『カインの使者』第六部1章「風早果南」
聖エルシアーナと風早果南に初めて会見する和泉。改めて成人の姿の果南を見て驚愕する。彼女の世界創造の犠牲を考えたとき、和泉は会談の折に境界層破壊の事をアメリカ、ロシアに勧めた事を後悔する。だが、和泉の気持ちを観た果南は、自身の犠牲が霊子の約束であり、それを果たす事で大勢の人たちが救われる、それは良いことではないかと和泉に問い掛ける。
一方、会談を終え、自分の部屋に戻った志門とミカは地上の争いを止められなかった事で自分たちの無力を痛感する。だが、志門は自分たちの創造のバトンは果南が引き継ぐことを改めて確認する。横で聴いていたエディは志門とミカの余りに衝撃的な世界創造の出来事を知り息を呑んだ。
『カインの使者』第六部1章「風早果南」
和泉はここへ来た時、エルメラ議長に風早果南の紹介を受けた事を思い出し、そして混乱した。自分の目の前に立つ、聖エルシアーナの隣に立っているのは見た目二十三歳くらいの女性なのだ。和泉はエルメラが紹介したのを耳で聞いていたが、意識は理解していなかった。
(エエッ!? バカなっ…、風早果南はまだ五歳くらいの筈だっ!!)
和泉の混乱を察した果南は前に進み出て手を差し出す。
「はじめまして、パパの国の大臣さん、和泉さんでしたか、私は風早果南です……、驚いているんですね、私の姿に。」
「五年前に貴方は生まれたんだよね……、何故!?」、と和泉は果南の姿を不思議に思った。それに対し、エルメラが答えた。
「ここは物質と霊子の境界層です。人の思いが物質を形作る……、彼女はしっかり動ける身体になりたいと思ったのです。また、それは計画遂行の為でもありました。私たちは霊子技術で、ある程度の年齢の幅の中に身体を維持していますが、此処の空間ではそれが普通に出来るのです。勿論、人の意識の強弱は作用しますが…」、とエルメラ。
和泉はまだ理解しがたい顔で果南に向き直り差し出した手を両手で包んだ。何とも表現できない温かな感情が伝わって来る、それは自身の中に在るマイナスな思いや感情を溶かして行くようだった。
(これがこの子、風早果南の思いなのか……何という温かさなんだ!)、と和泉は思った。
「私はパパの思いを引き継いでいます。私はその思いを”形“にする為に生まれてきました。これは霊子の約束なんです。」、と彼の心を観た果南は言った。
「霊子の……約束?」
和泉の不可解にアクエラが答えた。それはとても簡単な事だった。
「霊子の世界には真実しか存在しない。簡単に言うと中間的な事柄や概念的な躊躇は存在しない、全ては方向性に依存している。敢えて中間的、と言うならそれは強度として表すことが出来る。」
「方向性と強度、……か。とにかく、果南さんと父親の志門さんは約束をして、それが今、進行中なんですね。」、と和泉は返した。果南は笑みを浮かべて頷いた。
和泉は用意されていた椅子に腰を下ろし、全員に向き合ったが中々、言葉が出てこなかった。
今回の会談で自分はカインの境界層破壊計画の事をアメリカ、ロシアの両連合に話し、また自国のムーンショット計画を推した。だが、それは自国民の一家族の犠牲の上に成り立っている。彼は自分が言った事がそれを確定させてしまった…と後悔の念に満たされた。
(自分は大臣でありながら自国民の生命を……、自分はアメリカ同盟とロシア連合の和解を進めるべきじゃなかったのかっ!? 確か、エディという女性が言ったように戦争を止めることが出来るなら、風早果南は人柱に成らずに済んだ筈だ…)
聖エルシアーナは和泉の心を見ていた。
「和泉……、これは約束であり、私の願いでもある。境界層破壊は本来の世界の在り方へ戻すため。今の世界は本来の姿からかけ離れているのです。貴方の思いは物質的な齟齬です。また、……私の計画は地上の出来事に左右されるものではない。」、と聖エルシアーナは和泉に告げた。
交感器で和泉の気持ちを知ったエルメラとエステルは、自身の立場と彼を重ねて思ったとき非常に辛く感じた。人間の命を預かるという点で、二人はカインの都市民6000人の運命を背負っていたからだ。これがどれ程の重圧であるか、その先例をマーナが示している…
エルメラは独り言のように和泉に語った。
