ローリントン翁に孫ができるまでの話 前編
その手紙が届いたのは、やまぬ雪の日。
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ジョルジ・デメトリウス=ローリントン様
貴方の子をお返しします。よしなに。
リヤ・アナスタシア=ラカトゥシュ
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ジョルジには子などいない。
なにかの暗示か、それともただの勘違いか。
差出人の〈ラカトゥシュ〉とは南にある大層お偉い家の名だったはずだが、ローリントンとは縁も関わりもない。
何にせよ、礼儀も説明もすっ飛ばした手紙なぞ、相手にする義務なし。
ジョルジは、その手紙を無視することにした。
それから約ひと月後。
家令が「ラカトゥシュの者を名乗る客が来ておりますが、なにやら訳ありのようでして」
そう報告してきたので、ジョルジが直接玄関に出た。
そして"訳あり"の意味はすぐにわかった。
それはくたびれた行商人風の格好をした4人の男たちだったが、体格や物腰ははっきりと武人だったのだ。
─なんて下手くそな変装だ
面倒事の匂いがぷんぷんする。関われば碌なことにならない。そうジョルジは判断した。
しかし、男のひとりが大事そうに抱える布包みが呼吸をしているのに気づいて、仕方なし、館に入れてやることにした。
大きさからして、中身は子どもに違いない。
子連れを雪の中追い返すのはためらわれたのだ。
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「今、暖炉に火を入れさせたところです。側で暖まっていただくが良いでしょう」
ジョルジが貴賓室に案内すると、男たちはさっと部屋の中を見渡し、目配せし合った。
「ローリントンのご当主様。大変な無礼とは存じていますが、人払いをお願いしたく」
「ほお」
その場には家令と侍従がいたが、ジョルジ以外の者には席を外して欲しいと男たちは言う。
自覚はあるようだが、まだ挨拶もまともに交わしていない時点でのこの要求はあり得ないほどの無礼だ。
「我が家の使用人は信頼が置けないとおっしゃる」
「いいえ、そうではありません。ただ大勢の前ではお見せできないものがございますゆえ、どうか」
男は嘆願の口調で言ったが、目には自分の正しさを確信している強さがあった。
……大勢の前で見せられないもの。
それは男が抱える布包みの中身だろうか。
ジョルジは要望を飲んでやることにした。
扉が外から閉まると、男は抱えた布包みをそっと肘掛け椅子に座らせた。
そして「お嬢さま」と呼びかけた。
はらりと布が解けるように落ちる。
中から姿を現したのはやはりというか、子ども─少女だった。
ジョルジは自分の顎をさすって、少女を観察した。
なかなか愛らしい顔立ちの子だった。
よくある茶色の髪に瞳。服は男らと同じような粗末なものを着ている。
─そこまで隠さなければならない大層な子には見えんな。町を歩く子どもらと比べれば、どことなく違和感はあるが……
少女は少し首を傾げ、なにかを伺うようにジョルジを見上げた。それからホッと表情を緩めた。
痛いほどの警戒をジョルジに向けていた男たちも、少女の安堵した様子に緊張を解いたのがわかった。
「……私の顔は合格でしょうかな?」
冗談めかして尋ねると、少女は申し訳なさそうに答えた。
「失礼致しました、ローリントンのお館様。時々わたしを見た途端、抱き上げようとする方がいるので、少々警戒してしまいました」
「は?はあ」
─見た途端、抱き上げる?
