君と過ごす、初めての休日
土曜日。
俺は、鏡の前で自分の服装を確認していた。
白いTシャツに、薄い色のシャツ。下は黒いパンツ。
いつも休日に着ている服と、そこまで変わらない。
「……こんなもんでいいか」
今日は、水瀬と駅前のケーキ屋に行く約束をしている。
きっかけは、数日前の昼休みだった。
新しくできたケーキ屋が気になるという水瀬に誘われて、俺は一緒に行くことにした。
ただ、それだけだ。
別に特別なことをするわけじゃない。
……そう思っているのに、さっきから何度も時計を確認してしまう。
「そろそろ行くか」
俺はスマホをポケットに入れ、家を出た。
駅に着いたのは、待ち合わせの十分前だった。
改札の近くで待っていると、聞き慣れた声がした。
「桐谷くん!」
振り向くと、水瀬がこちらに向かって歩いてきていた。
淡いベージュのカーディガンに、白いブラウス。膝下まであるスカートを合わせている。
いつもの制服姿とは違って、どこか新鮮だった。
「おはよう」
「おはよう、水瀬」
「待った?」
「いや、今来たところ」
「よかった」
水瀬はほっとしたように笑った。
その笑顔を見て、俺はふと気づいた。
学校では落ち着いていることが多い水瀬だけど、今日はいつもより表情が柔らかい。
「……どうしたの?」
俺が見ていることに気づいたのか、水瀬が首を傾げた。
「ああ、いや。私服、初めて見たから」
「あ……そっか」
水瀬は自分の服に目を落とした。
「変じゃない?」
「いや、全然。似合ってると思う」
「……ほんと?」
「ああ」
そう答えると、水瀬は少しだけ頬を赤くした。
「……よかった」
小さな声でそう言って、顔を上げる。
「じゃあ、行こっか」
「そうだな」
俺たちは並んで歩き始めた。
駅前の通りには、休日を楽しむ人たちが行き交っていた。
隣を歩く水瀬は、いつもより少しだけ楽しそうに見える。
「そういえば、水瀬って甘いもの好きなんだよな?」
「うん。結構好きだよ」
「どのくらい?」
「え?」
「いや、前にケーキ屋の話をしてたとき、すごく詳しかったから」
「ああ、あれ?」
水瀬は少し考えてから笑った。
「おいしそうなお店を見つけると、つい気になっちゃうんだよね」
「なるほど」
「桐谷くんは?」
「俺も好きだよ。そこまで詳しくはないけど」
「そっか。じゃあ、今日いろいろ教えてあげる」
「期待してる」
「任せて」
水瀬は少し得意げに笑った。
そんなやり取りをしながら歩いているうちに、目的のケーキ屋が見えてきた。
店の前には、小さな看板が出ている。
ショーケースの中には、色とりどりのケーキが並んでいた。
「わあ……」
水瀬が足を止める。
「すごい。やっぱりおいしそう」
「前から気になってたんだよな?」
「うん。駅を通るたびに見てたんだ」
「そんなに前から?」
「そうだよ。だから、今日来られて嬉しい」
水瀬はこちらを向いて笑った。
「桐谷くんと一緒に来られてよかった」
「……そっか」
不意にそんなことを言われて、少しだけ返事に困った。
水瀬は気にした様子もなく、店の扉を開けた。
「入ろう?」
「ああ」
店内に入ると、甘い香りが漂ってきた。
ショーケースには、苺のショートケーキやチョコレートケーキ、モンブランなどが並んでいる。
その中でも、季節限定らしい桃のケーキが目を引いた。
「……迷うなあ」
隣から水瀬の声が聞こえた。
「そんなに?」
「うん。ショートケーキもいいし、桃のケーキも気になるし……」
真剣な顔でショーケースを見つめる水瀬。
普段、教室で見せる表情とは少し違う。
なんだか楽しそうで、見ているこっちまで笑ってしまった。
「桐谷くんは決まった?」
「俺はチョコレートケーキかな」
「チョコレートかあ……それもおいしそう」
「水瀬は?」
「うーん……」
もう一度、ショーケースを見つめる。
そして、しばらく悩んだあと。
「……桃にする!」
「決まったか」
「うん。せっかく季節限定だしね」
俺たちはそれぞれケーキと飲み物を注文して、窓際の席に座った。
「いただきます」
水瀬はさっそく桃のケーキを一口食べた。
すると、目元がぱっと明るくなる。
「……おいしい!」
「そんなに?」
「うん。桃が甘くて、クリームもおいしい」
本当に嬉しそうに笑うものだから、俺も気になってきた。
「そんなに言われると、俺も食べたくなるな」
「一口食べる?」
「いいのか?」
「うん。食べてみて」
水瀬は自分のフォークを置き、店員に頼んで新しいフォークをもらってきた。
俺は自分のケーキを一口食べてから、桃のケーキも少し分けてもらった。
