第四章:(10)完
沢山の作品の中からこの作品をご覧頂き、ありがとうございます。
この作品はロサンゼルスのギャングの世界の空気感を描くために、一部バイオレンスが描写が含まれておりますが、基本は主人公が偏差値30から東京大学へと進学していく過程ときっかけを描いたものとなりますので、楽しく読んで頂ければと思います。
よく行くカフェの店内のテーブルに座ってJは本を読んでいた。
「ねぇ、明日を大雨の日にしたいの?」
Jの耳元で囁いたのはケイトだ。
「ビックリした」Jは振り返って驚く。
「いや、ビックリしたのはこっちだよ。Jが本を読むなんて」
後ろからJの耳元で囁き驚かせるために前かがみになったことで前に垂れた長い髪をかき上げながら
「私がJにキスすると雨が降るらしいじゃん?それならJが本を読んだら大雨だね」
ケイトは笑いながら言う。
「ケイトはカフェラテか?オレもお代わり買うから座ってろよ」
Jが立ち上がる。
「口止め料?」
「秘密にするならこんな場所に来ねえよ」
Jはアイスカフェモカとカフェラテを買って席に戻る。
「ありがとう。それで、なんだかSATで凄い点数出したんだって?」ケイトが聞く。
「ジャックもミッシェルも、大学に行けって言うから、なんだか少し影響されてる」
「それは雨じゃなくて雪まで降りそう。で、それは何の本なの?」
笑いながらケイトが日本語で書かれた本を覗き込む。
「そんな雪が降った時に備えて、日本の小説で『Snow Country』って本だよ」
Jも笑いながら日本語で『雪国』と書かれた本の表紙を見せる。
「ノーベル文学賞を獲った日本の昔の作品だよ。うちの学校の図書館にも英訳された本が置いてあるよ。ジャックは日本のNo.1大学に行け、なんて言うんだけど、そもそも日本語は話せるけど読み書きは忘れてるからね。日本語を思い出すためにも日本の本を読んでるだけ」
Jは日系の塾には通うものの、シャープペンシル一本をポケットに入れ、遅れて教室に行くだけだ。すぐに教室を出て煙草を吸い、テストが始まれば名前すら日本語で書かない状態であり、その結果が偏差値30という結果に現れていた。
数学で点数が取れるのに偏差値が低くなるのは、日本語力の問題と、日本式数学とアメリカ式の数学の差にある。アメリカの数学は基本である解けるべき問題が解けるか否かの確認作業であり、難解な応用問題に挑戦するような試験ではないために点数が高かった。しかし、応用問題や文章題となるとJの点数が上がらなくなる。
自分の日本語の名前さえ漢字で書かなくなっていたJの日本語力の低下も大きく、それを補うべく川端康成、芥川龍之介、夏目漱石、三島由紀夫、太宰治、梶井基次郎、武者小路実篤、遠藤周作、宮沢賢治、司馬遼太郎など多くの日本語の本を読み始めた。
「今からで間に合いそう?」
「ケイト、ウサギとカメの話は知ってるか?話しではカメが勝ったらしい。でもな、ウサギの足の方が速いのは明らかだ。となると、今後何度勝負をしても、一度負けたウサギが勝つだろう。途中で「寝すぎなければ」負けないと分かっているからだ。カメの歩みでも頑張れば勝てる、というのがこの童話の教訓らしいが、それは間違っている。カメがウサギとレースをしようというのは頑張る、頑張らない以前に無謀だし、あの勝利はたまたまに過ぎない。それに、距離がもう少し長ければ、やはりウサギがカメを抜き勝利しただろう。この話から教訓を得るためには、もう一度、二度勝負してウサギが勝つべきだ。そして、敗因をしっかりと分析した上で、自らの力、勝負相手カメの実力を把握し、コースの状況や環境を調べておけば負けることは無い、とすれば本当に役立つ教訓になるんだよ」
古典的には「孫子」にある「彼を知り己を知れば百戦して危うからず」との一節に辿り着く教訓になり、それこそJが最も得意なシミュレートでもある。
Jは「やる気」をウサギとカメに例える。
ウサギは足が速かった。だから圧倒的にカメに先行した。しかし途中でやる気を失い寝ていた。「やる気」とは「ウサギの脚力」だ。あらゆる分野において、やる気の無い状態での行動はカメの歩み程度の成果しか生まない。一方でやる気がある時の行動はウサギの足のように短時間で一気に前に進むことができ、成果を生む。効率性が高いのだ。ただ、その「やる気」が起きない時に、カメのように少しでも前進するのか、ウサギのように寝て、次のやる気を待つのかは考え方次第だが、Jはやる気の無い時は何もせず、やる気が自然と涌くのを待つようにしていた。
大切なのはゴールまでの時間や距離を把握し逆算出来ているかだ。その把握さえ間違わなければ、ウサギとなった方が効率良く前進出来、結果も望むものとなるはずである。10キロの道を行くのに、ウサギなら時速5キロ、カメなら時速2キロの場合、例え3時間寝て過ごし、カメに6キロ先行されていても、ウサギの脚力ならばゴールでは追い付くことになる。むしろ実態としては、先行したウサギが寝ている間に抜かれるよりも、コツコツと先行していたカメが努力疲れを起こし、後発組のウサギに抜かれるケースも多いのだ。
「なんだか勉強出来る人の話を聞いてるみたい」
笑いながらケイトがカフェラテを飲む。
「数学だけは出来てるだろ?」
「まぁ、確かに」
楽しく会話を続けていたが、ケイトは立ち上がり、
「あとで私のせいでダメだったなんて言われないように、邪魔しないでおくね。大丈夫、Jなら上手くいくと思うよ。カフェラテご馳走様」
「妙な男に絡まれないように気を付けて帰れよ」
Jが言うと店を出ようと対面の席からJの横まで来たケイトが足を止め、
「明日の雨、本当に降らせようか」
いたずらっぽい顔をしながらケイトがJにキスをして店を出ていく。
「天気予報より確実に明日は雨だな」
Jは再び本を読みだした。
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