プロローグ②
「天国への、門?」
光り輝く銀の門扉だ。森の只中に、ただ閉じた門だけが立っている。
鴨居から敷居、枠まですべて銀。磨き上げられたこれも純銀の扉には、蝶と木々の彫刻が施されている。
まるで最初からそこにあったような自然さと、この世ならざるものの異質さ。目の前の物体はその両方を兼ね備えていた。
「一体、何が……」
かちゃり、と。
シャルロットが状況を飲み込む間もなく扉が静かに開く。中から聞こえてきたのは数人の男女と、狼の声。
「つ、繋がった! 繋がったよ!」
「すげーよフィリア! でも暗っ! 寒っ! なんで?」
「向こうは早朝で濃霧だってカイトが言ったでしょうが。何を聞いてたのよ、チック」
「バウバウ!」
「状況は……どうも穏やかじゃねえな」
「そうらしい。降りる気は毛頭無ぇがな」
最後によく通る男の声。彼がリーダーだ、とシャルロットは直感した。
「開幕だジョーカー共! 英雄譚に風穴を穿つ!」
ざくり、と。
扉から黒の大槍が突き出された。鋭利な穂先がシャルロットの右手に迫っていた生屍の顔面を貫く。
頭を破壊された生屍はよたよたと退がり、後続の群れに踏みつぶされて肉片と化した。
理解を超えた事態の連続に、シャルロットは混乱を隠しきれないまま槍の主に尋ねる。
「あの、あなたは神が遣わしてくださった……天使、ですか?」
黒髪の青年、いや少年だった。
年の頃はシャルロットと同じか少し上。体格に見合わぬ巨大な黒槍を携え、赤の装束に黒のマントを羽織り、左手首には無骨なバングルを嵌めている。
外見で言えば天使より悪魔だ、がシャルロットの第一印象だった。
「俺が天使? 笑えねえな。その手の連中からは目の敵にされてるっての」
名乗った少年の言葉はそっけなく、しかし瞳は赤く燃えていた。
「俺はレオナルド。レオナルド・ヴェルメーレン。天使サマだの英雄サマだのが見捨てた命を勝手に拾って回ってる、ただのレジスタンスだ。死にたくなけりゃ下がってろ」
それだけ言うとレオナルドは生屍の群れへと突っ込んでいった。黒槍を縛るように巻かれた黒布がたなびくたびに生屍が粉砕され、一体、また一体と数を減らしてゆく。
続いて扉から出てくるのも年若い少年少女ばかり。若草色のゴーグルをかけた少年が、不愛想なレオナルドよりはいくらか優し気な表情でシャルロットに歩み寄った。
「悪い悪い、レンは……あ、レオナルドのことな。いい奴なんだけど口下手でさ。俺はカイト。風間海渡。君は?」
ゴーグル越しに見える海渡の顔がレオナルドと瓜二つであることに気づき、名がまるで違うことへの疑問が浮かぶ。が、不急の詮索は脇に置いてシャルロットは簡潔に答えた。
「しゃ、シャルロット。シャルロット・ノエリアです」
「レンの言った通り、俺たちはシャルロットの味方だ。ここは任せてじっとしててくれ」
「いえ、いいえ! 私も戦えます!」
「だったら俺の仲間を頼みたい。ガーカス、フィリアをこっちに連れてきてくれ」
祓魔師は民の守護者。黙って守られはしまいと意気込んだシャルロットだったが、カイトはやんわりとそれを制し、狼の背に乗せられた幼い少女を呼び寄せた。
少女の外見は六歳か七歳。黒い革張りの本を大切そうに抱え、髪は春の陽光を思わせる淡い山吹色。
その背には、蝶に似た薄い翅が生えている。
「妖精……!?」
お伽噺で語られる妖精そのものの姿にシャルロットは目を見開く。ただ顔色は悪く呼吸は浅く、不調を来しているのが一目で分かった。
「妖精が通じるんなら話が早い。この妖精、フィリアの力でここまで来たんだが……。どうも無理させちまったらしくてな。危険のないよう守ってやって欲しい」
でも、と出かけた反論をシャルロットは飲み込む。妖精を抱き上げ、小さく頷いた。
「傷ひとつ付けさせません」
「ありがとう。これで心置きなく戦える」
話がついたことを察したか、シャルロットの左手方向から勝気そうな少女が叫ぶ。今まで彼女が生屍を押しとどめていたのだとシャルロットはようやく気がついた。
「カイト、こいつら思ったより硬いわ! あと臭い! すごい臭い!」
「あの元気な女はシフィナ。鉱石を使っていろいろと変わったことができる」
カイトの言う通りシフィナの戦法は特異だった。手にした杖から結晶状の鉱石弾を放ち、彼女を守る獣もルビーのような体を持つ。ウサギほどの小さな体躯を活かし、機敏な動きで生屍を翻弄しながら果敢に戦っている。
「ルビーのウサギみたいなのは結晶獣っていうらしい。キレイだよな。あの『ルビット』以外にも鉱石ごとに違う結晶獣が……」
「口じゃなくて手を動かして!!」
「へいへい」
カイトは悠然とした動作で右手を伸ばし、腰のホルスターから引き金のついた黒い機械を引き抜いた。
「こいつは超高圧シューターの一種だ。要はウォーターカッターのバケモノ……じゃ通じねえか。銃は分かるよな? 水をすごい威力で発射する銃器と思ってくれりゃあいい」
「あの、さきほどからなぜ説明を?」
「未知は恐怖だから、だ」
銃口を前方に向けて引き金を絞ると同時、強烈な破裂音とともに生屍の上半身が消し飛んだ。
