ルイスとギフト7
ゴーゥンという音がルイスの頭に響いた。
同じ音をついさっき聞いたばかりの気がする。
城市町で馴染んだ教会の鐘の音よりも重く低い音。
ひどく体がこわばっていた。
腕が動かない。
椅子の上で寝てしまったようだ。首を持ち上げようとすると、寝違えたように痛みが走った。
(……椅子の上で?)
ドン!
床を突く鋭い音に、ルイスの頭の中がバシリと叩かれた。
重い瞼を無理やりこじ開けると、そこは明るい部屋の中。
ガラスの窓からは陽光が入り、部屋中の装飾がキラキラと眩しく輝いていた。
ルイスの前には丸いテーブルが置かれていた。
そのテーブルの中央には緑がかったガラスの小瓶がぽつんと置かれていた。
「……!!」
ルイスは思わず身じろいたが、わずかしか体が動かない。
見れば、ルイスは後ろ手に縛られ、更に椅子に括り付けられていた。
首を捻って腰の右側を見る。寝る前にはついていたポケットは無くなっていた。
(ああ、失敗した…)
「やぁ、やっと起きたかね。暗殺者くん」
ルイスは恐る恐る声の方を見た。
案の定そこには、ローリントン翁がいた。
1人掛けのソファにゆったりと座り、右手で銀の棒をもてあそんでいる。
その表情は穏やかでさえある。なのに恐ろしいほどの威圧感に、ルイスの喉がきゅっと閉まった。
「暗殺者くんだなんて」
鈴が鳴るような声がして、ハッとルイスは右側を見た。
そこには茶金の髪の毛がふわふわと広がるお人形のような少女がいた。
陶器のような白い肌。薄いピンク色の唇。総レースの白いワンピース。
ローリントン翁と同じ形のソファに埋もれるように座っている。
「……カナ、さん?」
少女はルイスを見て、困ったように微笑んだ。
その特徴的な大きな目は確かに、今朝まで一緒だったカナのものだった。
「おじいさまがね、ルイスくんは危険だから殺してしまおうって言うの。わたしはルイスくんは普通の子だって言ったんだけどね」
ルイスはぎくんとした。
(危険だから、殺す……)
それは昨日までルイスがカナに対して思っていたことだった。
まさか、こんな風に立場が反転することになるなんて。
「嫌よねぇ。お偉い御方はすぐに死ぬだ殺すだおっしゃって」
カナは肩を竦めた。
「というわけでね。君から話を聞こうということになったのだ。まず、この小瓶について」
ルイスは再びローリントン翁を見て、ごくりと唾を飲んだ。
からからに乾いてひりつく喉を必死に動かす。
「ど、どうして僕は、縛られているのでしょう。その小瓶がどうかしましたか?」
ローリントン翁は面白そうに口を歪めた。
「君のポケットに入っていたこの小瓶の中身は何か、教えてくれるかね?」
「そ、それは……」
ルイスはドッドッと鳴る自分の心臓の音を聞きながら、こんな時のために考えていた説明をした。
「鼠退治の薬です。城下町で購入したものですが忘れてて、ポケットに入れたまま城を出てきてしまいました」
状況からして、小瓶の中身が毒であることはバレている。
しかし鼠や害虫を殺すための毒なら、普通に薬屋に売っている。鼠用と言い張れば嘘と断じる事はできないはず。
「なるほど」
ローリントン翁は棒をテーブルに立てかけると、小瓶を取り上げた。
蓋を開けて瓶を傾け、翁の指の上に白い粉がわずかについた。
それを無造作にぺろりと舐めるのを見て、ルイスは仰天した。
「それっ、毒っ!」
「はははっ、このくらいの量のヒ素、何ともならんよ」
ローリントン翁は小瓶をテーブルにトンと置いた。
「素晴らしい。味も臭いも全くない。これをスープにでも入れられたら、まず気づかないだろうね。この暗殺に特化した貴重な毒を、君はどこで手に入れたと言ったかな?」
ルイスは瞬きを三度した。
ローリントン翁が言っている事がすぐには理解できなかった。
「おじいさま、おわかりでしょう?ルイスくんは毒のことなんてなんにも知らない一般人なんですよ」
カナが横から言う。
「ポケットに入っている毒が気になって何度も触っちゃって。迷って迷って、結局毒を使うのを諦めるような、普通の子ですよ」
ルイスは固まった。
(どうして、なんで、全部気づかれて……っ)
「人を殺すなんてできない普通の子です」
「……っ」
静かに断言するカナをルイスは驚きの目で見た。
「なるほど。ではその普通の子に、誰がなぜ毒を渡したのかが問題ということですな」
ローリントン翁がルイスを鋭く見る。
(ど、どこまで話してよくて、何を隠すべき?)
