プロローグ①
軍服姿の少女、シャルロットは追われていた。
朝霧に包まれた森の冷たい空気を肺へ流し込みながら、逃げることしかできない己の無力さに唇を噛む。その間にも背を追う呻き声は数を増していく。
やがて霧の向こうに現れる高い岩壁。彼女は自身の命運が尽きたことを知った。
「行き止まり……!」
足を止め、振り返る。
『聖護十三師団の歴史上最年少の師団長』
『気鋭の第十三師団を率いる美しき祓魔師』。
銀髪をたなびかせ聖剣を振るう彼女を称える美辞麗句など、この現実を前にしては意味などなさない。
眼球の失われた赤黒い目、生気なく腐りかけた青緑の肌、カビにまみれた口から漏れ出る呻吟と毒気。
漂う強烈な腐臭は、濃い霧の向こうに迫る敵がいかに膨大であるかを彼女に伝えていた。少なく見積もっても五十、おそらく百体は下るまい。
生屍。死してなお動く屍である。
一か月ほど前にこのセイラム近郊に現れ、今や腕利きの祓魔師部隊を圧倒するまでに増加していた。シャルロットの部隊もまた生屍の大群と遭遇し、不利とみたシャルロット自らが殿を引き受け、部下を逃がしたものの追手を振り切ることかなわず今に至る。
「……日の出からまだ間もなく、霧も濃い。奴らの弱点である日光で焼き殺すことは望めないでしょう」
かくなる上は戦うほかない。
腰に提げた剣を抜き放ち、眼前に立てて剣礼の姿勢を取る。
「告げる――!」
刃の煌めきに刺激されたか、生屍の一体が速度を増す。人体の限界を超えた躍動。口から濁った唾液が散る。
理外の速度で死が接近する中、聖剣士は静かに目を閉じて祈りを献ぐ。
「|Earth to Earth《土は土に》」
祓魔師であるシャルロットが持つ剣は、ただの鉄塊ではない。
黒銀の精緻な意匠が施された柄には、通常の剣にはない引き金が備え付けられている。この引き金を引けば刀身が微細に振動し万物を切り裂く刃と化す。
冶金技術の粋を集めた機構を動かすは、『魔力』。
大気に満ちていながら尋常の人間には扱えない神秘の力である。それを人のものとする技術を、この世界の技師らは編み出していた。
「|Ashes to ashes《灰は灰に》」
祈りに応えるように剣が大気中の魔力を吸収する。柄に埋め込まれた蒼玉が触媒となり、内部に組み込まれた機構が魔力によって駆動。
刃を人の目には捉えられぬほど細かく、強靭に振動させた。
刀身が蒼銀に輝く。
「|Dust to Dust《塵は塵に》」
落ちる葉も、朝霧さえも、蒼の刃に触れるや真二つに裂けた。
これが武器。
形あるものを斬り、形なきものを滅する、祓魔師にのみ扱える機巧の聖剣である。
「裁定せよ――!」
開眼。
迫る生屍に正対し、シャルロットは十字に剣を振るった。
「『白銀の聖十字』!」
縦横に切り裂かれた生屍がたちまちに灰へと変わってゆく。
これが武器を用いた祓魔師高等戦技にして、白兵戦で生屍に対抗する唯一の攻撃手段である。
才気あふれるシャルロットは齢十五にしてこの技を修めている。それとて倒せるのは一度に一体。無数の生屍をすべて斬るにはほど遠い。
その現実に押しつぶされまいと目を上げ、少女はあらん限りの声で叫ぶ。
「聞きなさい、理を外れし屍ども! 私は第十三師団長シャルロット・ノエリア!
塵になりたい者からかかってくるがいい!」
決死の名乗りは、一斉に襲い来る生屍の足音にかき消された。
もはや逃れる術はない。
シャルロットは衣服を剥ぎ取られ、柔肉を食われ、生きたまま脳と腸を引きずり出されて苦悶のうちに絶命するだろう。
恐怖に押しつぶされそうな心を奮い立たせんと剣を強く握りしめる。少女の脳裏に、ふと、幼い日の記憶が蘇る。
「天国に、行けるかな」
正しい人が死ぬと天国への門が現れると寝物語に聞かされた。
ただ生屍などという理外の化け物に食われればどうか。
天国にも地獄にも行けず永遠に彷徨うのかもしれない。だとすれば、それはいかほどの苦しみだろう。
「……え?」
諦念にも似たそんな思考は、前方にいきなり現れた『それ』に遮られた。




