ミィナの姉2
村は広いライ麦畑に囲まれている。
けれど収穫したライ麦のほとんどは、お館様に納める年貢になる。
村人が食うのは、わずかな麦と豆と野菜の粥。それが日常だった。
なのにここ月一巡りほど、なんの特別な日でもないのに、“大竈”の釜はパンを焼き続けている。
まっさらに挽いた麦粉が大量にあるからだ。
「パンはやっぱりうめぇわ」
「今日もパン食えるのかと思うと、畑仕事にも力が入らぁ」
そんな声を聞くとミィナは、
ああ、わいの姉ちゃは神さまだがー
と思うのだ。
「カナー。来たでー」
「ロイド。待ってたよー!」
ロイドは右手にパンの塊、左手肘にスープの鍋をかけて、今日もミィナの家へやって来た。
「今日も可愛いなー、カナ。わいの嫁さんにならん?」
「ふふ、毎日飽きないねー」
ロイドは村長の息子だ。
食料のお礼にとカナのところへやって来た時に一目惚れしてしまったらしい。
それで毎日毎日、大竈から飯を受け取ってはやって来る。
(可愛いと、飯の方がやって来るだなぁ)
ミィナはキラキラした笑顔の姉を見て、思う。
「今日もありがとね、ロイド!」
体が大きくて、見た目がちょっと怖いロイドが、幼子のような顔でにかりと笑う。
飯を受け取ると、カナは鍋のスープにちぎったパンを入れて、チーズを入れて炉にかける。
鍋がコトコトしてきたら、中身をちみっと皿によそい、ミィナの前に置いてくれた。
「パン粥完成!おかわりは3回まで。食べていいよー」
ミィナはコクコクと頷いて、スプーンを取った。
まだミィナは腹が弱いから、たくさん食べてはいけないのだそうだ。
もっと食べたいと思うけど、姉には逆らえない。
ミィナが一生懸命食べ始めると、カナはミィナの横の椅子に座り、姉妹を観察していたロイドを見た。
「ね、悪魔を追い出す話、どうなったの?」
ロイドは顔をしかめ、嫌そうな顔になった。
カナの向かいの椅子に座り、足を組む。
「カナ、自分で悪魔とか言うんでねぇさ」
「えー?『幼い娘が何年も村の外で生きられるわけがない。あれは昔死んだカナの皮を被った悪魔だ』って話だよね?」
カナはテーブルに頬杖をついて、ふふふと笑った。
「ま、村の人たちがそう言うのもわかるかなー。それで?わたしは追い出されるのかな?」
「なわけねぇがね。食料くれるありがてぇもんを追い出すなん、馬鹿なこと」
あっという間に1杯目の皿を空っぽにしたミィナは、ロイドの言葉にコクコクと頷く。
姉が村に戻ってからというもの、山の向こうから馬車がやって来る。その馬車にはいつもたくさんの食料が積まれていて、姉は『村の人たちにあげる』と言う。
そんな神さま同然の姉を村から追い出そうだなんて人、いるわけない。
「ミィナ、おかわりだね。2杯目〜」
カナは皿にパン粥をよそった。
またミィナが夢中で食べ始めると、カナはロイドにも水の入ったコップを渡した。
ちょっと甘い水だ。“はちみつ”というのが入っているらしい。
「おお、あんがと!うめぇー!」
ロイドは一気に水を飲み干すと、肩を竦めた。
「カナはさ、村に来てからずっと家に籠もって、外に出て来ねぇがね。悪さもしねぇで隠れとるなら、まぁいいかねって、爺婆どもが」
カナはぶふっと吹き出した。
「食料くれて、悪さしないなら、悪魔でも構わない?なぁるほどねぇ」
「考えるんが嫌になったんだと思うわ。厄介事は全部見んふりしよるから、爺婆どもは」
きゃらきゃらとカナは笑った。
「ま、そういうのも知恵だよねぇ。…ミィナ、3杯目?」
ミィナはこくりと頷く。
すぐに新しいパン粥がやって来る。
「ねぇ、ロイド。わたしが本当に悪魔だったらどうする?」
「はぁ?なわけねぇさ」
「どうして?」
「カナはちっこくて、可愛い、わいの大好きな女の子だがね!」
カナはきゃらきゃらと笑った。
「ロイドは口がうまいね!でもね…」
「ん?」
「わたしもう、女の子って歳じゃないんですけど」
え、とロイドは目を丸くした。
「ロイドが覚えてなくても、わたしは村を出る前のロイドのこと覚えてるよ」
カナは短い指でロイドをピシッと指さした。
「ロイドはわたしより歳下!」
「……嘘だっ!」
「わたしのこと、お姉様と呼んでもいいよ!」
ガーンと頭を抱えるロイドをカナはふふんと笑った。
「そんな成りでわいの歳上?あり得ん!まさか本当に悪魔…?」
「なわけないでしょ!外身も中身も正真正銘、この村生まれのカナです!」
カナはぺしんとロイドの頭を叩いた。
3杯目のパン粥を食べ終わったミィナは、まだ食べたいと騒ぐ腹をさすった。