初めて目にする兵器の威力にシャルロットも思わず身を固くする。残った下半身が腐った臓物を溢しながらぱたりと倒れるのを見届け、弔うように一瞬だけ目を伏せてカイトは困ったように笑った。
「この通り、シャルロットにとって俺たちの道具、技のほとんどは未知のものだと思う。何の説明もなくぶっ放されたらビビるじゃんな? いや、説明されても怖いか」
「そんなことは……いえ。お気遣い感謝します」
口で強がってみても、聡明なシャルロットは頭で理解している。これだけの異常事態を前にして平静を保てているのはカイトの配慮のおかげだと。
「たはは……。怖がらせてお礼言われるのも複雑だ」
「他の方々もきっと未知の力を使われるのでしょうが、そうと分かっていれば大丈夫です。私に構わず戦ってください」
「んじゃ、遠慮なく。『噴射』!」
言うやいなやカイトの姿が消えた。
後に残ったのは水しぶきと、赤子が収まるくらいに地面がえぐれた穴だけ。
ブーツから水を噴射しての大跳躍だとシャルロットが気づいて頭上を見上げたのは、上空のカイトが両手に銃を構えた後だった。
若草色のゴーグルから音声が発せられる。光の文字が次々に浮かび、銃に弾丸となる水が充填されていく。
『自動照準起動。敵味方識別コード、付与完了。制圧射撃モード』
ゴーグルが喋ることに驚くシャルロットの横に、するりと別の少年が滑り込んできた。
最初に森の寒さと暗さに驚いていた彼だ。カイトを見上げながら得意げに語りだす。
「さて、解説はこのチック様が引き継ぐぜ。あのゴーグルはAI搭載のインテリジェントデバイス。通信、索敵、今夜の献立、さらに照準アシスト機能も完備した最新型だ」
「おっしゃる意味はあまり分かりませんが……。チックさんは戦われないのですか?」
「いや、俺は秘密兵器的なアレだから! 俺が出たら最強すぎて秒で終わっちゃうから! マジで! それよりほら、カイトが撃つぜ!」
急に早口になって目が泳ぎだすチック。初対面のシャルロットでも強がりと分かる言い訳が終わるのを待っていたかのように、カイトはぐっと引き金を引いた。
「『驟雨泳弾』!」
響き渡る絶え間ない射撃音。
二丁の銃から次々に水の弾丸が撃ち出され、その全てが生屍たちの頭部へと吸い込まれる様にシャルロットは息を呑む。
わずか一呼吸のうちに左方から左前方の生屍は大きく数を減らした。わずかに残った生屍もシフィナの鉱石弾と結晶獣に追い立てられて森へと消えていく。
最後に空中で残心らしきポーズをとると、カイトは重力に従って落ち始めた。
「あ、やば」
慌てた様子でブーツから水を噴射するが減速が足りない。べしゃり、と自身が作ったぬかるみに顔面から落下し、泥まみれの顔で立ち上がった。シフィナが心底あきれた様子でため息をつく。
「何してんのよ、カイト」
「決めポーズをとってたら滞空時間が切れた……。チック、うまく撮れたか?」
カイトの問いに、いつの間にやら手のひら大の板を向けていたチックが親指を立てた。カイトに見せつけた板には先ほどの残心姿が見事に映し出されている。
「パーフェクツ!」
「さっすがー!」
カイトとチックは妙に息のあった様子で手を打ち合わせるが、それを呆然と眺めていたシャルロットは慌てて右を振り返った。
「槍の彼、レオナルドさんは!?」
門から現れたのは五人と一匹。妖精フィリアは衰弱してシャルロットの腕の中、ガーカスと呼ばれた狼はそれを守るように寄り添っているから残りは四人。
うち三人が左側にいるということは、レオナルドは単身で右側の大群を相手取っていることになる。いくらなんでも無茶だと焦るシャルロットに、シフィナは慣れた様子で小さく笑った。狼も同意するように短く吠える。
「レンなら平気よ。強いから」
「バウ!」
その言葉の通り、右側に動く生屍はもはや無く、残っているのは大穴を穿たれた死肉の山のみ。
黒の大槍を肩に担いだ少年には負傷どころか息を切らした様子すらない。ただ誰にともなく小声で呟いているのがシャルロットは気にかかった。
「……いらねぇよ、引っ込んでろ鉄クズ。こんぐらい俺の力だけで十分だ」
「レオナルドさん?」
シャルロットに聞かれているとは思わなかったのか、レオナルドはばつが悪そうな様子でカイトへと視線を移した。
「なんでもねえよ。俺の方は片付いたから手を貸そうか、カイト?」
「こっちも終わったとこ。死人、怪我人ともに無し。レンもお疲れさん」
「ったく、来て早々これじゃあ先が思いやられるわな」
いかなる仕組みか、レオナルドの身の丈を越える黒槍が手頃な大きさの鉄棒へと縮んでゆく。気がつけば濃かった霧も晴れ、昇った朝日が森の木々を照らしていた。
陽のぬくもりを肌に感じ、ようやく自分が助かったことを実感したシャルロットは妖精を抱きかかえたまま地面にへたり込んだ。カイトが慌てて手を差し伸べる。
「おいおい、大丈夫か?」
あれだけの危機を乗り越えたにも拘らず平然としている様は、レオナルドやカイト達がこのような修羅場を幾度もくぐり抜けてきたことを意味している。
祓魔師として。人々を守る盾として。
ただただ剣と祈りに生きてきたシャルロットにとり、これは生涯最大といえる衝撃的な出会いであった。