「貴方が思うところは理解出来ます。カインも前の世界線に於いて、月面で滅びました。私たちは新たに創られる世界線に希望を託して風早志門とミカ·Elle·カナンを霊子世界の深層部へ送り出しました……、二人はそのとき、死ぬ事が確定していたのです。」
「今の世界線で二人は存在している、だけど今回の計画で……、果南さんは…」、と和泉は声を詰まらせた。
果南はフッと短く息を吐いた。
「確かに私自身、肉体的な別れはとても辛い……。パパとママと一緒にその事を話し合った時にいっぱい泣きました。でも、私が別れを悲しんだように、他の人もまた悲しい別れをした人が沢山いる……。パパはママと結婚する事で、カインとアベルの間に起きた過去を変えたかった……、人が人の手で他の人を……、戦争です。世界の間違いはここから始まった。それを止めるのは今ここに居るカインとアベルの血を引いた私じゃないと出来ない。私の意思が新しい世界と一体になって争いを起こさせないっ! 私が人の形に戻らない事で大勢の人たちが生き返って平和に暮らして行ける……。和泉さん、それは良い事だと思いませんか?」、と果南は和泉に問うた。
ここまで聞いた和泉はもう何も返す言葉が無かった。自分が思っていた自国民の生命というのも”国“というシステムが作り出したとても幅の狹いも、或いはフィクションのように感じられた。対して彼女の言っている事は人間の本源に根ざしたものだからだ。
和泉はテーブルに手を置き俯いたまま呟くように言った。
「私は……どうすればいいでしょうか。」
和泉の言葉に聖エルシアーナは明確に答えた。
「この後の会談は何回か続くかも知れない、貴方はエステルと一緒に対応しなさい。その中で貴方には向こうへ戻る機会が有るでしょう。……それとエルメラ。」、和泉に言った後、聖エルシアーナはエルメラに向いた。
「カインには試される時が来る……だが、慌てないように。助けは来ます…」、と聖エルシアーナは言う。エルメラはハッと畏まりながらも次のように尋ねた。
「この先に何が起きるのですか? ヤーワァ(神)は全知です。」
聖エルシアーナの従者である律法義委員のロタが立ち、エルメラを制した。
「議長っ!! 人の考えで動いてはイケないっ! 既にヤーワァは私たちの目の前に居るのです。これは直接の言葉です!」
それを聞いた全員が聖エルシアーナの前に平伏した。
◆
自分たちの部屋に戻った志門とミカ、そしてエディは暗い顔で直接床に腰を降ろした。
「どうでしたか、教授?」、と始は聞いてきた。
「……あの人達はもうダメだ。自分も力がない……自分はただの教授、いや無職だ…」、肩を落とす志門の隣でミカは嗚咽を漏らしながら呟いた。
「私と志門が犠牲になって出来たこの世界は……良くならなかった…みんな信じてたのに…」、と膝に顔を埋めるミカだった。前の世界線でカインは新しい創世を目指し、霊子世界の深部階層へ志門と自分をループストライカーで送り出した。その後、カインの国都市セイルはアベルの軌道プラットフォームの攻撃で滅んだ…、その時、自分たちに希望を託した仲間の思いを考えた時、ミカの胸は張り裂けそうだった。
志門はミカの肩に手を回し軽く揺すった。そして自らを納得させるように説いた。
「前の世界線でループストライカーが霊子世界の最深部に迫った時、船が先に死んだ……、ミカ、君の事だよ。僕はその後、必死で船を動かそうとしたけど駄目だったんだ……希望を失いかけた時、果南の声が聴こえたんだ。”…必ずあなたを助ける…………だから―――絶対………私を産んでね“って。それは絶対の約束だった……、ミッションは成功して僕は死んだ。君と一緒に。そして今の世界線だ、僕たちは確かに果南を生んで約束を果たした。 僕たちは世界創造のバトンを果南に渡したんだ。」
横で志門と同じように床に座り込んでいたエディは、その話に耳を傾けていた。余りに壮絶な出来事に彼女は俯いたまま息を呑み、そして思った。
(これが世界を創造した者が負わなければならない事なのっ!! 私は志門にヒヒイロカネを渡した……、だけど私自身は何も出来ていないっ! 志門やミカさんの辛さを考えたら私の負っている事なんて…)




