第一章:(11)
沢山の作品の中からこの作品をご覧頂き、ありがとうございます。
この作品はロサンゼルスのギャングの世界の空気感を描くために、一部バイオレンスが描写が含まれておりますが、基本は主人公が偏差値30から東京大学へと進学していく過程ときっかけを描いたものとなりますので、楽しく読んで頂ければと思います。
二人の行き先はデニーズ。
週に1回は深夜にこの店に来ている。Jとジャックで酒を飲みに行くこともあるが、大抵はジャックの手料理かデニーズでの夜食となる。
セプルベダ通りに面したデニーズは、陽のあるうちは混雑しているが、車もまばらなこの時間となると、暗い通り沿いに寂しくネオンの看板が光っているだけだ。数組の客がいるだけの静かな空間、ボリュームが落とされたジャズが流れる店内、こういう場所をJとジャックは好む。
店内に入り、席に通されても二人ともメニューは見ない。毎回頼むメニューは同じだからだ。席に着くと同時に
「ムーンオーバーマイハミーとコーク」というJに続いて
「バッファローウィングとコーク」とジャックもオーダーする。
ムーンオーバーマイハミーは、何層にも重ねられた薄切りハムに分厚く作られたスクランブルエッグ、そこに焼かれて溶けたチーズが入ったトーストサンドイッチだ。香ばしく焼かれたパンを頬張れば、チーズのコクとハムの塩分で絶妙なバランスとなったスクランブルエッグが口の中に広がる。
ジャックのバッファローウィングはアメリカらしい一品だ。焼かれた鳥の手羽元にバッファローソースというアメリカ南部料理で使うピリ辛のソースを絡めたもので、動物のバッファローとは何の関係も無い。このピリ辛を和らげるためにランチドレッシングというサワークリームやヨーグルトを主成分とするドレッシングが付き、それに浸けながら食べると辛さが中和される。手がバッファローソースでベトベトになるが、その指先を舐めながら豪快に食べるのも、この料理の美味しさの1つだ。
「Jは高校卒業後何するんだ?」
バッファローウィングを食べながらジャックが聞く。
ジャックは成績も優等で、高校卒業後の大学進学も難しくはないだろう。大学では経営学を専攻し、いずれは起業する夢を持っている。今やるべきこと、今後やりたいこと、そして次に進む場所が見えているジャックの前途は明るいと言って良い。
「別に何も決めてないなぁ。大学なんかに入るだけの頭無いし」
ジャックやアニーなどの成績が優秀な友人は別にして、普段付き合いのある連中に、将来の話を聞いても、1週間以上先の見通しは立っていないだろう。その日その日の楽しさに流されながら、ギャンブルやレース、デートにパーティーを楽しんでいる。Jも勿論その一人だった。
ただ、Jには1つだけ決めていることがある。
「なりたくない自分にならない」という意識だ。
少なくても裏の世界において、喧嘩は強くないにせよ、ギャンブルでは一目置かれ、金貸しなどである程度の収入もあり、キングによる後ろ盾もあり、狩られる立場ではない。だからこそ、重ねていく日々に甘えていても楽しく生活が出来、将来への危機意識は薄い。とは言え、ジャックなどのように、社会的に認められる将来に向かって扉を開こうとしている人物を前に改まって言われると、胸を張って自分の生き様を主張も出来ない。
「なりたい自分」になることは難しい。
それは成功者のみに許された称号であり、そもそも自分がどうなりたいのかの明確なビジョンを持っていなければ、「なりたい自分」へのスタート地点にも立てない。
街のゴロツキたちを見れば分かる。何かになりたい訳じゃない。大切なのは今日抱く女や酒やクスリなどの快楽であり、週末にパーティーにでも行ければ良い。自分が何かになれるなんて希望は持っていない。「なりたい自分」になれずに挫折した訳では無く、そんなものがそもそも無いのだ。その意味ではJも大して変わらない。大学に進みたいなんて希望は無く、この仕事がしたいという目標もなかった。
一方で、「なりたい自分」への夢破れ、ゴロツキたちの世界へと流れ着いた連中もいる。1位になること、100点を取る事を目標に設定すれば、2位以下は敗者であり、90点は成績優等では無く、脱落者となる。高過ぎる理想像に対し、現実が追い付かない時、90点を取る事も諦め、落第への道に突き進む事がある。かつての優秀なエリートが酒とクスリと女に溺れ、見下され便利に使われ、時に殴られたりしながら裏社会の底辺を生きる連中もいる。
そのため、Jは「なりたくない自分」だけを設定するようにした。
最低限の及第点さえ取れば単位は落とさない。単位を取る連中と取らない連中に分けた時、少なくとも単位を取るグループにはいるのだからそれで十分だ。最低限を最小の労力でクリアする。理想に一歩でも近づくのではなく、直面したくない現実から一歩でも遠ざかるだけで十分だ。
「なりたくない自分」の姿を、Jが夜の街で見ることは無い。多くの場面で見下されることは無く、自由とわがままを謳歌出来てもいる。街で安泰なのはキングを含めたブルーなどの後ろ盾があってこそであり、自分の力では無いことは分かっているが、裏社会でのし上がろうなんて思ってはいない。見下され、狩られなければ良い。ただ、昼の世界ではどうなのか、ジャックの進路が固まりつつあると同時に、Jも少しずつ考えるようにはなっていた。
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