈もそう思う?」

「え、タカも?」


 タカはそんなことないと思っていた。


「タカは友達もたくさんいて、将来の夢もちゃんと決まってるじゃん」


 すると、タカは急に泣き出しそうな表情になる。


「俺、本当は人付き合いが苦手なんだ」


 思わず声が出てしまいそうなほど、意外だった。

 あんなに、クラスでは中心にいて楽しそうにしているのに。


「そんな風には、見えないよ」

「本当は人を信用できなくて、いつも裏切られるのを怖がってビクビクしているんだ。だから、誰にも嫌われないようにヘラヘラ笑っているし、悪口も言わないんだ」

「タカ……」

「陰口を言われているんだ。タカはみんなにいい顔するって」


 タカのこんな不安げな顔、初めて見た。

 児童養護施設にいる以上、何かしら抱えている。

 でも、みんな必死に生きている。


「じゃあさ、本当に大切な友達だけと付き合えばいいんじゃない?」

「前もそう言ってくれたな」

「そうだっけ?」

「ああ、中学の頃だ。まあ、覚えてないならいいけど」


 そういえば、言ったような気がする。


「園部君とかは? 大切な友達でしょ?」

「あいつは、きっと俺のことをわかってくれると思う」

「そういう人が一人でもいるなら、打ち明けてみなよ」

「ああ、そうだな。ありがとう、真奈。おやすみ」


 タカは自分の部屋に戻った。

 誰でも、悩みの一つや二つある。

 そして、寄り添ってくれる人を求めているんだと思う。



 部屋に戻ると、京ちゃんが起きていた。


「真奈ちゃん、眠れないの?」

「うん、タカと話してた」

「そっか」


 私はベッドに入る。


「真奈ちゃん」

「何?」

「ありがとう」

「どうしたの?」

「ううん。なんとなく、言いたくなって」


 私達はそれだけ言って、眠りに落ちた。

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