(だから姉ちゃは、神さまで、わいの姉ちゃだっちゅぅにー)
※※※
最近ミィナの体が軽くて、全然倒れなくなったのは、毎日食べているからだと思う。
腹も痛くなくなったし、爪も生えてきた。
朝起きて、今日も頑張るぞーと思える。
黄色い朝日の下、足取り軽く作業場へ向かう。
同じように仕事に向かう人たちが、おしゃべりをしながらミィナが見えていないみたいに、過ぎていく。
(姉ちゃが悪魔……)
昨日聞いた話を思い出して、ミィナは胸がなんだかむかむかとした。
ミィナは知っている。みんなは姉が怖いのだ。
村の外から来た人なんて、これまでいなかったから。
村の外で何年も過ごすなんて、想像もできないから。
やって来た娘が、昔ローリントンで行方不明になったカナだなんて、信じられない。
食料をもらっても普通に感謝できない。
怖いけど食料をくれるから、ミィナの家にいる“誰か”を頑張って見ない振りをしているのだ。
“親なし”のミィナを見ない振りしているみたいに。
(みんな、馬鹿だが)
ミィナはぶんぶんと首を振る。
その時、
「この、死に損ない!」
声と共に横から足が飛んできた。
脇腹に衝撃を受け、ミィナは地面に倒れた。
「……っ」
ミィナは地面に手をついて見上げる。
(ザーネ叔母ちゃ…)
「おめの飯はねぇんだっちゅぅに!なぁにロイドに飯持って行かせとるんさ、この死に損ないが!」
ザーネの喚き声はわんわんと響いて耳に突き刺さるよう。
ミィナは目をぱちぱちさせて、言われたことを考える。
(…あ。最近、ロイドが毎日飯を持って来てくれっから…)
ザーネは大竈係のひとり─村全員分の飯を作ったり、配ったりするのが役目だ。
飯なしのはずのミィナの分を、ロイドが持っていってしまう。
そうザーネは怒っているのだ、ミィナは蹴られた理由を理解した。
(けど、ロイドが飯持って来とるんは姉ちゃのためで、わいはついでなん……)
そう思っていると、心の声が聞こえたかのようにザーネが喚く。
「おめの姉ちゃのカナが帰ってきた?はぁ?そんなもん、わいは認めとらん」
(……認めとらん?)
上からまた足が降ってきて、ミィナは手で頭を庇って丸くなった。
「おめの姉ちゃはとおに死んどんだで!?おめが悪魔を村に呼び込んだんな!」
げしげしと何度も蹴られて、もうザーネの声は聞いていられない。
最後に思いっきり蹴飛ばされて、ミィナが横倒しになると、ザーネはやっと満足したらしく、だんと地面に足を降ろした。
「今日から、ロイドに飯は持っていかせんが!誰に飯を渡すかはわいが決めるんさ!」
そう言い放つと、どかどかと去っていった。
「……」
しばらくしてそぉっとミィナは顔を上げ、ザーネの姿がないことを確認すると立ち上がった。
(立てる…)
普通に立てる。これまでザーネに蹴られるたびに、そのまま気を失ったり、げえげえ吐いてたりしたのに。これも毎日食べているから?
(ザーネ叔母ちゃ、変なこと言っとった…)
食料を使う大竈係のザーネが、食料をくれるカナを認めとらん、ってそんなわけがない。
ロイドが持ってく飯は、姉ちゃの分なんに……。
その日ミィナはずっとハラハラしながら、脱穀作業をした。
同じ作業場の女たちが今日の仕事を終わらせていなくなるのを待って、外へ飛び出した。
夕暮れの中、大竈へ向かう鍋を持った人たちが歩いている。
ミィナは走って家に戻った。
居間に「よっ」と手を上げるロイドと鍋を見て、ほうと体の力が抜けた。
ロイドはちゃんと今日の飯も持ってきてくれた!
(ロイドは村長の息子だし、“山狩”で強いしな。きっとザーネ叔母ちゃより強いんさ)
ロイドはいつもどおりひょうひょうとして、お調子者と姉に言われる顔だった。
けれどロイドが「もう帰るわ」と言って背を向けた時、そこにくっきりといくつもの足跡がついているのにミィナは気づいた。
(ザーネに蹴られたん!?)
ミィナはてててとロイドの背に近づくと、土を手でぱぱぱっと払った。
「なんかついとった?」
不思議そうにロイドが振り返る。
ロイドと目があって、ミィナは胸の下あたりでなにかがむく、と膨らむのを感じた。
─ザーネがミィナに飯をくれないのは、しょうがない。
ミィナは“親なし”で、“口減らし”された子だから。
けど、村に食料をくれる姉を認めん、とか、飯を渡さんなんて、絶対おかしい。
姉の分の飯を持ってくるロイドを蹴っ飛ばすのは、絶対おかしい。
(…ザーネ、絶対おかしいがね!)
それはミィナが久しく忘れていた、怒りという感情だった。




