八十七話 神湯
――100%。
桶さんは。
その数字を。
しばらく。
理解できずにいた。
(……100%?)
何度確認しても。
表示は変わらない。
???
100%。
(本当に)
(100%になった……)
長かった。
何をしても。
どれだけ人に喜んでもらっても。
どれだけ温泉に入ってもらっても。
99%から。
最後の1%だけが。
埋まらなかった。
それが。
今。
ミリナの言葉を聞いて。
100%になった。
そして。
その瞬間。
――ピコン。
もう一度。
音が鳴った。
桶さんの視界に。
見慣れない文字が浮かぶ。
――――――――――
【???スキルが100%になりました】
【新たなスキルを獲得しました】
【神湯】
――――――――――
(……え?)
桶さんは。
固まった。
(神湯?)
その文字を。
理解した。
(俺)
(神湯を覚えたのか?)
だが。
それだけではなかった。
桶さんの身体。
正確には。
桶さんを通して湯けむり亭へ流れ込んでいる。
温泉そのものが。
変わり始めていた。
――ポウッ。
最初は。
ほんの小さな光だった。
湯船の底。
源泉から。
淡い光が。
ゆっくりと。
広がっていく。
「……え?」
ミリナが。
顔を上げる。
「何でしょう……?」
次の瞬間。
湯船全体が。
淡い光に包まれた。
「なっ……!?」
バルミナが。
目を見開く。
「なんだい!?」
ルーナも。
「温泉が……光ってます!」
シャルネは。
すぐに。
ミリナの方を見る。
「ミリナ!」
「大丈夫!?」
「は、はい……」
ミリナは。
自分の身体を見る。
そして。
「……え?」
黒い痕。
身体中に広がっていた。
呪いの痕が。
淡い光に触れた場所から。
ゆっくりと。
薄くなっていた。
「……え?」
ミリナの声が。
震える。
「これ……」
セレナが。
すぐに。
ミリナの腕を見る。
「……嘘」
解呪師である。
セレナだからこそ。
分かった。
「呪いが」
「消えてる……?」
黒い痕が。
少しずつ。
少しずつ。
ミリナの身体から。
消えていく。
まるで。
長い時間をかけて。
身体へ染みついた呪いが。
湯に溶けていくように。
「……そんな」
セレナは。
呆然と。
その光景を見つめていた。
「私の解呪でも」
「ここまで……」
できなかった。
そして。
ミリナ自身も。
変化を感じていた。
「……痛くない」
「え?」
「身体が……」
ミリナが。
自分の腕を。
ゆっくり動かす。
「痛くありません」
もう一度。
腕を動かす。
「……痛くない」
ミリナの目から。
涙が。
こぼれた。
「ご飯も……」
ずっと。
食べられなかった。
身体が受け付けなかった。
だが。
今は。
胃の奥に。
ちゃんと。
空腹を感じる。
「……お腹」
「空いてます」
「……っ」
バルミナが。
口元を押さえた。
涙が。
頬を伝う。
「ミリナ……」
「はい」
「……痛くないのかい?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
ミリナは。
笑った。
「全然」
その笑顔は。
久しぶりに見る。
病気になる前と。
何も変わらない。
いつもの。
ミリナの笑顔だった。
黒い痕は。
もう。
どこにも残っていない。
痩せ細っていた身体にも。
少しずつ。
力が戻ってくる。
顔色も。
元に戻っていく。
「……ミリナ」
ルーナが。
泣きながら。
ミリナへ近づく。
「本当に……」
「治ったんですか?」
「はい」
「たぶん……」
ミリナは。
自分の身体を。
何度も確かめる。
「もう」
「どこも痛くありません」
その瞬間。
ルーナが。
ミリナへ抱きついた。
「よかったぁ……!」
「ルーナさん……」
「本当に……!」
エナも。
ミアも。
ドロシィも。
次々と。
涙を流す。
「よかった……」
「本当に良かったです……!」
「ミリナさん……!」
シャルネは。
黙って。
涙を拭っていた。
そして。
バルミナが。
ミリナの頭を。
優しく撫でる。
「……馬鹿だねぇ」
「え?」
「こんなに」
「心配かけて」
「……すみません」
「謝るんじゃないよ」
「今日は」
「喜びな」
ミリナが。
涙を流しながら。
笑う。
「はい……!」
そして。
ミリナは。
桶さんを見る。
「桶さん」
『……ああ』
「ありがとう」
『……うん』
桶さんは。
それ以上。
何も言えなかった。
ただ。
湯船に浮かび。
皆の姿を。
見ていた。
ずっと。
探していた。
神湯。
どこかにあると思って。
旅をした。
秘湯を探した。
様々な温泉を巡った。
それでも。
見つからなかった。
だが。
今。
目の前に。
答えがある。
湯けむり亭。
この温泉。
ミリナ。
仲間達。
そして。
桶さん。
皆が積み重ねてきた。
温泉の日々。
その全てが。
今。
神湯になった。
「……すごい」
セレナが。
小さく呟く。
「これが……」
「神湯……」
誰も。
答えられなかった。
ただ。
光る湯船を。
見つめていた。
やがて。
ミリナが。
小さく笑う。
「……ねぇ」
「はい?」
ルーナが。
顔を上げる。
「もう一回」
「みんなで入りませんか?」
「……え?」
「せっかくですから」
ミリナは。
笑って。
湯船を見る。
「今度は」
「ちゃんと元気な私で」
皆が。
顔を見合わせる。
そして。
バルミナが。
笑った。
「そうだねぇ」
「入り直そうか」
「はい!」
ルーナが。
笑う。
「私も!」
「俺も入りたい!」
エナが。
勢いよく手を上げる。
「私もです!」
ミアも。
笑う。
「もちろん!」
ドロシィも。
嬉しそうに頷く。
「シャルネは?」
「……入るよ」
シャルネも。
笑った。
「こんな温泉」
「入らない方がもったいないでしょ」
「セレナさんも」
ミリナが。
声をかける。
「……私も?」
「はい」
「一緒に入りましょう」
セレナは。
少しだけ。
目を細めた。
「……そうですね」
そして。
皆で。
もう一度。
湯船へ入った。
ミリナは。
湯に肩まで浸かる。
「……あぁ」
思わず。
声が漏れる。
「気持ちいい……」
皆も。
笑う。
泣いた後の。
赤い目のまま。
笑っている。
桶さんも。
その光景を。
静かに見ていた。
湯けむり亭。
いつもの温泉。
いつもの仲間。
けれど。
今日だけは。
少し違う。
温泉は。
淡い光を放っていた。
その湯は。
神湯。
そして。
ミリナは。
もう。
病気に苦しんでいた少女ではなかった。
皆と一緒に。
大好きな温泉へ入り。
笑っていた。
その姿を見ながら。
桶さんは。
心の中で。
静かに。
呟いた。
(……間に合った)
湯けむり亭に。
温かい笑い声が。
戻ってきた。




