元の世界に帰っても、新世界を創るのを忘れないでよね
「……」中央システムは内線で沈黙した。
「……」
私はすでに臨時の変身セットを解除し、宿屋の看板娘の姿に戻っている。
「とにかく……服は着ているんだな?」
「ええ」私は目の前の少女を上下に品定めするように見た。
「子供が見ても大丈夫なタイプの服だろうな?」
初期勇者が着るような、ただの麻の服だ。
「ええ、服自体はめちゃくちゃ健全ですよ」
「なら放置で。こっちは忙しいんだ」
プツリと通話が切れた。
「ちょっと待て待て待て!どう処理すればいいか分からないからって切るんじゃねえ!」
「あははは、上の人間なんてみんなそんなもんだよ〜」目の前の人物が私に向かって手を振る。
「あんた、ナンシーっていうの?」
「んふふ〜」
「ここに特定の任務でもあるわけ?」
「今のところは分かんないな〜」
「喋る時、いちいち『〜』を付けなきゃいけないの?」
「仕方ないよ〜。イチャイチャルートの時って、いつもこんな感じだし〜♡」
イチャイチャだと!?
「私、恋愛システムとか搭載してないからね」
彼女は突然、ハッと固まった。
ああ、そうか。冒険のメインストーリーじゃなくて、彼女は百合ゲーの世界から来た奴なんだ。
「看板娘と結婚できない世界なんてどういうことだよぉぉぉ、うわあああああん!」彼女は突然大号泣し始めた。涙が流れる瞬間に、なぜか華やかなエフェクトが放たれている。
「あんた、他に何かスキルとか持ってないの?」
「うううう……転んだ時に、なぜか手が美少女の胸に当たっちゃう……」
「……」
もしかして、食パンをくわえて遅刻遅刻って走り出すタイプの奴か……? 一体いつの時代の骨董品レベルの設定だよ……。
「……」
「ううう……」
彼女は泣き方のポーズを変えた。頭の後ろから、なぜか百合の花が咲き乱れている。
「……あんたが元の世界に戻れるメインストーリーを早く見つけてあげるから。あんたの本体、向こうの世界の病院でまだ絶賛救急搬送中であることを祈りなよ」
「うううううう……」彼女は泣きながら、服が肩からずるりと少しはだけた。
おいおい!私は慌てて彼女の服装を乱れのないように直してやった。
「こんなに優しくしてくれるのに、どうして付き合えないの? 百合、嫌いなの?」
「好きだよ! でもあんたは特別なんだよ!」
「え?」彼女は期待に満ちた目で私を見つめた。周囲がなぜか黄金の光を放ち始める。
「こういうガチの百合ゲーは超絶レアなんだよ!!! どこの会社も作ってくれないんだからな!!! 向こうの世界で、絶対にたくさんのプレイヤーがあんたを待ってるんだよ!!!」
「百万歩譲って、ここで私とウフフなことしちゃダメなわけ!?」
「どこが百万歩譲ってんだよ!!!」
「ううう……」
「泣くなよ……」私はため息をついた。「私は早く戻って百合を見なきゃいけないんだから」
「うわぁん! 私がその百合だよぉぉぉ!!!」
「あんたは……うーん……相方がもう1人足りないだろ」
「あんた、なんでそんなに慰めるのが下手なのよ、うううう……」
「仕様だから仕方ないだろ。定時が来たら即退勤」私は手を振った。「そういうわけだから。私は百合の放送スケジュールを厳守して生きている人間なんだよ」
「うう、たくさんの人が待ってるって言ったくせに、このまま置いていくの?」
「うっ。確かに」
ちょっと待てよ。こういうバグキャラがここでクエストをクリアした場合、戻るのは元のアドベンチャーゲームなのか、それとも現実世界なのか……。
私は心を落ち着かせて、しばし思考を巡らせた。
ナンシーはキラキラと光を放ちながら私を待っている。
私は一歩一歩、彼女に詰め寄った。
「あんた、そんな姿で転生して……その性格でしょ……。あんたの『本業』も、やっぱり百合なの?」
彼女の目がキョロキョロと泳ぐ。「たぶんね」
「もし私がメインストーリーのクリアを手伝って、あんたが現実世界に戻れたら……あんたも私のお願いを一つ聞いてよ」気がつくと、私の頭上を暗雲が覆い、月明かりが翳っていた。
ナンシーの顔にも、うっすらと影が落ちる。
「どんなお願い?」
「男の交じる百合作品を出版してる出版社を、全部焼き払ってくれ!」
「いやいやいや!出版社を燃やすのは犯罪だから!向こうの世界には警察がいるんだよ!」
「あ、警察? 本当にあるんだ、そんなの」
