第二章 消却者と反逆者③
「レオナルドさんの敵は、神……?」
シャルロットにとって神とは唯一絶対の存在であり、何柱もいるようなものではない。
自分が聖剣士として奉じる神とは異なる概念だろうとは感じつつも、まるで理解が追いつかずにいる。
レオナルドはめんどくさそうに頭を掻くと、自分を見つめるシャルロットからぶっきらぼうに目をそらした。
「その辺を話すと長ぇから、また今度にしろ。今の問題は消却者だ」
「消却者……。先ほど出た言葉ですね」
「並行世界のことはカイトから教わってんだったな。じゃあ、並行世界の消滅については聞いてるか?」
「いえ、それは何も。世界が消滅するとは?」
「そのままの意味だ」
端的に過ぎるレオナルドの説明に、カイトがすかさず補足する。
「えっとだな。並行世界はそれぞれ違う歴史を辿ることになるんだが、なんでもアリってわけじゃないんだ。シャルロットがハムをくれた世界と宝石をくれた世界にしても、細かい部分はあちこち変わりながら、世界全体としてはだいたい同じ方向へ向かっていくことになる。
川をイメージしてもらったら分かりやすいか?」
川の流れが分岐して別方向へ走っても、あくまで高きから低きへと流れ、やがて同じ海へと至る。それに似ていると右手で川の流れを表現しつつカイトは語った。
「分かれた川の片方が山のてっぺんに向かっていったり、いきなり消えたりは普通しないだろ? 自然に従うならな」
「自然に従わないなら別、ということですか」
そうだ、と首肯して、右手の川の流れを左手で遮った。
「例えば、支流のひとつを途中で堰き止めたらどうなる?」
「水が溢れて周囲が沈む、でしょうか」
「そりゃあ困るよな。じゃあ、シャルロットがそこの地主ならどうする?」
「堰き止めているものを排除するか、それが無理なら分岐のところに堰を築いて川そのものを無くすしか……。まさか、そのようなことが本当に?」
なんらかの原因で本来向かうべき場所に向かうことができず、世界そのものを消去せざるを得なくなった世界。
「それが消却世界。消してる地主が誰なのかは分からねえけどな。
んで、こっからが厄介なんだが、そうやって消える川から脱出して他の川に逃げ延びる『魚』がごく稀にいるんだわ。
そいつはこう考える」
魚にとってみれば、なんの罪もないのに住処を追われた形だ。行き場のない怒りは残った川へと向かう。
「自分のいた世界と同じように、残った世界も消しちまえってな。その執念に囚われた怪物になっちまうんだ」
「残った世界を害したところで、自分の世界が返って来るわけでもないのにですか?」
「理屈じゃそうなんだけどよ……。消却される世界ってのは大抵ロクでもない状態になって終わるんだわ。
戦争、疫病、天災、追い詰められた人間同士の凄惨な蹴落とし合い。
そこからどうにか生き延びた先で、親兄弟を殺した相手がのほほんと生きてたりするんだぜ?
