ペレシュク城の攻防 4
悪魔は確実に城に潜んでいた。
甲高い笑い声を聞いた。
どこからか、子どもの泣き声がした。
白い影が庭を通り過ぎていくのを見た。
アヒムの元に、次々と報告が舞い込んでくる。
その度に兵士たちを走らせ、事務官たちに調査を命じる。
使っていない全ての部屋を検め、城を囲む森に入り、土を掘り、絨毯を剥がし、壁を叩く。
城の出入りを制限し、城内では怪しい者がないか、怪しい行動がないか、互いに見張らせた。
だが悪魔はするりするりと指をすり抜けるように逃げていき、捕獲には至らない。
更には、悪魔が少しずつ自分の下僕を増やしている証拠か、揉め事が増えた。
特に兵士たちだ。
毎日のように城内のあちらこちらで言い争いを見るようになり、先日はとうとう刃傷沙汰による負傷者が複数出た。
だが話を聞いてみても皆が皆、自分の正当性を訴えるばかり。問題行動を起こした者を全員捕らえていたら、城から兵士がいなくなってしまう。
全てを報告するよう命じたのは自分だが、最近はデニス軍務長が何かを伝えようと口を開くのを見るだけで、心の臓が暴れ、吐き気がする。
悪魔を追い回して1週間もした頃。
ロチェスクからの使者ヴィサンは、
「こんな悪魔城には居られない。
さっさと絶世の美女を見つけ出し、厳重に縛ってロチェスクに送ってくるように」
と言い捨て、ロチェスクに帰っていった。
逃げられて羨ましいとアヒムは思い、そう思ったことを恥じた。
城主が自分の城から逃げ出したいと思うなど、あってはならないことだ。
だが……
「いち、に、さん、よっ……」
床に腹ばいに倒れるアヒムの横で、ローリントン翁は腕立て伏せをしていた。
銀の棒を握る右手は背中に回され、肩までむき出しになった左腕がぐっぐっとたくましく動いて、体が上下する。
それを見るアヒムの目は死んだようだった。
「城主殿、まだ休憩が必要ですか?」
片手腕立て伏せ100回セットの10回目を達成したローリントン翁は、全く疲れた様子もなく立ち上がり、床と同化したアヒムを見下ろした。
トン、と棒が床を叩く。
「そんなことで悪魔を退けることができましょうか。さあ、気合ですぞ!」
アヒムはふるふる震える腕を床につき、体を持ち上げようとしたが、もうどうやっても肘が伸びなかった。
「ローリントン翁。もう無理だ。そもそも私が体を鍛えても……」
「城主殿。何度も言いますように、悪魔とは弱い心につけ込むのです。心を鍛えるためには体を鍛えること。強い体には強い心が宿るのですぞ!城主殿が強くなれば、悪魔の方から逃げていきましょう」
ドン、ドン、という棒の音に追い詰められる。
「翁はそうやって悪魔を退けたのだろう!だが、私はもう!無理なのだ!本当に!」
アヒムは悲鳴を上げ、耳を塞いだ。
(ああ、翁に頼ろうなどと、私には不相応だったのだ……)
ローリントン翁はすごかった。
朝も晩も城中を駆け巡り、兵や事務官、使用人まで叱咤激励して回り、ローリントンから運ばれてくる陳情や書類を流れるように処理していき、隙あれば筋トレをする。
いっときも何もしていないということがなく、いつ眠っているのかさえわからない。
ついていけない……
アヒムは打ちのめされた。
いかに自分が甘えた、弱っちい、どうしようもない城主なのか、思い知らされた。
床の上で倒れ伏していると、逞しい腕に抱え上げられた。幼子のように。
困ったようなローリントン翁の顔があった。
「申し訳ない。私のような鍛えることしか知らない無骨者が、城主殿をお助けしようとするのが間違っておりました」
「翁、そんなことは……」
「お役に立てず、申し訳ないことです。私は自分の館に戻ります」
「そう、か……」
翁がローリントンに帰る。
助かった……
そう思ってしまった。
翁が側にいてくれれば、悪魔には襲われない。そんな安心感はあったが、それ以上にローリントン翁の存在は心身共に負担が大きかった。
「ローリントン翁は出来うる限りをしてくれた。感謝しかない。長きに渡り引き留めて申し訳なかった……」
「本当は城主殿ご自身で悪魔を叩きのめしていただきたかった。跡を継がれてまだ日も浅い城主殿は、臣下への求心力と、何よりご自身への自信が足りません。悪魔との闘いによってそれらを得ていただきたかったのです。けれど、私の力が足りませんでした」
「……それほど、私のことを思って」
ローリントン翁の厳しい指導の意味を知って、アヒムは泣きそうになった。
翁は苦笑した。
「城主殿に悪魔と立ち向っていただこうという考え自体が、間違っていたかもしれません。だとすれば私にできる助言はひとつだけです」
「……教えてくれ」
「悪魔の専門家を城に呼びなされ」
アヒムは眉をひそめた。
「悪魔の専門家……教会か?大教会から司教を呼んだが、聖水だけ置いて帰ってしまったぞ」
「司教如きでは、悪魔とは戦えませんでしょう」
「……では?」
ローリントン翁はにまりと笑った。
「真教会が4年前に認定した、この世で唯一の聖女。"悪魔祓いの聖女"をご存じありませんか?」
アヒムは息をのんだ。
※※※※
「ということで私はローリントンに帰る。可愛い孫も私を待っているだろうし」
顔馴染みになったローリントンの使用人たちと、しかめっ面した城兵たちが囲む中で、お館様は悠々と椅子に座り、おおらかな口調で言った。
─帰る!?