「あるよ、あるある!」
「人は殺しちゃダメなの?」
「ダメに決まってるでしょ!」
「ふーん……じゃあ、あいつらが背を向けてる隙にやっても捕まるの?」
「当たり前でしょ!!!」
「じゃあこうしよう……百合の作者を見つけて……枕元にベッタリ張り付いて……『絶対に女だけの世界を維持しろ……』『女だけで十分……女だけで十分……』ってずっと囁き続けるんだ」
「うわっ! 変態すぎる!」
「あんたの設定よりマシでしょ! トイレに不法侵入できるくせに!」
「不法侵入したくてしてるわけじゃないもん! トイレに入ろうとしたら誰も私を止められない設定なの! しかも、一度トイレに入っちゃえばすごくクリーンになるんだからね!」
「ますます意味不明だわ!」
あ、でも待てよ。
それ、めちゃくちゃ便利だな……。
「とにかく、私が望むのは! 男も、TSも、ふたなりも、すべてを百合から駆逐すること! そして新世界を創るのよ!」
「前に似たようなセリフを聞いたことあるけど、その時の当事者は巨人と戦ってたり、黒いノートを持ってたりしたよ……」
「私も欲しいわよ……その黒いノート……」
「だから、あっちには警察がいるんだってば……」
「とにかく! 私があんたを助けるんだから、あんたも私を助けなさい!」
ナンシーは顔を赤らめて言った。「じゃあ、私達いつ結婚式を挙げる?」
「誰があんたなんかと結婚式を挙げるか!」
「違うの?」
「この世界のメインストーリーは……」私はガシャガシャと大量のパネルを取り出した。
――魔王を討伐して平和を取り戻す。
――自分の領地を開拓する。
――陰謀を暴いて政権を転覆させる。
――悪役令嬢になって王子と結婚する。
「最後の一つ、なんでそんなにジャンルが違うの?」
「仕方ないだろ、ハイファンタジーが流行りすぎて、クラシックな恋愛小説の作者たちがこぞって移住してきたんだから」
「百合ルートはないの?」
「どれどれ……一応、令嬢とか、王女とか、聖女とかが絡むルートはあるにはあるけど……」私は内部システムをガサゴソと探ってみたが、彼女のステータスを見るに、ちょっと型落ちのようだ。
「ううう、看板娘にラッキースケベするシナリオはないの?」
「あるわけないだろ! 私はNPCなんだよ!!!」
「もっと普通のモブキャラはないの?」
「あー……王道のシナリオ在庫にはもうそんなのないね。身分格差萌えがない作品なんて、今どき誰も作ろうとしないんだよ……」
「うぅ」
彼女は体育座りで私の横にうずくまり、私が探し続けるのを待っている。
終わった、本当にない。マイナーなオリジナル同人作品のデータなんて、初期の村の看板娘が持っているはずがないのだ。
「ううう」
まだ泣いてるよ。
「いいかい、私たちが探さなきゃいけないシナリオはね、20話書いても誰の目にも留まらず、自己暗示をかけて意地で100話まで書き殴ったような、そんな底辺の打ち切り寸前作品レベルのものなんだよ。絶滅危惧種なんだ」
「うぅ、それじゃまるで存在しないみたいじゃん」
「大丈夫よ。なんせ異世界ジャンルを書いてるのは日本人だから。あいつらはメンタルがめちゃくちゃ内省的で、ネット上でいつもシクシク泣いてるの。作品が誰にも読まれなくて絶望して自殺して、本体がこの世界に転生してきてる確率はかなり高いわ」
「うわぁ、容赦ないね……」彼女の涙がピタッと止まった。
「だから私はただのNPCだって言ってるだろ」
「……つまり……適当なメインストーリーを見つけて……それをクリアすれば戻れるんだよね?」
「そうだけど?」
「じゃあ、私達は一体いつになったら一緒におねんねできるの?」
「誰があんたなんかと一緒に寝るか!!!」
「ご褒美要素がないと……これ以上前に進めないよぉ……」彼女は地面にへなへなと崩れ落ちた。この調子だとあと1時間は泣き続けるつもりらしい。
「分かった、分かったから!」私は深く息を吸い込んだ。「じゃあ、じゃあ、じゃあ……キ、キス……」
彼女は泣き止みかけた目で、じっと私を横目で睨んできた。
それじゃ足りない? そうですか。
私はさらに深く息を吸い込んだ。
「ミッションをクリアしたら、胸、揉ませてあげるから!」
もうどうにでもなれ。どうせシステムはそんな非公式のやり取りをバグ認定しないだろうし。
彼女の頬が急にふくらみ、ニヤリと笑った。「へへっ。交渉成立!」




