第二章 消却者と反逆者④
うつむき、動きを止めたカイトに、シフィナがおそるおそる尋ねる。
「ど、どう? カイト、大丈夫?」
カイトからの返事はない。床を見つめたままじっとグラスを握りしめている。思わず肩を揺する少女の言葉に涙声が混じる。
「ねえカイト! 返事してよ! ねえ!!」
「……揺らすな」
しばらくしてようやく反応があったが、声は低く苦し気だ。
「どこか苦しいの!? やっぱり毒が……」
「俺が喋れるうちに、これだけ伝えておく」
「な、なに?」
わずかな沈黙ののち、カイトは青い顔をしながら静かに目を上げた。
「ワインの一気飲みは、やめておけ」
「……は?」
シフィナの理解が追いつく前に膝から崩れ落ちた。顔色は悪いが息はあり、苦し気に寝息を立てている。
「え、何? どっち? 成功したの? 失敗したの?」
「落ち着け小娘。奴が飲んだのはただのワイン。毒など入っておらん」
「じゃあこれは……?」
「食事もとらずに戦い通してここまで来て、いきなり酒を呷ればこうもなる。まったく、上等のヴィンテージを風情なく飲み下しおって」
大人の酒飲みならば誰でも知っているが、カイトは知らなかった。
空腹時や激しい運動後の酒は悪酔いすることを。まして一気飲みなどすれば猶更だ。
マドレーヌは心底呆れた様子でため息をつきつつ「約束は約束だからな」と呟いた。
「よかろう。この戦い、貴様らに預けよう。ただし、ひとつ条件がある」
「条件? まだ何かあるのか」
「我も貴様らの一行に加えろ。このセイラムに留まる間だけでよい」
「はあ?」
「カイトとかいったか。そこで転がっている小僧は言ったぞ。『サフィールは俺と仲間に任せろ』と。ならば我が貴様の仲間に加われば、我が戦うことになんの支障もない」
「お前に妹と戦わせないためにカイトは命を張ったんだろうが」
「あれは妹であって妹でない」
貴様らは並行世界の理解が足りぬ、とマドレーヌは断言した。
「我の知るサフィールは草花を愛し、動物を慈しむ少女だった。生命の尊さを誰よりも知るのが死霊術師だからだ。
それが眉一つ動かさずにスーリヤを殺す?
湖の底に眠る同胞らを生屍に変えて辱める?
断じてあり得ない。いくら名前と面相が同じだろうと、あれはサフィールではない。ただの消却者、我の敵だ」
だから倒さねばならない。妹の名誉のためにこそ、暴虐に堕ちたサフィールを。
レオナルドも反論はない。今の自分と並行世界の自分、その差をよく知る者だから。
「まあ、俺とカイトも同じ人間だが別人みてえなもんだ。言ってることは分かるさ」
「そもそもだ、サフィールを破る算段はあるのか? 魔術に関しては赤子同然の貴様らに」
レオナルドたちがサフィールの魔術に無知無策なことは事実。その意味でもマドレーヌの提案は決して悪いものではない。
が、それでも飲める提案と飲めない提案はある。
「断る。カイトを殺しかけた奴を仲間にできるわけねえだろ」
「死んでおらぬだろう?」
「結果論だろうが」
「……いいえ。結果論ではありません」
黙って成り行きを見守っていたシャルロットが口を挟んだ。
「マドレーヌの言葉にはひとつ嘘がありました」
「嘘?」
「『未来は我もあずかり知らぬ』。そう言ったとき、確かに嘘の気配がありました」
「たしか……カイトがコインを投げた時に言ったことだったか?」
そこに嘘があるということは。
「彼女はコインの出目を知っていたと思われます。いえ、魔術でひそかに操作したとみるべきでしょう。カイトさんが毒を回避したのは彼女の意思によるものです」
「まったく、べらべらと無遠慮に喋りおって」
マドレーヌは不機嫌そうに左手の毒入りワインを投げ捨てる。乱暴に放られたそれは床に落ちる前に霧となって消えた。
「わざとカイトを生かしたのか。なんでだ」
「スーリヤの喪を血で汚すわけがなかろう。少し考えれば分かろうに、その頭は飾りか?」
「あいにく、外の世界からきた『余所者』なもんでな」
「可愛げのない男め。もっとも、それだけが理由でもないが」
つ、とマドレーヌの細い右人差し指がシャルロットの腰を指さした。
「その剣、貴様ら祓魔師は武器と呼ぶのだったか。宝石を触媒として空気中の魔力を集め、戦う力とする。非魔術師の涙ぐましい努力の賜物よ」
「……それが何か?」
「貴様の剣に埋め込まれた蒼玉。それはサフィールの形見だ。無論、並行世界から来た消却者でなく、こちらのセイラムで殺された我が妹のな」
