第一章 魔女狩りのセイラム⑥
翌朝。まだ日も昇らぬ早朝。
濃霧の立ち込める中、シャルロットにレン、カイト、シフィナの四名はセイラムの正門へと再び集まった。見送りとしてヴァンフォートやチックら、加えて住人たちも数十人がやってきている。住人たちの表情は、自ら赴く必要がなくなったことへの安堵、レオナルドたちへの希望、他所者への疑念、あるいはマドレーヌが辿る残酷な運命への期待が入り混じった複雑なものだ。
一晩眠って動ける程度に回復したフィリアは、怯えた様子でガーカスの首を抱いている。
「ガーカス……。僕、なんか怖い」
「大丈夫だフィリア、このチック様がついてるぜ!」
「だから不安なんだけど」
「バウ!」
「ひどくない?」
セイラムに残ることになっている二人と一頭に、シャルロットは歩み寄って小さく頭を下げた。
「皆様は必ず無事にお返しします。御三方は宿でお待ちください」
「シャルロットもな。四人とも無事に帰ってきてくれなきゃ泣いちゃう」
「はい、善処いたします」
真面目な聖騎士に、フィリアはサンドイッチの入った布包みを差し出した。上には白い花が一輪添えられている。
「これ、お弁当とお守り。レンたちのことよろしくね。三人とも、すぐ無茶するから」
「バウ!」
「ありがとうございます。きっと一人も欠けることなく帰ってまいります」
妖精からの授かりものならば加護もあろう。
包みと花を大切にしまってレオナルド達のところまで戻ると、ヴァンフォートが何か報告を受けている最中だった。秘密の内容なのか伝令は耳打ちで伝えている。
「……分かった。公表の時はこちらで決める」
「大団長、どうかされましたか?」
「いや、本件とは関係のない話だ。戻ってから共有しよう」
ヴァンフォートは白みだした空に目を向ける。夜は再び生屍が活性化するため、日中に全てを終わらせて帰らなくてはならない。物見櫓から声が上がる。
「日の出です!」
地平線から太陽が顔を出した。あの光が西に沈むまでが作戦の制限時間となる。正門がギギ、と重い音を立てて開かれると、レオナルドは迷わず外に踏み出した。
「行くぞ」
後にシャルロット、シフィナ、カイトと続く。湖までの道は馬が適さないため徒歩での移動となる。朝露にくるぶしを濡らしながら仄暗い森へと踏み入ると、最後まで見送っていたヴァンフォートの姿はすぐに見えなくなった。
その後はしばらく穏やかな道のりが続く。様子が変わったのは湖まで半分を過ぎた頃。森が深く、霧が濃くなるにつれ、日光の届かない暗がりから生屍が現れだした。
「右前方から生屍よ! 一〇体くらいだって!」
「後ろからも追いすがってくんぞ!」
シャルロットの後方からはカイトの射撃音が絶え間なく響く。
「霧のおかげで水弾の補充が早くて快適だぜ!」
前進しつつ、先頭のレオナルドが前方を、二番目のシャルロットはより広い前方を。後ろのシフィナとカイトが左右を警戒する。
カイト曰く『ゴーグルの生体センサーも生屍には反応しない』とのことで、行軍時の基本的な警戒網を敷きつつ四人は湖を目指していた。シフィナの結晶獣も索敵に走り回っている。
今のところ危なげはない。前方からレオナルドの声が飛ぶ。
「後ろのシフィナたちはついてきてるか!?」
「はい! 全員揃っています!」
「うるせえ! 黙ってろ鉄クズ!」
「す、すみません!」
「いや、お前に言ったんじゃねえ! くそ、ややこしい!」
レオナルドは時たま誰に言っているのか分からない毒を吐く。まるで隣にもう一人いるようだと思いつつ、シャルロットはその強さに改めて驚かされていた。