回らない頭で必死に考える。
「そ、その小瓶は、実は、城主サマからいただいたものです。念のためって!道中危険なことがあるかもしれないから、持っておきなさいと言われたのです」
(嘘は言っていない、嘘は言っていない!)
「なるほど、城主殿が。それでどうして役人の従僕である君に?」
「そ、それは……っ、ダントン様はああいう御方ですので、僕が持っていた方が良いと……」
“ああいう御方”で通じるか怪しかったが、ローリントン翁は納得したように頷いてくれた。
ルイスがホッと小さく息をついた次の瞬間、目の前を光が走り、顎が突き上げられた。
「ぐえっ」
ローリントン翁の銀の棒がルイスの顎を持ち上げて押さえつけていた。
ルイスの仰向けた視界に、世にも恐ろしいローリントン翁の青い目が入り込んだ。
薄い唇が動いて、低い声が間近から聞こえる。
「お嬢さま。ペレシュクの城主をご覧になったことは?……あそこは3代続けて、このような金髪とヘーゼルの瞳なのです」
「え」
「加えて、3年前に城主になった若造は、遊び人で有名でしてな。城下町に最低でも8人の私生児がいるとか」
「8人!?よく親が許したものですね」
「血筋は道具になりますからな。先代城主は私生児たちを城に集めて、教育を施していたと聞いています」
「つまり、ルイスくんは?」
「現城主の私生児でしょうな」
「まぁ!」
顎を押さえつけられたまま、生まれの秘密まで暴露され、ルイスの喉が震えた。
銀の棒が離れ、ガクンと頭が落ちる。
ハッハッと荒い息が漏れた。
「でもどうして城主さまのご子息が、従僕に?」
「お嬢さまを油断させるために従僕に扮していたのでしょう」
ローリントン翁の言葉に、苦しい息の中思わずルイスは叫んだ。
「違います!僕は本当に、ダントン様の家に仕えている従僕です!……城主の私生児なのは本当ですが、……ただそれだけ、なので…」
言いながら声が萎んでいったのは、ローリントン翁の目に侮蔑の色が浮かんだから。
(なんで、そんな目で見られなきゃいけない)
なぜ人は、特別な血を引く者は特別でなければならないと思うのだろう。
普通に生きているだけなのに、堕落した者のように見られる筋合いはない。
……そう思うのに、この地の歴史を背負うようなローリントン翁の前で、ルイスは自分の体が縮まっていくような感覚に襲われた。
自分がひどく矮小で卑怯な人間のように思えてくる……
「何という弱っころだ」
ローリントン翁が吐き捨てるように言った。
「体もひ弱だが、頭も心も弱すぎて救いようがない。どうしてこうイオネスクの血筋は鍛えるということを知らないのか」
銀の棒が、今度はルイスの胸を軽く小突いた。
「君のような浅はかな弱っころ。嘘を吐けばすぐにわかるのだよ」
「う……」
「改めて問おうか。君は何者だ?」
ルイスは震える唇を開いた。
「ダントン様の家に仕える従僕です。……父はアヒム=イオネスク。母はマリア、城下町南地区の育ちです……」
ローリントン翁は頷いた。
「このヒ素は誰からもらった?」
「ペレシュク城主である父からです」
「城主はなんと言って、このヒ素を君に渡したのか?」
「……念のため、と。危険があれば使え、と」
途端、胸に棒が強く押し付けられた。
「……っ?」
なぜか、息が苦しくなった。
喉を絞められているわけではないのに、呼吸がうまくできない。
胸の棒をどかしたいのに、腕が縛られていて手が動かせない。
「……はっ、はなっ、くるしっ」
視界が血の色に染まる。
まさか、このまま…、と思った瞬間、ふっと胸が解放された。
「もう少し詳しく、城主が君になんと言ったのか、聞きたいものだな」
ぜえぜえと息を荒くして、顔を涙と涎と恐怖でいっぱいにして、ルイスはローリントン翁を見た。
これが尋問というものかもしれない。
なにせローリントン翁は、かつてロチェスク家を相手に戦い抜いた総大将。捕虜の尋問も拷問も慣れたものなのだ、きっと。
ルイスの頭は恐怖でいっぱいで、次々下される質問に口が勝手に答えていくようだった。
「なるほど。それで?父君は絶世の美女についてはなんと?」
「……触れれば爆発するような女かもしれない、ギフト持ちかもしれない、と」
「なぜ城主殿は、そんな風に考えたのだろう?誰かがそう言ったのかな?」
