八十八話 受け継がれた湯
一夜明けて。
湯けむり亭には。
いつもの朝が戻っていた。
……いや。
いつもとは。
少し違っていた。
「ミリナちゃん!」
「本当に治ったのか!?」
「昨日まで寝込んでたんだろ!?」
「もう大丈夫なのか!?」
受付には。
朝から。
大勢の常連達が集まっていた。
ミリナは。
受付の奥で。
少し照れながら。
笑っている。
「はい」
「もう大丈夫です」
「身体の痛みもありません」
「普通に歩けますし」
そう言って。
ミリナは。
その場で。
くるりと回ってみせた。
「ほら!」
「本当だ……」
「ミリナちゃんだ……」
「元気になった……!」
常連達の顔が。
次々と。
ほころんでいく。
「よかったなぁ!」
「本当に心配したぞ!」
「三ヶ月以上も顔を見なかったからな!」
「受付に来ても誰も教えてくれないしよ!」
「バルミナさんなんて」
「毎回うまく誤魔化してたもんな!」
バルミナが。
少しだけ。
気まずそうな顔をする。
「仕方ないだろう?」
「本人が休んでるって言ったって」
「心配させるだけだからねぇ」
「まぁ」
常連の一人が。
笑う。
「今元気なら」
「それでいい」
その言葉に。
周囲から。
次々と声が上がる。
「そうだな!」
「ミリナちゃんが元気ならそれでいい!」
「またよろしく頼むぞ!」
「はい!」
ミリナは。
嬉しそうに。
頭を下げた。
「ご心配をおかけしました」
「そして」
「ありがとうございました」
常連達は。
笑いながら。
手を振った。
「礼なんかいいって!」
「元気になった顔を見せてくれたんだから!」
「それより」
「今日は風呂入れるんだろうな?」
「はい!」
ミリナが。
元気よく答える。
「もちろんです!」
その声に。
皆が。
笑った。
こうして。
湯けむり亭に。
いつもの笑顔が。
戻ってきた。
そして。
ここからは。
昨日の夜のこと。
――昨日。
ミリナの身体から。
呪いが完全に消えたあと。
湯けむり亭の浴場には。
まだ。
淡い光が。
満ちていた。
湯船そのものが。
光っている。
誰も。
そんな光景を。
見たことがなかった。
「……神湯」
セレナが。
呟く。
「これが」
「神湯なんですね……」
ミリナは。
湯船の中で。
自分の身体を。
何度も確認していた。
痛みはない。
身体も軽い。
もう。
どこにも。
黒い痕は残っていない。
「本当に」
「治ったんですね……」
「うん」
シャルネが。
涙を拭いながら。
笑う。
「完全に元気になってる」
ルーナも。
ミリナの顔を見て。
笑った。
「よかったです……」
その時。
バルミナが。
ふと。
湯船を見ながら。
ニヤリと笑った。
「しかし」
「神湯になったんなら」
「また忙しくなるねぇ」
「……」
「……」
皆が。
一瞬。
固まる。
「確かに……」
ルーナが。
苦笑する。
「神湯なんて知れ渡ったら」
「街中から人が来そうですね」
「予約」
ミアが。
遠い目をする。
「今よりもっと大変になりそうです……」
「えぇ……」
ミリナまで。
苦笑した。
「でも」
「皆さんが喜んでくれるなら」
「頑張ります!」
皆が。
笑った。
その時だった。
「……あれ?」
エナが。
湯船を見た。
「なんか」
「光が弱くなってません?」
「え?」
全員が。
湯船を見る。
確かに。
先ほどまで。
浴場いっぱいに広がっていた光が。
少しずつ。
薄くなっている。
「……消えていく」
セレナが。
呟く。
そして。
数秒後。
光は。
完全に消えた。
残ったのは。
いつもの。
湯けむり亭の温泉だった。
「……」
皆が。
湯を見つめる。
「普通に戻った?」
シャルネが。
手ですくってみる。
「いつもの湯だね」
「桶さん」
ミリナが。
桶さんを見る。
「どうですか?」
『ちょっと待って』
桶さんは。
すぐに。
温泉を調べる。
源泉。
湯質。
効能。
そして。
自分自身のスキル。
(……いつもの湯だ)
(何も変わってない)
昨日までとは。
まるで違う。
あれほど強烈だった。
神湯の力は。
もう。
どこにも残っていない。
そして。
桶さんは。
自分のステータスを見る。
(……あ)
昨日まで。
そこにあった。
???
100%。
その表示が。
消えている。
(なくなってる……)
代わりに。
一つ。
新しいスキルが。
表示されていた。
【湯源継承】
(……湯源継承?)
桶さんは。
そのスキルを。
静かに確認する。
すると。
その効果が。
自然と。
頭の中へ流れ込んできた。
(……なるほど)
これは。
神湯そのものを。
残す力ではない。
桶さんが。
これまで湯へ与えてきた。
癒しの力。
それを。
湯けむり亭の源泉へ。
受け継がせる力。
ただ。
今の湯は。
まだ。
いつもの湯だ。
神湯になったわけではない。
昨日の神湯は。
ミリナを癒すためだけに。
現れた。
そして。
その役目を終えたことで。
消えた。
けれど。
桶さんには。
分かった。
神湯が。
最後に残したものが。
このスキルなのだ。
桶さんは。
もう一度。
ミリナを見る。
元気になった。
笑っている。
昨日まで。
死を覚悟していた少女が。
今は。
皆と一緒に。
笑っている。
そして。
湯けむり亭には。
いつもの。
温泉がある。
昨日の出来事は。
まるで。
夢だったようにも思える。
けれど。
桶さんの中には。
確かに。
残っていた。
神湯を。
生み出した。
力の証が。
新しいスキルとして。
残っている。
桶さんは。
ミリナの笑顔を見る。
湯けむり亭。
ここまで。
皆で。
作ってきた。
守ってきた。
そして。
今。
ミリナは。
元気になった。
桶さんは。
これまでの旅を。
思い返す。
神湯を探して。
いくつもの温泉を巡った。
秘湯を見た。
寂れた温泉街を見た。
助けを求める人達も見た。
湯けむり亭とは。
比べものにならないほど。
寂れてしまった場所もあった。
そこで。
桶さんは。
何度も思った。
もし。
湯けむり亭が。
今のように。
たくさんの人に愛される温泉になっていなかったら。
自分達も。
同じようになっていたかもしれない。
そして。
今回。
ミリナを救うために。
皆が。
必死になってくれた。
自分も。
必死になった。
それでも。
最後に。
ミリナを救ったのは。
皆で積み重ねてきた。
この温泉だった。
桶さんは。
新しいスキルを見る。
【湯源継承】
この力があれば。
桶さんを通さなくても。
湯けむり亭の温泉は。
人を癒せる。
桶さん自身が。
いなくても。
この場所は。
ここに残る。
だったら。
桶さんが。
これからやることは。
一つだった。
桶さんは。
小さく。
心の中で呟いた。
(だったら)
(俺がやりたいことは)
(決まってるな)
その想いには。
もう。
迷いはなかった。