生屍の体は硬い。
人体の柔軟さと石のような硬質さ、そして手足を砕かれたくらいでは動じない耐久力。
それらを併せ持つ生屍を倒すには祓魔師の秘技を用いるか、日光を長く浴びせるか、あるいは特に頑丈な頭部を完全に破壊しなくてはならないことが師団の研究で分かっている。
その強靭な頭部を、レオナルドの巨大な黒槍は一度振われるたびに二つ、三つと粉砕する。まるで氷柱でも折るように進む姿はあまりに別次元の戦力だ。
後方の二人、カイトとシフィナもレオナルドに劣らぬ強者。おかげで生屍の群れを切り裂くように進めてこそいるが……。二人とレオナルドに違いがあるとすれば、それは『弾切れ』があることか。
「ねえ! 湖まであとどのくらい!? 帰りも考えると魔力がギリギリよ!」
「銃のエネルギーもそんなもんだ!」
「残り二割は切っている……はずです!」
断言できないことに唇を噛む。濃い霧と乱戦の中ではシャルロットにも正確な現在地は分からない。めったに使われない湖への道は草に紛れて判然とせず、もはや正しい向きに進んでいる確証すらない。
自分の無力を嘆くシャルロットに、レオナルドが背中越しに叫んだ。
「森に一番詳しいのはお前だ! 間違えてもいいから迷わず進路を示せ! 道は俺が切り開く!」
「は、はい!」
迫る生屍を切り捨て、わずかにできた時間で周囲を見回す。地形、木の枝ぶり、草の種類。霧の隙間から得られるひとつひとつの手がかりを頼りに左前方を指差した。
「あちらに抜ければ湖に出ます!」
「分かった!」
生屍の密度がさらに上がる。目的地はもう目前のはずだが、その残り一歩があまりに長い。
耐える、耐える、耐える。押し寄せる生屍を確実に仕留めながらじりじりと進む。そうしてレオナルドが何歩目かを踏み出した次の瞬間、不意に森が切れた。
「湖、か?」
あまりに濃い霧で湖はおろか互いの姿すら満足に見えない。白い壁の向こうから際限なく生屍が湧き出してくるような感覚に、シャルロットの剣を握る手が震えだす。
最悪の可能性が頭をよぎる。湖の周囲、いや湖底に至るまで生屍に埋め尽くされていたとしたら。その数は数百体には収まらないのではないか。
「……支度しろ鉄クズ。お前を使うかもしれねえ」
またレオナルドの独り言が聞こえる。いつもの怒声ではなく何かを決意したような声。
シャルロットがその意味を尋ねる前に、聞いたことのない女の声が空に響いた。
『神はかく語りき。「光あれ』』
壮絶な風が吹いた。否、風ではない。風圧すら感じる濃密な魔力が湖畔を駆け抜け、大地と空を覆う霧を一挙に消し飛ばす。
時刻はすでに昼。空高く上った太陽は地を照らし、霧の傘を失った生屍たちは焼け死ぬか森へと逃げ帰っていく。ほんの数十秒の後には、毒々しく汚濁した湖と、枯れ草と枯れ木がわずかに残る、荒廃しきった湖畔の風景が広がっていた。
あまりの出来事にシャルロットは思わず声を漏らす。
「本当に『魔術師』だった……?」
魔法、魔術。そうとしか呼べない神秘。それが湖のほとり、湖畔を望む小高い丘に建てられた古城から発せられたものなのは明らかだった。
呆然とするシャルロットをよそに、レオナルドは槍にこびりついた生屍の血肉を振り払って歩き出す。
「景色を見てても仕方ねえ。目的地はあの城だ」
作戦中のレオナルドの行動には無駄がなく、振る舞いはまさに軍人を思わせる。一方で、荒々しく単独行動向きの戦い方は正規軍のそれにも見えない。
いったいどのような経歴の持ち主なのだろうと疑問を持ちながら、シャルロットはレオナルドの背を追った。




