ミィナの姉4
冬の間、女たちは縫い物をする。
男は木を彫る。
6歳のカイは余った木で、鍵を作ってみた!
誰の目もないのを確認して、食糧庫の階段を上がる。
そっと鍵穴にお手製の鍵を差し込んで、くりくりと動かすと、重い手応えと共にカタンと音がした。
カイの顔に満面の笑顔が浮かんだ。
雪じまいまであと月ひと巡りという頃だった。
※※※
料理って楽しい。
麦粉を溶かした液を熱した鍋に回し入れると、ぷつぷつと小さな泡ができてぷくぷくと動く。
少し待てば、白い液が生成り色になっていく。
ふわりと麦の香りが立つ。
木の棒でペリペリと剥がすと、まあるい皮が出来上がりだ。
「ミィナ、出来たらこっちもらうで」
「う、うん」
ロイドが出来上がった麦の皮を持っていく。
ミィナの後ろのテーブルでは、要領を覚えた“悪魔の仲間”の男子らが、塩漬け肉を削いだり、チーズを切ったりと協力して食べる準備をしていた。
「カナ、できたで。肉とチーズ両方入れてみた。食べぃ」
「ありがとう。でももうお腹いっぱい」
ひとりのんびりと椅子に座っているカナはお腹をさすった。
「みんなも食べて」
「よっしゃ」
男子らは焼き上がった皮を奪い合うように取ると、好きなものを巻いて口に押し込む。
大柄な男子らは3口で1枚を食べてしまう。
ミィナはせっせと皮を焼いていく。
皮が綺麗に焼けるたび、うっとりする。
いくらやっても飽きない。
「はあ、うまい。特にこの果物煮たやつ巻いたのが甘くてやべぇ」
「うまいよなぁ。……弟どもに食べさせてやりてぇさ」
「だよなぁ。けど、この家でこんなん食べれるて他のもんに知られたら、ヤベぇのはカナだかんな」
炉に立つミィナの後ろで、男子たちが言う。
「わかっとるさぁ。……けどいつも腹すかせてる弟どもを見てるとなぁ。わい、罪悪感ちゅぅの感じるわ」
「それはわいもだがー。乳飲み子おる姉ちゃに栄養のあるもん食わせてぇわ」
美味しい飯を食べてるのに、はぁと重いため息が聞こえた。
「けど、去年の冬の終わりも飯の量はあんなもんだったがね」
「そうそう。わいらみんな贅沢になっちまっただけだがー」
本当にそうだとミィナは思う。
毎日食べれている。
ひとりも口減らしをせず、冬が越せそうなのだ。
それに不満を覚えるのは、ただ贅沢になったから。
ミィナは自分の分を焼き上げると、テーブルの隅に置いた木箱に座り、果物煮を皮で包んだ。
一口づつ、大事に噛みしめるように食べる。
1枚食べ終わったところで、見計らったようにロイドがやって来て、ミィナの脇に立った。
「なぁ、ミィナ。わいら、謝りたいんさ」
ミィナは目をぱちぱちした。
(謝る?……なんを)
ロイドは屈んで目線を合わせてきた。
「わいらな、ずっとミィナに悪いことしてた思っとる。ずっと、ミィナが苦しんでんの、見ねぇふりしてた」
いつも朗らかなロイドの顔が、ひどく深刻だ。
ミィナは少し顎をひいた。
「ミィナがいつも飯もらえんで、ザーネに蹴飛ばされたりしとっても、大人どもが『見んな見んな、しょうがねぇことだ』言うから、わい、ずっと見ねぇ振りしとった。けどそりゃぁいかんことだったがね」
「……っ」
「わい、わいらな、このままミィナに謝らんで、この家で飯もらうんは駄目じゃねぇか、て話し合ったんさ」
ロイドが他の男子らを見ると、彼らは頷き、ぞろぞろと椅子から立ち上がった。
「すまなかった、ミィナ」
「これから、なにかあれば守ったる!」
「許してくれ」
「……っ……っ」
ミィナが狼狽えて意味なくきょろきょろした。
(なん?急になして?)