別世界の話だと頭じゃ分かってても、そりゃー穏やかじゃいられねえよ」
俺を憎んでる奴が同じ顔のレンと仲良くできるわけねえじゃん? とレオナルドを親指で指しながら淋しげに笑う。
そうして憎しみに駆られ、世界そのものを破壊する衝動に支配された者たち。マドレーヌは沈んだ目で後を継ぐ。
「それこそが消却者……。並行世界の妹が堕ちた姿というわけか」
「正直なとこ、俺らも奴らについて知ってることは少ねえんだ。
分かってることと言えば……。そんな消却者どもを束ねて、何やら企んでる連中がいるらしいってこと。
あとは世界を壊そうって執念が呼び込むのか知らねえが、悪魔やら妖怪やら、ろくでもない連中と繋がりやすいことくらいだ。
邪神クラスまで出てくるのは流石に稀だけどな」
肩を竦めるカイトに、マドレーヌはフンと鼻を鳴らして足を組み替えた。
「ちと物足りんが、聞くべきことは聞けた。よしとしてやるか」
約束通りにサフィールのことを教えよう、と右手の指を鳴らす。喉を潤すためだろう、グラスに入った赤ワインがどこからともなく現れて左手に収まった。
「先に言った通り、サフィールは我の妹だ。我を長女とする三姉妹の次妹であり……」
そこで言葉を切ったマドレーヌの目がシャルロットへと向けられた。
「こちらの世界においては憲兵ども……今は祓魔師と呼ばれているのだったな。やつばらめに生きたまま腹を暴かれ、火で炙られ、湖に棄てられた死霊魔術の使い手よ」
いつの間にか、マドレーヌの顔からはふてぶてしい笑みが消えていた。
その目にあるのは、諦観。怒りも憎しみもとうに色褪せ、しかし許すことなどできない失望の瞳がシャルロットを見つめている。
「……六十余年前の戦争のことを言っているのですか」
「それ以外の何がある?」
「横槍すまん。あんた一体いくつなんだ」
マドレーヌの外見はせいぜい二十二歳といったところ。しかし六十年前に妹を失っているなら、実年齢は当然それ以上だ。
「当家は生命と霊魂を扱う魔術に長けた『魔術師』だ。自らの肉体を複製し、そこに解析した魂を移し替えれば永遠に若い姿を保つことができる。実年齢など覚えてもおらん」
「ヒトクローン培養技術と全脳エミュレーション……!? 一番進んでたチックの世界でもまだ研究段階だったのに、魔法で実現したのか!」
驚きを隠そうとしないカイトだが、シャルロットの興味は別の点にあった。
「やはり、あなたは『魔術師』だったのですね」
「くくく、今さらか? 祓魔師らしい頭の出来だな」
「物事には順序がありますので。『魔術師』と告白したなら、私がすべきことはひとつ」
重要なのは『マドレーヌは魔術師であった』というただ一点。腰の剣に手を添える。
街へ連行して取り調べる予定だったが、ここまで明確ならばその必要もない。
「祓魔師としてあなたを斬る。かつてセイラムを襲った悲劇を繰り返さないために」
「できると思うか? 当時も知らぬ青二才が」
「やらねばならないのです」
一触即発の空気を醸し出す二人の間に、巨大な黒槍が差し込まれた。
「やめろ。今ここでお前らが殺し合ったところで、喜ぶのは消却者くらいだ」
「そうよ二人とも。私たちは殺し合いに来たわけじゃないのよ」
レオナルドやシフィナの立場からすれば完全なる正論。しかしそれはシャルロットの心を動かしはせず首を横に振らせた。
「皆様からすれば、この状況はご理解いただけないのかもしれません。しかし……これがセイラムと『魔術師』との関係なのです」
「まさしくその通りだ。槍を収めよアンチホープ」
恩人だろうが世界の仕組みを知っていようが、所詮は部外者。冷たく言い放たれた二人の言葉に異論を挟む者が一人。
「関係なくなんかねえよ」
カイトが一歩前に出た。
「俺はもう、シャルロットを他人とは思ってねえ。背中を預けて戦った仲間だ」
「光栄ですが、それとこれとは別の問題です」
「別じゃねえ。仲間が生きるか死ぬかって話をしてんのに、黙って見てられるかよ。それにこの作戦の目的はマドレーヌを殺すことじゃなく、生屍の出所を突き止めることだろ」
