第6話 少しだけ、特別
翌朝。
教室に入ると、水瀬がすでに席に座っていた。
「おはよう、桐谷くん」
「おはよう、水瀬」
最近では、朝の挨拶もすっかり当たり前になっている。
「昨日、ちゃんと寝た?」
「寝たけど?」
「よかった」
「なんで?」
「なんとなく」
水瀬はそう言って笑った。
「桐谷くん、昨日ちょっと疲れてそうだったから」
「そんなに顔に出てた?」
「少しだけ」
「気をつけないとな」
「うん」
そんな他愛のない会話をしていると、チャイムが鳴った。
授業が始まる。
俺は教科書を開きながら、ふと隣を見る。
水瀬は真面目に黒板を写していた。
――本当に、少し変わったな。
席が隣になる前は、ほとんど話したことがなかった。
それなのに今では、自然に会話をするようになっている。
「……桐谷くん」
小さな声が聞こえた。
「ん?」
「ここ、分かる?」
水瀬が教科書の一部分を指差す。
「ここ?」
「うん」
「これは……」
俺が説明すると、水瀬は何度か頷いた。
「なるほど」
「分かった?」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして」
「……やっぱり桐谷くんって優しいね」
「急にどうした?」
「昨日も思ったから」
「昨日?」
「ううん。なんでもない」
水瀬は少しだけ笑った。
昼休み。
昨日と同じように、俺は弁当を広げていた。
すると、水瀬がこちらを向く。
「今日も一緒に食べる?」
「もちろん」
「よかった」
水瀬が俺の前の席に座る。
「そういえば」
「ん?」
「昨日、甘いもの好きって言ってたよね」
「ああ」
「これ」
水瀬が自分の弁当箱から、小さなお菓子を取り出した。
「食べる?」
「いいのか?」
「うん。家にあったから」
「じゃあ、もらう」
「どうぞ」
受け取って、一口食べる。
「うまい」
「本当?」
「うん」
「よかった」
水瀬が嬉しそうに笑う。
「水瀬って、こういうの好きなのか?」
「私も好き」
「じゃあ、今度行くケーキ屋、楽しみだな」
「……うん」
水瀬が少しだけ俯いた。
「楽しみ」
その声は、さっきより少し小さかった。
「何食べようかな」
「俺はショートケーキかな」
「じゃあ私は……」
水瀬が少し考える。
「桐谷くんが食べてるやつ、一口もらおうかな」
「なんでだよ」
「だって、美味しそうだから」
「自分で頼めよ」
「ふふっ」
水瀬が笑う。
その笑顔を見ていると、こっちまで楽しくなってくる。
そのとき。
「水瀬さん」
クラスメイトの女子が声をかけてきた。
「ん?」
「最近、桐谷くんと仲良くない?」
「……え?」
水瀬の動きが止まった。
「だって、いつも一緒にいるじゃん」
「それは……席が隣だから」
「それだけ?」
「……それだけ」
水瀬はそう答えた。
けれど。
なぜか少しだけ、胸がざわついた。
――それだけ。
本当に、それだけなのだろうか。
放課後。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
俺が鞄を持って教室を出ようとすると、水瀬が声をかけてきた。
「桐谷くん」
「ん?」
「土曜日……忘れないでね」
「ああ。ケーキだろ?」
「うん」
「楽しみにしてる」
「……私も」
水瀬は嬉しそうに笑った。
そして俺が教室を出たあと。
水瀬は自分の胸に手を当てる。
「……なんでだろう」
ただケーキを食べに行くだけ。
それなのに。
土曜日のことを考えると、少しだけ嬉しくなる。
「……楽しみ」
水瀬は小さく呟いた。
その理由を、まだ自分でははっきり分かっていなかった。
ただ――。
以前よりも、桐谷直人という存在が。
ほんの少しだけ、特別になっていた。