どうしていいかわからず、姉を見る。
けどカナはにまにまして見てるだけで、何も言ってくれない。
ミィナはあうあうと口を動かしたが、言葉は出ず、ぎゅうと目をつぶった。
※※※
最近、母ちゃはなにかに取り憑かれたように“悪魔の食いもん”と言う。
“悪魔”に魂を持っていかれないように、腹が空いても堪えろ、と言うのだ。
けれどカイは、もう何度も食糧庫に入って“悪魔の食いもん”を食べているのだ。
正直に言ったら怒られるから黙っているけど。
今日も早朝、こっそり食料庫へ行く。
もうすぐ冬が終わる。
広場の中央は雪がどかされ、雪じまいを祝う焚き火の用意がすでにされていた。
カイはいつものように広場を走り、食料庫の入口前の階段を駆けのぼり、ドアを手製の鍵でカタンと開けた。
そして食糧庫に入ると、袋の中で赤く輝くような果物を掴んだ。
そのカイの手のひらくらいの果物がどんなに甘くて美味しいか、カイはもう知っている。
大きく口を開いてかぶりついて……
その瞬間、食料庫のドアが開いた。
「カイ!なにしとんの!!」
凄い形相の母にカイはびっくりして、ごっ、と果物を喉に詰まらせた。
カイは目を見開く。
息ができない。喉が、苦しい。
助けを求めて、必死に母へ手を伸ばした……
──だからわいは言ったがね。悪魔の食いもんを食えば、子どもの魂持ってかれるって─
「明日で雪じまいだて」
その日、ロイドが真っ昼間からやって来て言った。
「ふぅん。それって明後日から春ってこと?」
「そういうことになるかね。まだまだ雪残っとるから、畑の冬をどかすとこから始めんといかん」
「そっか。もう春……」
カナは呟き、遠いところを見るような目をした。
「カナ?」
「…この村に戻って、もうずいぶん経ったなって思って…」
「…そうかね?カナがこの村に来たのは確か、収穫の頃……」
ロイドがひーふーみーと指を折っていると、外から慌ただしい足音が響いた。
「ロイド、いるか!」
開いていた玄関から顔を出したのは、“悪魔の仲間”のひとりトードだった。
彼ははっはっと苦しい息の間から、恐ろしいことを告げた。
「大変だっ、食料庫が燃えとる!」
「はあ?なして!?」
ロイドががたんと椅子から立ち上がる。
「ネネの倅が死んでっ、悪魔の食いもんがどうのっ……、ああいいから来てくれ!」
「行く!」
ロイドは振り返りもせず、駆け出していった。
「あらぁ、大変!」
カナが驚いたように口を手で押さえる。
(食料庫が……)
ミィナはぽかんと、明けっ放しのドアを見た。
(食料庫が燃えとるて……中の食料は?)
首を回して、ぱちぱちと火の踊る炉を見た。
(全部燃えて……、消えちまう!)
ミィナは駆け出した。ロイドの後を追う。
「ミィナ、外出るんなら上着着て!わたしが作ったかわいいやつ!おおい」
そんな声が後ろから聞こえた気がしたけど、意識には残らなかった。
※※※
息子カイの息は戻らない。どうやってもどうやっても。
“悪魔の食いもん”が開きっぱなしの食料庫からこちらを見下ろしている。
「あれが!」
ネネは食料庫に入り、白い粉が入った頭陀袋を蹴飛ばし、溢れた粉を踏み躙った。
そして火打ち石をすった。
火花が散った瞬間、ボン、と聞いたことのない音がして、火が襲ってきた。
ネネは反射的に食料庫を飛び出し、石の階段を転がった。
「あ、あ……」
何が起きたのかわからない。
“悪魔の食いもん”を燃やそうとしただけ。
どうして、こんなにも赤々と燃えている?
