八十九話 桶、決意発表する
昼過ぎ。
湯けむり亭の、いつもの一室。
そこには、湯けむり亭の仲間達が集まっていた。
ミリナ。
バルミナ。
ルーナ。
シャルネ。
ミア。
エナ。
ドロシィ。
そして。
机の上には、黄色い桶。
桶さんが、静かに皆を見ていた。
『みんな』
「はい?」
ミリナが桶さんを見る。
『ちょっと話したいことがある』
「……?」
皆が顔を見合わせる。
桶さんが、こうして自分から皆を集めることは、あまりなかった。
『昨日』
『俺の???スキルが』
『100%になった』
「はい」
ミリナが頷く。
『そして』
『そのスキルは』
『消えた』
「……消えた?」
ルーナが驚く。
『代わりに』
『新しいスキルを覚えた』
桶さんがステータスを確認する。
【湯源継承】
『これが』
『今の俺が持ってる新しいスキルだ』
「湯源継承……」
バルミナが名前を口にする。
『簡単に言うと』
『俺が今まで湯に与えていた効果を』
『湯けむり亭の源泉そのものに』
『受け継がせることができる』
「……ということは?」
シャルネが聞く。
『俺を通さなくても』
『同じ効果のある温泉になる』
「……」
皆が黙った。
ミリナだけが、じっと桶さんを見ていた。
『昨日の神湯は』
『ミリナを治すために』
『一度だけ現れた』
『そして』
『ミリナを治したら消えた』
「はい……」
ミリナが小さく頷く。
『でも』
『俺は』
『???スキルが』
『ミリナを治すためだけのスキルだったとは』
『思ってない』
「……え?」
ミリナが顔を上げる。
『俺なりに』
『ずっと考えてたんだ』
『なんで』
『あのスキルが』
『最後の1%だけ』
『ずっと埋まらなかったのか』
桶さんは、これまでを思い返す。
湯けむり亭に、たくさんの人が訪れた。
たくさんの人が、温泉を楽しんだ。
桶さんを使って、傷を癒した人もいた。
湯土産を喜んでくれた人もいた。
そして。
湯けむり亭そのものを好きになってくれた人達もいた。
『たぶん』
『???って』
『みんなが』
『本当にこの温泉を好きになること』
『だったんじゃないかな』
「……」
『ただ温泉に入るだけじゃなくて』
『ここに来るのが楽しみで』
『ここに来ると落ち着いて』
『ここを大切に思う』
『そんな人が』
『たくさん増えていった』
ミリナは黙って、話を聞いていた。
『でも』
『最後の1%だけは』
『それだけじゃ足りなかった』
『たぶん』
『ミリナだったんだと思う』
「私……?」
『うん』
『ミリナは』
『この温泉を守ってきた』
『誰よりも』
『湯けむり亭のことを考えて』
『誰よりも』
『この温泉を大切にしてきた』
『昨日』
『ミリナが言っただろ』
『自分も俺と同じくらい』
『温泉が好きだって』
「……はい」
『あれが』
『最後の1%だったんじゃないかな』
『ミリナが』
『心から』
『この温泉が大好きだって思った』
『そして』
『みんなも』
『湯けむり亭が大好きだった』
『だから』
『100%になった』
ミリナの目に、少しだけ涙が浮かぶ。
「……そうだったんですね」
『たぶんだけどな』
桶さんは、少し照れ臭そうに付け加える。
『俺にも』
『本当のところは分からない』
皆が少し笑った。
『でも』
『一つだけ』
『分かったことがある』
桶さんは、新しいスキルを見る。
【湯源継承】
『このスキルがあれば』
『俺がいなくても』
『湯けむり亭の温泉は』
『同じように人を癒せる』
『つまり』
少し間を置いて。
『俺は』
『もう』
『ここには必要ない』
「……!」
ミリナが息を呑む。
「桶さん……?」
バルミナも、何かを察したように黙っている。
『勘違いするなよ』
『別に』
『湯けむり亭を嫌いになったわけじゃない』
『むしろ』
『大好きだ』
『ここで過ごした時間は』
『俺にとっても』
『大切な時間だった』
桶さんは、少しだけ間を置く。
『だからこそ』
『外へ出てみて』
『分かったことがある』
『俺は』
『ミリナを助けるために』
『神湯を探して』
『いろんな温泉を見てきた』
『最初の湯けむり亭みたいな』
『寂れかけた温泉もあった』
『もっと酷い場所もあった』
旅の途中。
見た光景。
人の少ない温泉街。
閉まったままの店。
誰も入っていない浴場。
けれど。
『温泉そのものは』
『悪くない場所もあった』
『むしろ』
『すごくいい温泉なのに』
『継ぐ人がいない』
『そんな場所もあった』
『温泉街は残ってるのに』
『源泉の効能があまり良くなくて』
『客が来なくなって』
『寂れてしまった場所もあった』
『俺は』
『そういうところを』
『いくつも見た』
桶さんは、そこで少しだけ黙った。
『その時』
『考えたんだ』
『俺が』
『この世界に来た理由って』
『なんなんだろうって』
ミリナ達は、黙って桶さんの言葉を聞いている。
『最初は』
『ミリナを助けるためだと思ってた』
『でも』
『今回のことで』
『それだけじゃないんじゃないかって』
『俺には』
『温泉を救う力がある』
『湯けむり亭で』
『それを証明できた』
『だったら』
『今度は』
『他の温泉を』
『救ってみてもいいんじゃないかって』
ミリナが、少しだけ寂しそうに笑う。
「……桶さんらしいですね」
『そうか?』
「はい」
「だって」
「桶さんは」
「温泉が大好きですから」
『……』
桶さんは、少し黙った。
『まぁ』
『もっともらしいこと言ってるけどな』
『本音を言えば』
『俺』
『いろんな温泉に入りたいんだよな』
「……」
「……」
全員、沈黙。
そして。
「ふふっ」
ミリナが笑った。
「やっぱり桶さんですね」
「最初からそれが目的だったんじゃないのかい?」
バルミナまで、呆れたように笑う。
『いやいや!』
『ちゃんと温泉を救いたい気持ちもあるから!』
「どっちが本音なんだか」
シャルネが笑う。
皆も、つられて笑った。
けれど。
その笑いの中には、少しだけ寂しさもあった。
桶さんが。
湯けむり亭を。
離れる。
その意味を。
皆が。
少しずつ。
理解し始めていた。




