【第4話】甘い口づけと、永遠の誓約
温室のガラス屋根を叩く雨音が、少しずつ静かな調べへと変わっていった。
カイルの広い背中に腕を回し、その逞しい胸板に顔を埋めたまま、リリアーナは涙で濡れた瞳をそっと上げた。
「カイル様……私もです。私も、ずっとあなたをお慕いしておりました」
「リリアーナ……」
カイルのスカイブルーの瞳が、歓喜と信じられない思いに揺れる。
リリアーナは、カイルのシャツの胸元をぎゅっと握りしめ、胸いっぱいの想いを言葉にした。
「最初のお茶会から、どんなにお天気が悪くても毎週欠かさず会いに来てくださるあなたの誠実さに、ずっと惹かれていました。不器用で、口数が少なくて、何を考えていらっしゃるか分からなくて不安だったけれど……でも、あの瞬間から、私の心は完全にあなたに奪われていたのです」
「あの瞬間……?」
カイルが小首を傾げた。
リリアーナは恥ずかしさに頬を染めながらも、いたずらっぽくクスリと微笑んだ。
「私がカーテンを引いている隙に……紅茶の中に、角砂糖を三つも放り込んで、誰も見ていないところで本当に幸せそうに目を細めていらした、あの瞬間ですわ」
ピシリ――。
カイルの動きが、完全に凍りついた。
顔から血の気が引いたかと思うと、次の瞬間、頭のてっぺんから首筋、胸元に至るまで、文字通り火を噴かんばかりの真っ赤な朱色に染め上がった。
「み、見……見ていたのか……!? 完璧に気配を殺して、誰にも見られていないはずだったのに……!」
カイルは両手で顔を覆い、温室の柱に額を打ちつけて激しく悶絶した。
「あああ……! 恥ずかしい……! よりによって、一番見られたくない無様な姿を……! 甘党だと知られたら幻滅されると思って、最初のお茶会からずっと苦い茶を我慢していたのに……! こそこそ角砂糖を放り込むところまで見られていたなんて……!」
「無様などではありませんわ! 眉間に深い皺を寄せていらしたカイル様が、角砂糖の甘さに蕩けて子猫のように笑っていらして……世界で一番、愛おしくて可愛らしいと思いましたもの!」
「か、可愛いだと……!? 男に向かって、しかも婚約者に向かって可愛いとは何だ……!」
真っ赤な顔で抗議するカイルだったが、その瞳には溢れんばかりの幸福の光が宿っていた。
リリアーナはそっとカイルの大きな手に触れ、優しく微笑みかけた。
「甘いものが大好きなカイル様も、不器用で無口なカイル様も……私を守ろうと必死になってくださるカイル様も、全部大好きです」
その言葉を聞いた瞬間、カイルの表情が、くしゃりと崩れた。
「……リリアーナ……!」
カイルの長い腕が、電光石火の速さでリリアーナの腰を引き寄せた。
足が浮くほど強く抱き上げられ、温室の花々の甘い香りに包まれる。
見上げれば、カイルの瞳にはもう迷いも躊躇いもなかった。
至近距離で交錯する熱い吐息。
そして――カイルの熱く柔らかな唇が、リリアーナの唇へと激しく重なり合った。
「ん……っ……!」
甘く、深く、全身の力が抜けていくような情熱的な口づけ。
半年間、互いに胸の奥に閉じ込め、すれ違い続けていた想いのすべてが、堰を切った激流となって溶け合っていく。
カイルの大きな手がリリアーナの後頭部を優しく包み込み、角度を変えて二度、三度と貪るように唇を重ねていく。
雨上がりの雲間から射し込んだ柔らかな夕陽が、ガラス屋根を透過して二人を黄金色の光で包み込んでいた。
息が苦しくなるほど深く愛を確かめ合い、ようやく唇が離れた時、二人の瞳は潤み、甘い熱気に満たされていた。
「……リリアーナ」
カイルの掠れた声が、耳元をくすぐる。