まるで食料庫の中のもの全てを燃やしてやるというように。
「ネネ、危ねぇ、もっと離れぇ!」
息子の亡骸を囲んでいた女たちが駆け寄って、ネネを燃える食料庫から引き離した。
「食料が……全部、燃えちまう……」
女の一人が呆然とした声で言う。
「わいらの、今日からの、食いもんは?」
「火を消せぇ!」
「雪だっ、雪をかき集めろ」
すぐに人が集まってきた。
男らが食糧庫に駆け寄ると、その前に立ちふさがった女がいる。
ザーネだ。
彼女は先に火のついた木の棒を掲げた。
「な、なにしとっかね、ザーネ!」
「この目障りな汚れた食料庫!燃えちまった方がいいんさ!ネネはよくやったさ!」
ザーネはあっはははと場違いな笑い声をあげた。
「悪魔のもんは全部燃やして、灰にせにゃ!これで村もすっきりさ」
その異様な様子に男らは一瞬押されたが、すぐに我に返った。
「馬鹿言っとんじゃねぇ!」
「わいらの飯はどうなるんさ!」
「どけ、火を消させろ、ザーネ!」
必死な声も、食料庫の前に立ちふさがったザーネを動かせなかった。
……広場に着いたロイドが見たのは、こういう光景だった。
ロイドは一瞬で判断した。
「男ども、なにやっとるさ、ザーネは所詮女だがね!押さえろ!力付くでどかせ!背中から羽交い締めにせぇ!」
普段から村長の代わりに動いている村長息子の声に、男らの目つきが変わった。視線を交わし、火も恐れず一斉にザーネに飛びかかった。
「他のもんは地面に積もった雪を集めるんさ!どんどん集めぃ!誰か桶持って来ぃ!」
恰幅の良いザーネはその強烈な蹴りで男を2、3人倒したが他の男らによって階段から引きずり降ろされ、羽交い締めにされた。
「離しぃ、わいを誰だと思っとるんさ!おめぇらはなんもわかっとらん!離しぃなっ」
数名の女らがザーネの元へ走った。
「ザーネを離しぃな!このっ馬鹿男どもっ」
「……そっちは任せたっ」
ロイドはザーネがいなくなった階段を上がる。
その瞬間、嫌な振動が足に伝わった。
「ヤベっ……」
ロイドが階段を飛び降りると同時に、ドサササと雪崩のような音を立てて、高床の食料庫の床と壁の一部が崩壊した。
「……なんてこった」
食料庫の入口はかろうじて残っているが、中は半分ほど瓦礫で埋まっている。黒く焦げた食料庫からはまだ黒い煙がいくつも登っていた。
「食料庫の中のもん、全滅だが……」
誰かの言葉に、固唾を飲んで見ていた村人たちは、崩れ落ちた。
そのまま、泣き出すもの。
目の前の現実を受け止められず、呆けたような顔のもの。
まだ出来ることはあるはずだと食料庫に駆け寄る心強いものもいた。
……ミィナが見たのは、そういう光景だった。
嘆き、喚く人たちの間を抜けて、ミィナはとことこと食料庫へ近づいた。
「なぁ、食料はどうなったん?」
尋ねても誰も答えてくれない。
煙が上がる食料庫を見上げた。
(この中に食いもんが…)
食料庫を囲む人の間をすり抜けて、ミィナは階段を登った。そして崩れた入口のわずかな隙間に潜り込もうとした。
気づいたロイドが怒鳴った。
「馬鹿、ミィナ!」
慌てて階段を駆け登ったロイドがぐいっと後ろからミィナの腹を抱えた。
「なんさロイド、離しぃ」
「危ねぇから!無理だから!」
「食いもんが、燃えちまうがね!」
「わいだて悔しいさ!けど、どうしようもねぇ!突っ込んでいったって、麦一粒も拾えんで死ぬだけだがー」
「……っ」
ミィナはぎっとロイドを睨みつけた。
「誰?燃したん?」
「え?」
「誰がっ、食いもんを燃したんかね!?」
ロイドはたじろいだ。ミィナは見たことのない形相をしていた。
答えてくれないロイドから、食料庫の下へ視線を移す。
村人たちは皆、びっくり眼でミィナを見ていた。
─あれがミィナだって?あの骨しかねぇみたいな娘が別人みたいじゃねぇだか。
