八十六話 ミリナの最後のお願い
その日の夜。
ミリナの部屋には。
いつもの仲間達が。
集まっていた。
バルミナ。
ルーナ。
シャルネ。
ミア。
エナ。
ドロシィ。
そして。
桶さん。
セレナも。
少し離れた場所で。
ミリナを見守っている。
だが。
いつもと違う。
ミリナは。
ベッドに横になったまま。
ほとんど。
動かなかった。
食事も。
まともに取れなくなっていた。
水を少し飲むだけでも。
時間がかかる。
身体中が。
常に痛い。
腕も。
肩も。
胸も。
黒い痕が広がった場所は。
まるで。
身体の内側から。
蝕まれているようだった。
それでも。
桶さんの湯と。
セレナの遅延術。
二つの力があるから。
なんとか。
意識を保ち。
こうして。
皆と話すことができている。
だが。
ミリナ自身には。
分かっていた。
もう。
自分の身体が。
限界に近づいている。
「……」
ミリナは。
しばらく。
天井を見つめていた。
そして。
ゆっくり。
口を開いた。
「皆さん」
「はい?」
ルーナが。
すぐに答える。
「少しだけ」
「お願いしてもいいですか?」
「もちろんだよ」
バルミナが。
すぐに答えた。
「何でも言いな」
ミリナは。
少しだけ。
笑った。
「……温泉」
「え?」
「温泉に」
「入りたいです」
皆が。
顔を見合わせる。
「今から?」
シャルネが聞く。
「はい」
ミリナが。
小さく頷く。
「皆さんと」
「湯けむり亭のお風呂に」
「一緒に入りたいです」
「……」
しばらく。
誰も。
言葉を出せなかった。
バルミナが。
少しだけ。
困ったように笑う。
「何言ってるんだい」
「そんなの」
「いつだって入れるじゃないか」
「……はい」
ミリナは。
微笑んだ。
「そうですよね」
「だから」
「今」
「入りたいんです」
その言葉に。
バルミナは。
何かを察した。
だが。
「最後みたいなこと言うんじゃないよ」
「縁起でもない」
そう言って。
無理に。
笑ってみせる。
「まだまだ」
「これからだろう?」
「……はい」
ミリナも。
頷いた。
「これからです」
バルミナは。
何も言わず。
ミリナを抱き上げた。
「よし」
「私が連れていくよ」
「バルミナさん……」
「歩けないんだろう?」
「……はい」
「だったら」
「遠慮するんじゃないよ」
バルミナは。
ミリナを。
大切そうに抱えた。
「……軽いねぇ」
その言葉に。
ミリナは。
少しだけ。
目を伏せた。
「すみません」
「謝るんじゃないよ」
「今は」
「たくさん甘えな」
「……はい」
湯けむり亭。
女湯。
夜。
営業が終わった浴場には。
誰もいない。
静かな湯気だけが。
ゆっくりと。
天井へ昇っていた。
バルミナが。
ミリナを。
ゆっくりと。
湯船へ入れる。
「……っ」
ミリナが。
小さく息を吐く。
温かい湯が。
身体を包む。
すると。
ミリナの表情が。
ほんの少し。
緩んだ。
「……楽です」
「そうかい」
バルミナも。
静かに頷く。
桶さんは。
いつものように。
湯船の近くに置かれている。
そして。
桶さんを通した湯が。
ミリナの身体へ。
ゆっくりと。
かけられる。
「……あぁ」
ミリナが。
目を閉じる。
「やっぱり」
「このお湯」
「好きです」
その言葉に。
桶さんの胸が。
少しだけ。
熱くなった。
『俺もだ』
ミリナが。
小さく笑う。
「知ってます」
「ふふっ」
そして。
皆が。
湯船へ入る。
バルミナ。
ルーナ。
シャルネ。
ミア。
エナ。
ドロシィ。
皆。
ミリナの周りに。
集まった。
しばらく。
誰も。
話さなかった。
ただ。
一緒に。
温泉へ入っていた。
湯気が。
静かに。
漂っている。
その時間が。
ミリナには。
とても幸せだった。
「……バルミナさん」
「なんだい?」
「私」
「最初の頃」
「本当に何もできなかったですよね」
「……そうだったねぇ」
「おばあちゃんから」
「湯けむり亭を受け継いで」
「どうしたらいいか」
「全然分からなくて」
「毎日」
「どうしようって思ってました」
バルミナは。
静かに。
ミリナの言葉を聞いていた。
「でも」
「バルミナさんが」
「帳簿を見てくれて」
「色々教えてくれて」
「予約制も提案してくれて」
「本当に助かりました」
「湯土産が増えて」
「お客さんがどんどん増えて」
「私一人じゃ」
「絶対に対応できなかったと思います」
バルミナの目が。
少し潤む。
「そんなの」
「大したことじゃないよ」
「大したことです」
ミリナは。
笑った。
「私には」
「大したことでした」
「……そうかい」
バルミナは。
顔を伏せた。
「ありがとうございます」
「ミリナ……」
次に。
ミリナは。
ルーナを見る。
「ルーナさん」
「はい」
「湯けむり亭に来てくれて」
「ありがとうございました」
「最初は」
「受付のお仕事をお願いして」
「予約のお客さんを案内してくれましたよね」
「それだけじゃなくて」
「湯土産のことまで」
「一緒に考えてくれて」
「本当に頼りになりました」
「私」
「湯けむり亭に来て」
「本当に良かったです」
ルーナは。
笑おうとする。
だが。
目から。
涙がこぼれた。
「私もです」
「ミリナさんと働けて」
「本当に良かったです」
ミリナが。
優しく。
頷く。
「シャルネさん」
「……うん」