「……確かに、うまいな」
「でしょ?」
水瀬は満足そうに頷いた。
「チョコレートもおいしそうだね」
「食べる?」
「いいの?」
「もちろん」
俺も新しいフォークを使って、ケーキを少し切り分けた。
水瀬はそれを口に運ぶ。
「……うん、おいしい」
「そっか」
「次に来たら、チョコレートにしようかな」
「また来るのか?」
何気なく聞くと、水瀬は一瞬だけこちらを見た。
「……だめ?」
「いや、別にだめじゃないけど」
「じゃあ、また来たいな」
水瀬は少し照れたように笑った。
「桐谷くんと」
その言葉に、なぜか胸が少しだけ落ち着かなくなった。
俺はごまかすように、コーヒーを一口飲んだ。
「……また予定が合えばな」
「うん!」
水瀬は嬉しそうに頷いた。
その笑顔を見ていると、自然とこちらまで笑ってしまう。
最近、こういう時間が増えた。
一緒に昼食を食べたり、帰り道を歩いたり。
席が隣になる前は、ほとんど話したこともなかったのに。
今では、水瀬と話すことが当たり前になりつつある。
不思議なものだ。
少し前まで、俺の頭の中は美咲のことでいっぱいだった。
告白して、振られて。
あのときは、本当に苦しかった。
十年間も好きだった相手だから、簡単に気持ちを切り替えられるわけじゃない。
今でも、ふとした瞬間に思い出すことはある。
それでも、水瀬と一緒にいるときは、少しだけ気持ちが軽くなる。
無理に元気を出そうとしなくても、自然に笑える。
今は、それだけで十分なのかもしれない。
「桐谷くん?」
「ん?」
気づくと、水瀬がこちらを見ていた。
「どうしたの? 急に黙っちゃって」
「いや、ちょっと考え事」
「そっか」
水瀬は少しだけ心配そうに俺を見たあと、ふっと笑った。
「でも、今日は楽しもうね」
「ああ。そうだな」
俺たちは残っていたケーキを食べ終え、店を出た。
そのあとも、駅前の商店街をゆっくり歩いた。
雑貨屋をのぞいたり、店先に並んだ小物を見たり。
特別なことをしているわけじゃない。
それなのに、時間が過ぎるのはあっという間だった。
「もうこんな時間か」
スマホで時刻を確認して、思わず呟く。
「ほんとだね」
水瀬も時計を確認した。
「なんだか、あっという間だった」
「そうだな」
「……また、こうやって出かけたいね」
水瀬がこちらを見る。
俺は少し考えてから答えた。
「うん。また行こう」
「……約束だよ?」
「分かったよ」
そう言うと、水瀬は嬉しそうに笑った。
駅に着くと、俺たちは改札の前で立ち止まった。
「今日はありがとう、桐谷くん」
「いや、こっちこそ。楽しかったよ」
「ほんと?」
「ああ」
「……よかった」
水瀬は少し照れたように笑った。
「じゃあ、また月曜日にね」
「うん。また月曜日」
手を振って別れる。
改札を通りながら、俺は今日一日を振り返った。
ケーキを食べて、いろいろ話して、商店街を歩いて。
それだけの一日だった。
でも、楽しかった。
また水瀬と出かけたい。
そう思っている自分がいた。
――少しずつ、変わってきているのかもしれない。
まだ、はっきりとは分からない。
それでも、前より少しだけ前を向けている。
そんな気がした。
一方、その頃。
【梓視点】
家に帰った私は、自分の部屋でスマホを見つめていた。
今日撮ったケーキの写真。
桃のケーキと、桐谷くんが頼んだチョコレートケーキ。
写真を見るだけで、自然と笑顔になってしまう。
「……楽しかったな」
今日、桐谷くんと一緒に過ごした時間を思い出す。
待ち合わせで会ったとき。
服を褒めてくれたとき。
ケーキを食べながら、何気ない話をしていたとき。
どれも、特別な出来事というわけじゃない。
でも、私は嬉しかった。
もっと話したい。
また一緒に出かけたい。
学校でも、今まで以上に隣で過ごしたい。
そんなことを考えている自分に気づいて、私は少しだけ頬を押さえた。
「……なんでだろう」
桐谷くんと話すのが、こんなに楽しみになっている。
最初は、ただ元気になってほしいと思っていただけだった。
告白して振られたと知ったとき、少しでも力になれたらと思った。
でも、今はそれだけじゃない気がする。
「……また、誘ってみようかな」
スマホを手に取る。
けれど、すぐにメッセージを送ることはできなかった。
何を書けばいいのか、少し迷ってしまう。
結局、私はスマホを胸元に抱えた。
「……月曜日、楽しみだな」
小さく呟いて、私は笑った。
まだ、この気持ちが何なのかは分からない。
ただ、桐谷くんと一緒にいる時間を、これからも大切にしたい。
そう思っていた。




