第三章:(3)
沢山の作品の中からこの作品をご覧頂き、ありがとうございます。
この作品はロサンゼルスのギャングの世界の空気感を描くために、一部バイオレンスが描写が含まれておりますが、基本は主人公が偏差値30から東京大学へと進学していく過程ときっかけを描いたものとなりますので、楽しく読んで頂ければと思います。
翌日の学校帰り、ミッシェルに誘われてJはモールに来ていた。
いわゆるウィンドウショッピングだが、これは下手なテストよりも難しい。ミッシェルは腕を引きつつ色々な店へと入って行き、気に入った服を取ってはJに見せる。別にねだっている訳では無く、一緒にモールを歩いていることを楽しんでいるのだが、店に入り商品の服を自分に当てながら
「ねぇ、J、さっきのとどっちが良いかな?」
と聞くが、どの服が目の前の服との比較対象なのかが分からない。笑顔で聞くミッシェルの手前そんなことも言えず、
「あ、これいいじゃん」と答える。自分でも適当なセリフだとは思うが、
「ホント?」とミッシェルは笑顔で喜ぶ。
「でも、ボタンの所はMacy’sで見た服の方が可愛かったよね?」
記憶ページを巻き戻すが、正直そんな細かな記憶は全く無い。彼女にもう一押し質問されたら、このテストは不合格になるだろうが、そこまで深く追求されなかったのがJにとっては幸いしていた。
結局何かを買うことはなく、2人でモール内の色々なショップを見て回る時間をJもミッシェルも楽しんだ。
少し休憩するためにモール近くにあるファーストフード店に移動し、ポテトとコークを頼んだ。夕方のファーストフード店の店内は色々な高校の学生たちで賑わっている。空腹を満たす者、勉強している者、ただ仲間との時間を楽しむ者など様々だ。勉強している学生を見てミッシェルが
「そうそう、微積の授業で分からない場所があったんだよね」
ミッシェルも微分積分学の授業を取っているが、異なる時限の授業だ。しかし、Jの成績のことは知っており、時々こうして授業内容のこと、宿題のことを聞くことがある。Jは車に戻り、シビックの後部座席に積んでいた自分のバックパックを持って店に戻る。
Jは教科書に載っている解き方よりも簡単なやり方をミッシェルに教えた。教科書に載っている通りの解き方と、Jの解き方の両方を書き出し、効率性の高さと簡単さを比べさせた。
「あぁ~なるほどね」
と、ポテトをつまみながらの即席の微積の授業にミッシェルは満足だった。
その後、夕食時にはミッシェルを家へと送り、そこから22時まではいつものビルでギャンブルをしていた。特に珍しい顔は無く、ブラックジャックで20ドル程を稼いで終わった。
当然22時過ぎからはジャックの家へと向かう。家に入るとジャックは待ち構えていたように、
「J、数学の宿題なんだけど・・・」
「お前もか!」笑って答える。「さっきまで他で教えてたよ」と言うと、ジャックは
「じゃあ教えるのは予習済みだね」
と楽しげに言う。
この日のジャックが作った夜食メニューは、ザーサイと豚挽き肉の炒め物とご飯だ。ジャックが最も得意とするメニューであり、Jの好物でもある。
水で塩気をある程度抜いたザーサイを細く刻み、豚挽き肉、刻んだニンニク、生姜と共に炒める。紹興酒、醤油を加えたら完成という男子向きのメニューだ。しかし、作り方は簡単でも、熱々のご飯にたっぷりと乗せたその美味しさは丼飯を一瞬で消し去ってしまう。ザーサイの味と香りと豚挽き肉の旨味が相まって最高の味を演出する。
「この方程式は・・・」
食後、マルボロとパーラメントでの無駄話の時間を経て、Jは数時間前と同じように数学の即席授業を開いていた。
「教える」という行為は単に自分の知識を他者に伝達する行為ではない。「話す」のでは無く「教える」以上、相手が理解しなければ意味が無い。そして相手を理解させるには、相手がどこで間違いやすいのかを把握した上で、どのように説明したら間違わずに理解が進むかに注意を払いながら説明していく必要がある。
これもまたシミュレーションゲームと似ている。
自分の知識と相手の知識の差を把握し、そこに伝えるべき情報量を過剰ではなく、過小でもなく、最も効率的に理解が進む量を計算しなければならない。過剰であれば理解が進むのではなく、情報過多で理解をむしろ阻害し、過小であれば目的を達成できない。こうして必要な情報を適量、適切に伝えてこそ、相手にその「情報」が伝わり、それが「理解」という工程を経て「知識」として醸成していく。そしてそのためには、その教えるべき知識内容に関して、誰よりも自分が深く理解していて初めて理路整然と説明が出来ることになる。
だからこそ、教えるという行為は、自分自身の知識の確認にもなる。
しっかりと説明出来る場合、その知識が自分に根付いていることを示している。逆に上手く説明できない内容については、自分自身の中で理解が進んでいないということになり、その知識のどの部分が自分では把握しきれていないのか、そういったことを端的に示してくれる。
そして、教えることを繰り返し、より上手く説明出来るようになるに連れ、自分の中でのその情報、知識への理解も進んでいく。そのことを肌感覚で理解していたJは、数学に限らず、ギャンブルの知識、レースの仕方など、自分が知っていて誰かに教えることの出来る情報や知識は、積極的に教えるようにしていた。
教える事とは、教わる事でもあるのだ。
【作者からのお願い】
『続きが気になる!!』『面白い!!』と思って下さったら、下にある【☆】をタップして評価やブックマークをして頂けると執筆の励みになります。