「私が困った時」
「いつも助けてくれて」
「ありがとうございました」
「盗賊に桶さんを盗まれた時も」
「一緒に探してくれましたよね」
「その時」
「私」
「何もできなくて」
「すごく怖かったです」
「でも」
「シャルネさんがいてくれて」
「本当に心強かったです」
シャルネは。
少しだけ。
目を伏せる。
「今回だって」
「私を助けるために」
「一緒に神湯を探しに行ってくれました」
「遠いところまで」
「私のために」
「ありがとうございました」
「……」
シャルネは。
涙を拭った。
「こっちこそ」
「ありがとう」
「ミリナのためなら」
「何度だって行くよ」
「……はい」
ミリナは。
笑った。
「ミアちゃん」
「はい……」
「朝露組として」
「一緒に働いてくれて」
「ありがとうございました」
「お客さんが増えて」
「忙しくなった時も」
「文句一つ言わず」
「頑張ってくれましたよね」
「それに」
「後輩が入ってからは」
「ちゃんと先輩として」
「教えてあげてました」
「私」
「ミアちゃんが成長していくの」
「嬉しかったです」
「私」
「ミリナさんに頼ってもらえるの」
「嬉しかったです」
「ありがとう」
「こちらこそです……」
ミアも。
涙を拭う。
「エナちゃん」
「……はい」
「いつも」
「湯けむり亭を明るくしてくれて」
「ありがとうございました」
「新人さんが入った時も」
「一生懸命教えてましたよね」
「忙しくても」
「エナちゃんが笑ってると」
「なんだか安心しました」
「私」
「エナちゃんを見て」
「湯けむり亭が」
「本当に大きな家族みたいになったなって」
「思ってました」
「ミリナさん……」
「これからも」
「その明るさを」
「なくさないでくださいね」
「……はい」
エナは。
涙を流しながら。
頷いた。
「ドロシィちゃん」
「……はい」
「いつも」
「一生懸命働いてくれて」
「ありがとうございました」
「お掃除も」
「接客も」
「いつも頑張ってくれましたよね」
「新しい子達が入ってきた時も」
「先輩として」
「一生懸命教えてくれました」
「私」
「ドロシィちゃんの頑張ってる姿」
「大好きでした」
「……うぅ」
ドロシィは。
とうとう。
顔を隠した。
「私も」
「ミリナさんが大好きです……!」
「ありがとう」
ミリナも。
涙を流した。
そして。
最後に。
ミリナは。
桶さんを見る。
皆も。
桶さんを見る。
桶さんは。
何も言わず。
そこに置かれていた。
「……桶さん」
『……ああ』
「私」
「桶さんに」
「言いたいこと」
「いっぱいあります」
『……うん』
「桶さんが」
「私のそばにいてくれて」
「本当に」
「心強かったです」
「私が」
「どうしたらいいか分からなくなった時も」
「いつも」
「一緒に考えてくれました」
「お店が苦しい時も」
「冒険者さんに頼まれた時も」
「盗まれた時も」
「私が困っている時は」
「いつも」
「桶さんがいてくれました」
『……』
「今回も」
「私を助けるために」
「神湯を必死に探してくれましたよね」
「遠いところまで行って」
「色んな温泉を探して」
「私のために」
「ずっと頑張ってくれました」
ミリナの目から。
涙が。
こぼれる。
「だから」
「私は」
「ずっと」
「心強かったです」
「桶さんがいるなら」
「きっと大丈夫って」
「何度も思いました」
『ミリナ……』
「それに」
「桶さんは」
「ずっと」
「私のことを見守ってくれました」
「嬉しい時も」
「悲しい時も」
「ずっと一緒にいてくれました」
「だから」
「私も」
「桶さんと同じくらい」
「温泉が好きになりました」
『……』
「温泉に入ることも」
「温泉のことを考えることも」
「みんなで温泉に入って」
「笑うことも」
「全部」
「大好きです」
「この湯けむり亭も」
「大好きです」
桶さんは。
何も言えなかった。
ずっと。
ミリナと過ごしてきた。
そして。
今も。
ミリナを救うために。
神湯を探している。
けれど。
見つけることができなかった。
それでも。
ミリナは。
桶さんを。
責めなかった。
「だから」
「桶さん」
「今まで」
「私を支えてくれて」
「見守ってくれて」
「そして」
「最後まで」
「私のために」
「頑張ってくれて」
「本当に」
「ありがとうございました」
ミリナは。
泣いていた。
バルミナも。
ルーナも。
シャルネも。
ミアも。
エナも。
ドロシィも。
皆。
泣いていた。
桶さんも。
何も言えなかった。
しばらくして。
桶さんは。
静かに。
答えた。
『……俺も』
『ありがとう』
ミリナが。
顔を上げる。
『ミリナに出会えて』
『本当に良かった』
『俺も』
『この湯けむり亭が大好きだ』
『みんなが大好きだ』
『そして』
『温泉が』
『大好きだ』
ミリナが。
泣きながら。
笑った。
「はい……」
「知ってます」
「私も」
「大好きです」
「みんな」
「大好きです」
「……ありがとう」
その瞬間。
桶さんの中で。
何かが。
弾けた。
――ピコン。
聞き慣れた。
音。
桶さんが。
反射的に。
ステータスを確認する。
???
99%。
その数字が。
ゆっくりと。
変化していく。
99%。
そして。
100%。
???スキルが100%になっていた。