その中で、怒鳴り声が響いた。
「おめのせいだが、ミィナ!」
ミィナはバッと声の方を見た。
「おめが悪魔をこの村に呼び寄せ!悪魔の食いもんを村に撒き!カイを殺し!食料庫を燃やさせたんさ!この悪魔のしもべがっ」
木の棒をガンガンガンと地面に叩きつけているのは、ザーネだった。
「ザーネ叔母ちゃ…!」
ミィナはザーネが言っていることが半分も理解できなかった。
「馬鹿言うんじゃねぇ!ミィナが何したさ!」
ミィナの横でロイドが言い返す。
ザーネはガンと木の棒を叩きつけると、広場の全員に訴えるよう叫んだ。
「ミィナが全部の原因だがね!みんな!ミィナこそ、燃やさにゃいかん!悪魔のしもべを灰に!」
ザーネの声はなぜか、晴れ晴れしく聞こえた。まるで祭の開始を告げるような。
ミィナの頭の中で何かが、プツン、と切れた。
口の奥が熱い。
息がうまくできない。
なのに言葉だけが勝手に出た。
「悪魔、悪魔、うるせぃがね、この悪魔婆!!」
ミィナは階段を降りた。
「わいに食いもんくれんで!何度も何度も何度もわいを殺した。おめが悪魔だろがね」
ザーネの顔から表情が抜け落ちた。
予想もしなかったミィナの反撃に、ザーネはしばらく固まり、それからはっと笑った。
「……何言っとる。おめは死に損ないだがね」
「わいは死んどった。姉ちゃが生き返らせてくれたんさ。姉ちゃは神さまでおめが悪魔だがね!」
「はあ?なにが神さまっ……」
「わいが!」
ミィナはつかつかとザーネに迫った。
「わいが何したさ!わいは働いとった!わいの飯はどこさっ!なして飯もらえん!?」
「おめが……」
「なして、わいが死なんといかん!飯よこしぃな!!」
ミィナの目からはぼたぼたと涙が垂れていた。
ミィナ自身、何を言っているかよくわかっていない。
ただ、今、腹の中の全部を吐き出さなければいけなかった。
ザーネはわなわなと体を震わせたと思うと、ぶんと木の棒を振り上げた。
「この、悪魔のしもべがぁぁ」
反射的にミィナは腕で頭を庇う。
衝撃がきて、腕に熱が走った。ミィナは地面に倒れた。
ザーネが地面を轟かすような声で怒鳴った。
「もうおめぇはミィナじゃねぇ!悪魔の食いもん食って、丸々肥えよって!土に還れ、悪魔のしもべ!」
ザーネの持つ木の棒が再び振り上げられた。
(殺されるっ)
ミィナがそう思った時、ロイドが飛び込んできて、素早くザーネの腹に蹴りを入れた。
「おぐっ」
ザーネは後ろに倒れ込んだ。
「な、なにすんだね、このわいに」
立ち上がろうとするザーネに、数名の男らが飛びかかり、ザーネは再び地面に押さえつけられた。
“悪魔の仲間”の男子たちだった。
「大丈夫か、ミィナ!?」
「この、気狂いが!ふん縛っちまおうか」
(ザーネ叔母ちゃが、押さえつけられて……わいが助けられとる……?)
ミィナはぱちぱちと涙で濡れた目を瞬きさせた。
これまでずっと。誰もがザーネの味方で、みんながザーネの言うことを聞いていた。ミィナは助けてもらえたことなんてない。
なのになぜ。
「ミィナ、痛いか?……腕折れてるかもしれん」
心配そうにみつめてくるロイドの顔。
「………いたい」
ミィナは顔をくしゃりとさせて、またほろほろと涙を流した。
いつの間にか、広場はしんと静まっていた。
その場の誰もが、ミィナとザーネを見ていた。
感情を爆発させて泣いているミィナと、暴虐の末押さえつけられているザーネを。
そして若者たちがミィナを助けたのを。
その時。
「あーらま。食料庫、本当に燃えちゃったの?」
子どものような、呑気な声が広場に響いた。
「あーあ。これはきっと怒るだろうなー」
(姉ちゃ?)
「カナ?」
ミィナとロイドは目を見合わせたあと、声の方を見た。
食糧庫がぼんと燃えたのは、流行りの粉塵爆発ってやつです。書いてみたかったのでw