「ッ!?」
それまで油断なくマドレーヌを見つめていた視線が思わず腰の剣に向かった。
「我ら『魔術師』は一人にひとつ、己の魔力をこめた宝石を持つ。それは魔術を扱う強力な触媒であり、同時に己の分身ともいえる大切なものだ。
技師どもはそれに目をつけた。殺した『魔術師』の宝石を奪い、自らが魔力を扱うための道具としたのよ」
「……この蒼玉が、貴方の妹の」
自らの愛剣は、目の前にいる人物の肉親が殺されて生まれたものだった。
いかに宿敵といえど、その実感は十五歳の少女に重くのしかかる。
「その蒼玉と我が杖の紅玉、比べれば輝きが雲泥の差であろう? 持ち主が死ぬと輝きを失うのだ」
「もしや、私を招き入れたのはこの石のため、ですか」
当然だ、とマドレーヌは淡々と言い切った。
「祓魔師など、そうでなくば城の門をくぐらせん。消却者の情報を得るにはアンチホープらだけいればよいしな。貴様は殺し、サフィールの宝石を取り戻す。そのつもりだった」
「……それがなぜ、このように会話し、仲間になるなどという話に?」
「貴様は、スーリヤの死を悼んだ」
城に入ってすぐ、シャルロットはマドレーヌが喪中にあることを察し、愛猫の死を悔やむ言葉を贈った。
たとえ敵でも、愛する家族の死は悼まねばならない。そう感じたから。
「拍子抜けしたと同時に、父のことを思い出した。父は人間と『魔術師』が分かり合えると信じている夢想家でな。結局、父自身も首を狩られて死んだわけだが……」
杖を捨てて話そうとした父を人間は構わず斬ったと、苦々しげに顔をゆがめる。
「それでも己が信念を貫いた父を、我は尊敬する。だから我も話すくらいはしてみようと思った。
そうして話してみて、もう少し様子を見る気になった。ただそれだけよ」
マドレーヌとてシャルロットに嘘はつけないのか、あるいは生来の性格か。あけすけな物言いで一方的に話し続けながら床に転がるカイトを見やる。
「父が殺された時、この小僧がいたなら。あるいは違った結末もあったのかもしれんな……」
「……まったく。素直に仲間にしてくれって言えばいいだろうに、面倒な女だ」
レオナルドはカイトを担ぎ上げ、近くにあったソファに寝かせた。
シフィナがどこからか水を汲んだバケツを持ってきたところで、レオナルドはマドレーヌに歩み寄って右手を差し出した。
「俺も街の連中と約束してんだ。あんたを連れてくるってな。一緒に来いよ、マドレーヌ」
それは仲間として受け入れるというメッセージ。マドレーヌは薄く笑ってその右手を握った。
小休止とみて、シャルロットが布包みを取り出す。
「フィリアさんからいただいたサンドイッチです。食べられるうちに食べておくべきかと」
「そうね。腹が減っては、っていうし。一番楽しみにしてたカイトがあのざまだけど」
「マドレーヌ、代わりに食うか?」
「ふむ、仮にも仲間なら断るのも無粋か。いただくとしよう」
布包みからサンドイッチの一切れがふわりと浮かび、マドレーヌの元へふよふよと飛んで右手に収まった。
「便利だな、魔法ってのは」
「『魔術師』にとり、己の城の中は手のひらの上も同然よ。城全体を結界で包むことで外とは異なる理を成立させてある。
結界は術者の力量次第で広さも強さも変わる。だから大魔道士ほど大きな古城に棲むというわけだ」
言いながらサンドイッチを口に運ぶ。
やや酸味のある黒パンにバターと辛子を塗り、薄切りのハムを重ねて挟んだシンプルな品だ。一口かじるとマドレーヌから小さく感嘆の声が上がった。
「これは……見事なハムだ。ドングリで育てた豚をドングリで燻しているな? セイラムではなかなかお目にかかれん一級品だろう」
尊大に上機嫌に食べるマドレーヌと対照的に、シャルロットは聖剣士としての振る舞いだろうか、サンドイッチを上品かつ手早く腹に収めていく。
軍人の食事は、どの世界でも恐ろしく早い。
「十三師団の伝手で私が手配したものです」
「祓魔師のか。道理で腐臭がしよるわ」
「でしたら食べなくて結構です。『魔術師』らしく生き血でも啜られてはいかがですか」
「前々から疑問だが、生き血を啜るなどという偏見は一体どこから来たのだ」
「子供みたいな喧嘩するんじゃないわよ、あんたたち……」
立場も性格も対立する二人だが、意外と反りは合うのかもしれない。シフィナはひそかにそう思った。