「もう二度と、君を不安にさせたりしない。……俺のすべてを、君に捧げる」
カイルは息を整えると、リリアーナの肩に羽織らせた上着の内ポケットへそっと手を差し入れ、小さな濃紺のビロード箱を取り出した。
パカリと開かれた箱の中に収められていたのは――。
息を呑むほど精巧に彫金された、白銀の指輪だった。
細工は、あの『シュクレ・ローズ』の可憐な花びらと、角砂糖の結晶のように煌めく微細なダイヤが円を描き、その中央には、リリアーナの瞳とまったく同じ、温かく澄み切ったヘーゼル色の極上ダイヤモンドが輝いていた。
「縁談が決まったあの日から、王都の金細工師に特注して作らせていたんだ。……ずっと渡したくて、懐に忍ばせていた」
カイルは温室の床に片膝をつき、リリアーナの左手を恭しく取った。
そのスカイブルーの瞳は、世界中の何よりも真摯で、熱い愛に満ち溢れていた。
「リリアーナ・ウェストブルック。俺の命と名誉、そして愛のすべてを君に捧げる。……どうか、俺の永遠の妻になってほしい」
その真摯すぎる求婚に、リリアーナの視界が歓喜の涙でいっぱいに滲んだ。
「はい……! 喜んで、あなたの妻になります、カイル様……!」
リリアーナが答えると、カイルの顔に世界で一番眩しい笑みが咲き誇った。
カイルは震える手で彼女の薬指へと指輪を通すと、その指先へ、誓約を刻むように熱く深い口づけを落としたのだった。
温室の扉を開けると、先ほどまでの激しい雨は上がり、空には見事な七色の虹がアーチを描いていた。
雨露に濡れた何千輪ものバラが夕陽を浴びてキラキラと輝き、まるで二人を祝福するように甘い香りを放っている。
手を取り合い、指先を絡め合わせながら歩く二人の横顔には、もう何の翳りもなかった。
◇
正式な結婚式を挙げ、アシュレイ子爵邸で始まった二人の新婚生活。
土曜日の午後、あのバラ園を望むテラスには、いつもと変わらぬティーセットが並んでいた。
だが――そこに広がる光景は、以前の沈黙のお茶会とはまるで違っていた。
「カイル様、見てください。今週は、初夏のチェリーをたっぷり使ったタルトを焼きましたの」
エプロン姿のリリアーナが焼き立てのタルトを切り分けると、隣に座っていたカイルは、人目を憚ることなく彼女の細い腰を抱き寄せた。
「ひゃっ……! カイル様、お昼間から近いですわ……!」
「構わん。平日は領地の公務で我慢しているんだ、週末くらい妻を独占させろ」
カイルはリリアーナを抱き上げ、自らの逞しい膝の上にすっぽりと座らせてしまった。
真顔で堂々と言い放つ夫に、遠くで見守る給仕や侍女たちがクスクスと微笑ましい笑い声を漏らしている。
カイルはリリアーナが焼いたタルトをフォークで一口大に切り分けると、惜しげもなく角砂糖を三つ入れた甘いミルクティーを啜りながら、幸せそうに頬張った。
「……美味い。世界で一番美味い」
「ふふ、よかったです。カイル様、お口の端にクリームがついていますよ」
リリアーナが指先で拭ってあげると、カイルはその指先をパクッと咥え、悪戯っぽく甘噛みした。
「あ……カイル様っ……!」
「甘いな。君の焼く菓子も……君自身も、世界中のどんな甘味より甘くて愛しい」
耳元に落とされる熱い吐息と、首筋への優しい口づけに、リリアーナの顔はチェリーよりも赤く染まり上がった。
かつて冷たい沈黙に怯えていたお茶会は、今、世界で一番甘くて温かな愛の空間へと変わっていた。
指先に煌めくお揃いの指輪を見つめ合いながら、二人の甘い甘い物語は、永遠の幸福の中へと続いていくのだった。
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