「ぼ、僕にもよくわかりません……」
正直に答えたのに胸が再びぐっと押され、慌てて叫んだ。
「本当にわからないんです!老蜘蛛がとか、城に見張りがとか、言ってたけど、なんのことだかっ」
「……老蜘蛛」
冷たい氷のような声でローリントン翁が言い、ルイスはびくりと震えた。
「君は老蜘蛛を知っているかね?」
「し、知りません!」
「君は本当に何も知らされていないのだな。甘やかされているのか、城主の血筋と見なされていないのか」
呆れ果てたというように言われる。
ルイスはむしろ安堵した。やっと自分が何も知らないことをわかってもらえたと。
「ではこれで最後の質問にしようか。城主はお嬢さまをどうするつもりだと?」
「……え」
「お嬢さまを城に連れてこさせて、それから?」
「……聞いていません」
父は、老蜘蛛とやらから絶世の美女を探すよう言われて逆らえない、と言っていた。
しかし、捕まえた絶世の美女をどうするかは何も言っていなかった。
ローリントン翁は深く眉の間に皺を刻んだ。
「それもわからないと。では、君はどういうつもりでお嬢さまを城に連れて行こうとしていたのかね?」
「どういうつもり……」
危険なら殺す。そうでなければ城に連れて行く。それだけしか考えていなかった。
城に着いたあとカナがどうなるかなんて、一度でも考えたことがあっただろうか。
「あまり考えてなかったです……」
ローリントン翁の目に苛烈な光が走った。
肩に、まるで雷が落ちたような衝撃。
「が、あぁぁっ」
なにが起きたのかすぐにわからない。
息が止まるほどの痛み。
「おじいさま!」
ルイスの前に小さな体が走り込んできた。
「おじいさまともあろう御方が、抵抗できない者を痛めつけるなんて」
(カナ、さん……)
ルイスは痛みに滲む目で、目の前に広がる茶金の髪の毛を見た。
正直、同じ部屋にカナがいたことさえ忘れていた。
ぽんっと小さな手がルイスの膝に触れた。
温い手に、労る気持ちを感じたのはたぶん気のせいではない。
「ああ、つい手が滑りましたな。しかし」
ローリントン翁はとんとんとルイスに叩きつけた棒で床を叩いた。
「これはやはり殺してしまいましょう。この弱っころはお嬢さまを人として見ていない」
(……人として、見ていない?)
カナの手がぽんぽんとルイスの膝を叩いた。
「おじいさま、それは無理のないことです。ルイスくんにとってわたしは、危険人物で、厄介なギフト持ちで、父君から言いつけられたお使いの品に過ぎないんですもの」
そのカナの言葉はあまりにも的確で、ルイスは心の臓を突かれたような気がした。
「お嬢さまを故郷から連れ出し、命さえ狙っておいて、ここまで何も考えないでいられるとは、信じがたい愚か者です」
「持ち慣れない毒に振り回されて、他の事が考えられなかっただけなんだと思いますよ」
カナは人の心が読めるのか。そういうギフトも持っているのか。
そうでなければ、ここまでルイスの気持ちを当てられるはずがない。
(……違う、カナさんは見てたんだ)
ルイスがポケットを気にして触るところを。
カナを殺すべきか、迷っている目つきを。
マントを剥ぎ取った時の、ルイスの手を。
カナのギフトを厄介だと考えた時の表情を。
全部。ルイスの気持ちごと、見ていた。
「ルイスくんはとっても真面目な子なんです。従僕の役目もお父君からの役目もこなそうと一生懸命だったんです。知り合って間もないわたしのことなんて、慮れなくて当然です」
(ああ、なんて恥ずかしい)
肩の痛みよりも、体中を駆け巡る羞恥心にルイスは蹲りたくなった。
「ふむ。お嬢さまはどうしてもこの弱っころを庇いたいのですな。ならばこうしましょう。お嬢さまが城へ行くのを諦めて下さるなら、この弱っころの命は取らないということで」
「おじいさま!わたしに言うことをきかせるために人の命を使うようなこと、されませんよね?」
カナが強い口調で言うと、ローリントン翁は口をもぐっとさせた。
「ねぇ、もうルイスくんを解放してあげませんか?こぉんな弱っころに、なんの危険もありませんよ」
カナがローリントン翁の真似をして“弱っころ”と言うと、翁は参った、というように自分のつるりとした頭を撫でた。