「……そういう経験をされたことがおありだと。それは恐ろしい想いをされましたね」
よくわからないながら言うと、少女は曖昧に微笑んだ。
……この数刻後、家令がカナと会った途端、抱き上げるのを見ることになるが、それはまたの話。
「わたしはカナと申します。この度はお館にお招きいただきありがとうございます」
「これはこれは幼いのに、立派な挨拶を。カナ…お嬢さまは、ラカトゥシュ家のお嬢さまで?」
カナという名の少女はぱちぱちとまばたきをした。
「いいえ、わたしは……。ラカトゥシュの御方からお手紙が届いていませんか?」
ジョルジは眉を上げた。
「ああ!あの『貴方の子を返す』云々という手紙のことですかな?まさか貴女が、私の作った覚えのない子どもでいらっしゃる?」
カナはぽかんとした顔になった。答えを求めるように隣に立つ男を見上げる。
「……御方様はご自分の治める地で暮らす民を『ラカトゥシュの子たち』とおっしゃいますから。『ローリントンの治める地で生まれた子』という意味では?」
男の答えるのを聞き、ジョルジは思わず突っ込んだ。
「なら、そう書けばよかろうに!説明下手なのでしょうかな、ラカトゥシュの御方とやらは」
男たちは一瞬、ひどく不快そうな表情になった。
ひとりがカナの座る椅子の横に片膝をつくと、
「お嬢さま。なにか行き違いがあった様子。1度ラカトゥシュの地に帰られては」と低い声で進言した。
スッと少女の目が細められた。
「それが叶わないことは知っているでしょうに」
静かだが突き放すような口調は、余計な口出しをした男を咎めていた。
男がくっと頭を下げて畏まる。
ほお、とジョルジは内心で唸った。
少女はするりと椅子から滑るように降りると、そのままジョルジの前に両膝をついた。
そして手を組んだ。まるでジョルジが神であるかのように。
「ローリントンのお館様。わたしはこの地で生を受けた、卑しい農奴の子です。今日やっと、ローリントンの地に戻ることが叶いました。どうか、故郷に帰る許可をくださいますように」
教養深い言葉使い、気品溢れる姿と、卑しい農奴という言葉が、あまりにそぐわない。
ジョルジは足元の少女を見下ろした。
明るい茶色の瞳を見た途端、ひやりとした冷たさが体を突き抜けて行った感じがした。
なんという目をするのか。
まるで吹雪の山から生還した兵士のようではないか…
「手短に、お話致します」
カナは大きすぎる椅子にちょこんと座り、語った。
8年前、8歳の時に洗礼を受けるためこのローリントンに来て、隣領の商人に誘拐されたこと。
"可愛いすぎる"せいで、幾人もの男の手にわたり、行く先々で人の執着と嫉妬を背負ったこと。
ついには逃げ出して教会に入り、最終的にラカトゥシュの女当主である"御方"に保護された……
「それでこのローリントンにお帰りになったと」
「ラカトゥシュの御方より、故郷に帰るが良いと言われまして」
「それはそれは…」
ラカトゥシュの御方という言葉を口にするたび、カナの瞳が揺らぐのがわかった。
本当はラカトゥシュの地にいたかったのではないだろうか。
そうできなかった事情、それを聞き出そうとすればカナを傷つけてしまう気がした。
「これは、"二つ山の村"の住民の名が書かれた住民帳ですが」
ジョルジは家令に持ってこさせた紙の束を捲る。
「……確かに、8年前洗礼を受けた『ドキとリナの子 カナ』という名がありますな。そして、行方知らずとも書かれています。お嬢さまのことで間違いなさそうです」
カナは頷いた。
「もしよければ、その帳をわたしにも見せていただけませんか?」
住民帳を渡すと、カナは文字を読むことに慣れた様子で、ぱらぱらと住民帳を捲った。そして同じところを3度読むと、しずかに紙を置いた。
「ご家族の名はありましたか?」
「いいえ。すでに全員、亡くなったようです」
カナはそう言ってにこりと笑った。
心が割れそうな苦しみを表に出せない時、なぜか笑ってしまうのだと、ジョルジはもちろん知っていた。
─なんと哀れな…
ほんの幼い頃に誘拐され、8年経ってやっと戻れば家族は全て死んでいるとは。
これはジョルジの咎だった。
ローリントンの地で起きる全てのことは、ジョルジの責任なのだから。
─どこか家を探そう。この子を養女として迎え、実の親のように守り慈しんでくれる家を。この子の生まれではなく、この子の気高い心にふさわしい家を。それまでは…
ジョルジは自然とカナの足元に跪き、目線を近くした。
「お嬢さま。貴女が生きてこのローリントンの地に戻られたこと、本当に良かった。ここから先、私が貴女の身を保証致しましょう。しばらくこの館にて、心安く過ごされてください」
カナの心を労るようなうまい言葉は思いつかない。
それでもカナは胸に手を当て、ありがとうございます、と微笑んだのだった。
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館には代々使われてきた訓練室がある。
ローリントン家に伝わる棒術用の棒が並び、体を鍛えるための器具が置かれている。
安息日を除いて毎日朝晩、ここでメニューをこなすのがジョルジの日課だ。
それはカナが館に住まうことになった翌日も変わらないはずだった。
「ご一緒してもよろしいでしょうか」
礼儀正しく言ったカナは、裾の膨らんだ珍妙なパンツを履いていた。