「それは、そうですが……」
「なあマドレーヌさんよ。さっき言ってたよな、消却者になったあんたの妹は死霊魔術の使い手だって。魔法のことは分からねえけど、そういうことなんじゃないか?」
「おや、意外と察しがよいな小僧。その通りだ。生屍を生み出している黒幕であり……何より、我が愛猫スーリヤを殺した仇」
彼女の感情に呼応するように大気が震える。左手に握るワイングラスが高い音を立てて砕け散った。
「それが並行世界より来た妹、消却者サフィールだ」
「……猫を殺したのもサフィールだったのか」
「サフィールは自らを消却者と名乗り、この世界を消し去ると宣言して去った。もはや我の知る妹ではない」
斃さねばならん。殺さねばならん。塵も残さずに。
左手から鮮血を流しながら、魔女は決意を言葉にした。
「サフィールは、我が殺す。その権利と責務があるのだ」
「言いたいことは分かった。あんたが正しいよ。ただ、それでもだ。この世界の価値観がどうだろうと、俺は姉妹が殺し合うのなんざ見たくねぇ」
「ふん、あれは嫌だ、これは嫌だと、注文の多い男だ」
「欲張りなもんでね。だからマドレーヌ、サフィールのことは俺と仲間に任せちゃくれねえか。俺達がサフィールを倒して、猫の仇も取ってやる」
「断る」
即答。だがマドレーヌは小さく首を振る。
「……と言ったところで従うはずもなし。力で叩き出すのも瀟洒でない」
ならばこうしよう、とマドレーヌは指を鳴らした。瞬間、両手にワイングラスが一つずつ現れる。どちらにも赤いワインが満たされ、外見では全く区別ができない。
「片方はただのワイン。もう片方は毒入りのワインだ。このうちひとつを飲み干せば、貴様の要求を飲んでやってもよい。
貴様は命の獲り合いに異を唱えたのだ。己の生命を賭ける覚悟が求められるのは当然であろう?」
「俺、未成年なんだけど」
「他世界の法では禁忌か? ならば安心せよ、ここにある法は魔法のみ。酒を飲もうが、毒で死のうが構わない。さあ、どうする?」
「分かった。やるぜ」
「待ちなさい!」
ためらうことなく承諾し、ワインを選ぼうとするカイトの腕をシフィナが引き戻した。唇が小さく震えている。
「あんた何考えてんの!? 失敗したら死ぬのよ!? 第一、本当に片方がアタリかなんて分からないじゃない! 両方に毒を入れてる可能性だって……!」
「心外だな。疑うなら、祓魔師に聞いてみればどうだ? 偽証看破を使えるのだろう?」
促されるまでもなく、シャルロットは首を縦に振る。
「偽りはありません。たしかに片方だけが毒入りです」
「だったらあいつに、どっちがアタリか聞いて! 回答が嘘かどうかで分かるわ!」
必死に訴えるシフィナの手を、カイトはそっと自分の腕から引き剥がした。
「それで当てたってマドレーヌが納得するわけないだろ」
「だからって……!」
カイトはマドレーヌに歩み寄る。足取りに迷いはない。
「並行世界ってのは分岐のたびに生まれ続ける。この先も二パターンに別れるはずだ。俺が生き残る世界と、毒を選んで死ぬ世界」
「で、あろうな」
「つまり、こうして俺が『やる』と選ぶ。それだけで並行世界のうち半分じゃ、あんたに妹殺しなんかさせずに済むってわけだ。死ぬ瞬間にこの手に残るもんがそれなら悪くねぇ」
からりとそう言い放ってマドレーヌの眼前まで来たカイトだが、ワインを選ぶ段階で手が止まった。
「……『やる』までは決めたが、どっちを選ぶかは流石に考えさせてくれ」
「やれやれ、締まらん男め」
「五分五分で死ぬんだから当たり前だろ。ただ、考えたって分かるわけもねえとなれば……。こいつで決めるか」
ポケットから取り出した一枚のコインを宙に放る。
「表なら右、裏なら左だ」
「運を天に任せるか。未来は我もあずかり知らぬというわけだ」
「運命は分からねえから面白い、ってな」
床に落ちて甲高い音を立てたそれは、しばし回転し、やがて倒れた。
出目は、裏。
カイトは無造作に左側の――つまりマドレーヌの右手に握られていた――グラスを手に取る。ほんの一瞬の逡巡の後、それを一息に飲み干した。