リューイはショックを受けて、しばらく茫然としてしまった。
オルデラの町で別れてから何日経ったのかなんて数えていないけど、お館様の顔を見るのはものすごく久しぶりな気がする。
部屋にお館様が現れた瞬間、リューイは期待してしまったのだ。
俺たちを助けに来てくれたんだ、と。
やっとここを出られるんだ、と。
なのに、違った。
リューイはどうしていいかわからず、ルイスを見た。
ルイスはお館様に向かってうっすらと笑った。
「……お嬢さまへのお土産は用意されましたか?」
「これ以上は用意しても仕方ないだろう、というくらいには」
「お嬢さまによろしくお伝えください」
ルイスが丁寧に言うと、ローリントン翁はトントンと棒で床を叩いた。
「よろしく、ではないだろう。私は君の頼みを聞いてやった。言うべきことがあるのではないか?」
ルイスはぷっと吹き出した。
「まさか、あれですか?今、ここで?」
「当然ではないかね。ここで聞くべきことを聞いて、君とは永遠にさらばといきたいのだよ」
「そんなに不安なのですか?お嬢さまを信じているのでは?」
ルイスの口がによによと動く。
逆にお館様の眉の間の皺はどんどん深くなっていった。
リューイは話についていけず、2人を交互に見た。
なぜルイスはこんなに楽しそうなのだろう。
「約束ですからね、真実を語る用意はあります。ですがそれが翁の期待どおりかどうか……」
「たわ言はもう良い!」
お館様はドン!と床を打ち鳴らした。
「欲しいのは一言のみ!『お嬢さまとは何もありませんでした』それだけ言えば良い!」
「あ……」
リューイは察した。そして急いで口を押さえた。
─カナちゃんとルイスくんの同衾問題!まだ引きずってたんだー
え?まさかお館様、『カナちゃんとは何もなかった』って聞きたくて、ルイスくんに協力してたの?
可愛すぎない!?
押さえた口からも笑いが零れそうで必死に堪える。
ルイスは、では…、とコホンと咳払いをした。
「そこまで仰るのなら、あの日のことを正直にお話致します。
あの日、お嬢さまは僕に『足がふらついてるよ。休んでいって』と仰って、部屋に招き入れて下さり、更には『寝よう』と僕をベッドに押しやりました。
そしてお嬢さまは自らドレスを脱ぎ捨て、僕の隣に横になり、そのまま……」
「嘘をつくなぁ!お嬢さまがそんなことをするかぁ!」
お館様が叫んだ。
「……マジで?」
リューイは思わず言ってしまった。
ルイスは真面目な顔で頷いた。
「マジです。神に誓って、本当のことしか言っていません。僕もあの時は本当に驚きました」
そして、顔を真っ赤にしたお館様を見た。
「ローリントン翁。お嬢さまが大事ならちゃんと貞操教育はされた方がいいと思いますよ。『眠かったんだからしょうがないでしょ!』とか『下着は農民の着る一枚着と同じよ!』とか言っていましたから」
「……うん?」
赤く染まったお館様の顔から、すーっと赤みが引いた。
「つまり、つまり、なにもなかったのだな!?」
「なにもとはどういうことでしょう?お嬢さまと同衾……同じベッドに入ったのは本当です」
ルイスが嘯く。
ローリントン翁はよっし、と拳を握った。
「そんなことだろうと思っていた!ああ、これで安心して眠ることができる。よしよし、では私は帰る」
兵たちが唖然と見守る中、お館様ひとり晴れやかな顔で立ち上がり、そのまま部屋を出ていこうとする。
「待ってください、お館様!」
思わずリューイは引き止めた。
お館様は振り返った。
「なんだね、リューイくん」
「その……、ダントン管理官がずっと食べてなくて、どうしたらいいかなって……」
リューイは口ごもりうつむいた。
本当に言いたいのは、俺をここから出してください、だ。
最初は滅多にない機会だし、楽しんでやろう、たっぷり寝てやろうなんて本気で思っていたリューイだが、ものの3日で嫌になった。
どんなに豪華で広い部屋でも、外に出られないとなると、とんでもなく窮屈に感じるのだとリューイは身にしみた。
細長い窓についた装飾が実は檻だと気づいたのは、幽閉されて何日目だったろうか。
「悪いが、君たちの扱いに関して、私にはどうする権利もないのだよ」
お館様が言う。
「そ、そうっスよね〜」
リューイはへらりと笑った。
もちろん、リューイたちをここに閉じ込めているのは、ここの統治者である城主なのだ。
ローリントンからの客であるお館様に、どうにかしてもらおうと思う方がおかしい。
けど。
「私も何度か、君たちを解放してあげるようにと進言はしたがね。どうも城主殿は迷いが晴れないようでね」
「そうなんスね〜」
「城主殿も永遠に閉じ込めておくつもりではないだろう。しばらく耐えるしかない」
「……」
お館様は気の毒そうにリューイを見て、そして扉が閉じられた寝室の方を見た。
ここに出てこられる状態ではないダントンとミハイの姿が、お館様には想像できるのだろうか。
「意識して体を動かし、なるべく陽の光を浴びるようになさい。でないと気がふれるぞ。では達者で」
お館様はそう言うと、他に言えることはないとばかりに部屋を出ていった。
ぞろぞろと兵たちが続き、扉が閉まる。
そしてお約束のように、カチリと鍵の閉まる音がした。
リューイの胸に、冷たいものが落ちた。