「実はわたし、日課にしている体操がありまして」
「体操、ですか……」
ジョルジが言葉に詰まったのは、女の子と体操というふたつが頭で結びつかなかったからだ。
「わたしはこんなに小さくて、体力もないし、体が柔らかすぎるそうです。それでラカトゥシュの御方が毎日体を動かして鍛えなさいと」
「ほう!それは素晴らしい教えです」
ジョルジは会ったことのないラカトゥシュの御方とやらに興味が湧いた。
「どのような体操をされているのか見ていても?」
ラカトゥシュ家はこの国で最も強力な軍を持つ家だと聞いた事がある。
その家の当主が言う"体を鍛える"とは、どういうものだろうか。
カナはぴしりと背を伸ばすと、すぅと息を吸った。
「タ・タ・タララ、タ・タ・タララ、タ・タ・タ・タ・タララ〜、ヤー!」
元気な歌がカナの口から出て、ジョルジは目が丸になった。
歌いながら足を動かし、腰を捻り、踊りのような踊りとは違うような動きをする。
「タ〜タ〜、タララタララ、ヘイ!」
手を上げ、腕を振り回し、リズミカルに跳ねたかと思うとポーズを決める。
ジョルジが思わず見入っていると、長いような短いような歌が終わり、カナははーはーと息を切らしていた。
「ほお、ほお、ほお!!」
ジョルジは思いっきり拍手をした。
体を鍛えることについては誰よりも詳しいジョルジには、今の珍妙な踊りの意味がもちろんわかった。
「今のは、踊りに様々な動きを入れて、一曲踊れば体全部を動かせるようになっているのですな?」
カナは言い当てられて驚いたようだ。
「さすがお館様です!そうです!ラカトゥシュの御方が領地に伝わる踊りをわたしのために改良してくださったのです。太鼓を持った歌うたいが毎朝、この体操のために来ていたんですよ」
「なんとなんと素晴らしい!お嬢さまが楽しく、無理なく、効率よく体を動かせるよう考えられていることがよくわかります」
カナは嬉しそうに頬を染めた。
「御方は、効率と論理を重んじる方ですから。人体の仕組みから勉強なさって、この体操を考えて下さったんです」
ジョルジは唸った。
カナは見るからに体の線が細い。筋トレが必要だという発想はわかる。
しかしそこで、どこの筋肉をどう鍛えるかを一から考え、馴染みの音楽に体操として組み込み、歌うたいまで呼ぶという発想力、只者ではない。
「一度お会いしてみたいものですな」
「はい。きっとお館様とはとっても話が合うと思いますよ」
カナはにこにこと言った。
その日から毎朝、ジョルジとカナは同じ部屋で体を動かすようになった。
正直、カナの体の動きは悪い。俊敏さというものが皆無だ。
しかし体操のひとつひとつの動きの意味をよく理解して、真剣に取り組んでいた。
その成果なのか、カナは意外と体幹がしっかりしている。そのことは普段の姿勢の良さにも表れていた。
朝の鍛錬の後は共に食事をとる。
最初は女の子とふたりで食事をすることに気まずさを感じていたが、あっという間に慣れた。
カナは非常に美味しそうに食事をする。
これが美味しい、これは初めて、これはもっと焼いてほしい。
あれやこれやと感想を述べる。
そしてどこどこの名産の何々が美味しくて、などという話から地理の話になり、不思議な風習の話になり、神話の話になったりした。
カナはとんでもなく話上手で、教養と知識に溢れた才女だった。
「女の子というのは、おしゃれが1番で、ふわふわしてて、頭でものを考えたりしないと思っていたが、お嬢さまはずいぶん違うようだ」
カナが館に来て1週間ほど経った頃。
晴れ間が出た白い庭を私室から見下ろせば、庭師となにやら論じているカナがいた。
カナは花畑でうふうふ笑っているのが似合うような可愛い女の子だ。
それは間違いないのだが、樹木を指さしながら真面目な顔で庭師に意見を述べる姿は、やっぱりジョルジの中の女の子像とはズレている。
誘拐されてからの8年がカナを可愛いだけの女の子でいさせなかったのだと思うと、ジョルジは胸が痛んだ。
小間使いのオーガスタは苦笑した。
「お館様は女の子への偏見が過ぎますよぉ。けれどカナお嬢さまは、すこぉし無理なさっているかもしれませんねぇ」
「どうしてそう思う?」
「いやだって、お嬢さまっていつも誰が見ても可愛いくて良い子じゃないですかぁ。子どもってあんな生き物じゃないですよぉ」
5人の子と12人の孫を持つオーガスタはケラケラと笑った。
「子どもと言ってもお嬢さまはもう16歳のようだが」
「お館様知らないんですかぁ?10代の子どもの可愛くなさときたら、毎日ぶん殴りたくなるレベルですよ」
「ほぉ、そういうものか」
10代の女の子など、ジョルジにとって未知の生き物だった。
カナとそこらの子は一緒に語れないと思うが、ぶん殴りたくなるようなカナというのは見てみたい気がする……
「けどお嬢さまがいらして、お館は一気に若返ったようですねぇ。やっぱり男どもは若い女の子がいると、浮かれちまうもんなんですねぇ、ホントしょうもない」
「ああ、それは仕方ない。見捨てられた畑にナデシコの花が咲いたようなものだ」
「お館様、うまいことを言っちゃってぇ」
ジョルジとオーガスタは一緒に笑った。
ナデシコは神の花。カナを神からの贈り物とは、いささか言い過ぎだが。
この時呑気に笑っていたジョルジは、子育て経験豊かなオーガスタの話をもっと真剣に聞いておけば、とのちに後悔することになる。




