七十五話 木漏れ日温泉郷と古い記憶
湯けむり亭を出発して、数日。
シャルネと桶さん、そして後から合流したクラマは、木漏れ日温泉郷へと到着していた。
「……おぉ」
桶さんは、思わず声を漏らした。
以前来た時とは、明らかに違う。
街には、人が溢れていた。
「いらっしゃいませー!」
「空いている宿はこちらです!」
「温泉まんじゅうはいかがですかー!」
あちこちから、店員たちの声が聞こえる。
道を歩く人も、冒険者、商人、家族連れと様々だ。
以前は、どこか寂しさのあった温泉街。
今では、活気に満ちていた。
『すげぇな……』
桶さんは、街を見ながら呟く。
『本当に、温泉街になったんだな』
シャルネも、少し嬉しそうに笑った。
「ミリナたちが頑張った結果だね」
その隣で、クラマも周囲を見渡していた。
「ここまで変わるもんなんだな」
シャルネが、少し意外そうな顔をする。
「クラマ」
「ここに来たことあるの?」
「ああ」
クラマは、少しだけ昔を思い出すように目を細めた。
「盗賊団をやってた頃に、一度だけな」
「その頃は、もっと寂れてた」
「人も少なかったし、今みたいに観光客が歩いてるような場所でもなかった」
シャルネが、周囲を見る。
「へぇ……」
桶さんも、少し驚いていた。
『クラマが昔ここに来てたとはな』
「まぁ」
クラマは苦笑する。
「昔の話さ」
そして、もう一度街を眺める。
「……本当に変わったな」
その声には、少しだけ嬉しそうな響きがあった。
『温泉ってすげぇな』
桶さんが、しみじみと呟く。
「なんで桶が誇らしげなんだよ」
シャルネが笑う。
『温泉好きだからな』
「それは知ってる」
そんな会話をしながら、三人は白樺の湯へ向かった。
すると。
「皆さん!」
懐かしい声が聞こえた。
コトネだった。
「お久しぶりです!」
「コトネさん!」
シャルネが笑う。
コトネも、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「本当にお久しぶりですね!」
「木漏れ日温泉郷も、すっかり変わりましたね」
シャルネが周囲を見る。
「おかげさまで」
コトネが嬉しそうに笑った。
「以前よりずっと人が増えました」
「白樺の湯にも、たくさんのお客様が来てくださるようになって」
『よかったなぁ』
桶さんが呟く。
「本当に、皆さんのおかげです」
コトネは嬉しそうに頷いた。
「ところで、今日はどうされたんですか?」
その言葉に、三人の表情が変わった。
「実は……」
シャルネが、少し声を落とす。
「ミリナのことで」
「……?」
コトネの顔から、笑顔が消える。
その後、白樺の湯の一室。
シャルネは、これまでのことを話した。
ミリナに突然現れた黒い痕。
それが呪いだったこと。
凄腕の解呪師でも、完全には解けなかったこと。
そして、神湯という伝説の温泉を探していること。
「……そんな」
コトネは、口元を押さえた。
「ミリナさんが……」
「今も、呪いと戦っているんですね」
「うん」
シャルネが頷く。
「だから、私たちは神湯を探してる」
コトネの目に、涙が浮かぶ。
「……どうして」
「ミリナさんばかり」
クラマも、静かに目を伏せた。
「……ミリナが、そんなことになってるのか」
クラマは拳を握る。
「だったら、私にも何かできることがあればいいんだけどね」
シャルネがクラマを見る。
「だから、一緒に来てもらってるんだよ」
「そうだったな」
クラマが小さく笑った。
「なら、しっかり役に立たないとな」
「それで」
コトネが涙を拭う。
「ギンジさんなら、何か知っているかもしれないんですね?」
「うん」
シャルネが頷く。
「長く生きてるから、神湯みたいな昔の話を知ってるかもしれない」
「それなら」
コトネは、すぐに立ち上がった。
「私も一緒に行きます」
こうして、三人にコトネを加え、ギンジのもとへ向かった。
「ギンジさん」
コトネが声をかける。
「ん?」
振り返ったのは、長い銀髪を持つエルフの青年だった。
整った顔立ち。
落ち着いた雰囲気。
長い年月を生きているとは思えないほど、若々しい。
そして、誰が見ても分かるほどの美男子だった。
「おや」
ギンジは、少し驚いたように目を細める。
「コトネか」
「それに……」
シャルネたちへ視線を向ける。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです、ギンジさん」
シャルネが頭を下げる。
「今日はどうしたんだ?」
穏やかな声だった。
そこで、シャルネがミリナのことを説明する。
呪い。
解呪師。
そして、神湯。
ギンジは、黙って話を聞いていた。
だが。
「神湯」
その言葉が出た瞬間、ギンジの表情がほんの少し変わった。
「……神湯か」
コトネが尋ねる。
「ギンジさん?」
「いや」
「久しぶりに聞いた名前だと思ってな」
ギンジは、少し遠くを見る。
「知っているんですか?」
シャルネが尋ねる。
「知っていると言えるほどじゃない」
「ただ」
「昔、似たような話を聞いたことがある」
桶さんの、ないはずの目が輝いたような気がした。
『マジか!?』
ギンジが桶さんを見る。
「お前も、その話が気になるみたいだな」
『そりゃそうだよ!』
『ミリナを助けるためなんだから!』
ギンジは、少しだけ笑った。
「そうか」
「それなら、俺が知っていることは話そう」
ギンジは、ゆっくり椅子に腰掛けた。
「かなり昔の話だ」
「まだ、この辺りにも今ほど温泉街がなかった頃のことだ」
「その頃」
「一人の旅人が、神湯を探して旅をしていたらしい」
「旅人が?」
コトネが聞き返す。
「ああ」
「その人は、いくつもの温泉を巡っていたそうだ」
「そして」
「ある温泉地で、不思議な話を残した」
「どんな話ですか?」
シャルネが身を乗り出す。
ギンジは、少し考えてから答える。
「神湯は」
「一つの場所にあるものではない」
「……え?」
全員が顔を見合わせる。
「どういう意味なんですか?」
コトネが尋ねる。
「それが」
「俺にも分からない」
「ただ」
「その旅人は、神湯を探す途中で、たくさんの温泉を巡った」
「そして最後に」
「こう言ったそうだ」
ギンジは、静かに言葉を続ける。
「神湯は」
「温泉を探す者の前には現れない」
「温泉を愛する者の前に現れる」
桶さんは、その言葉を聞いて黙り込んだ。
(……温泉を愛する者)
それは。
まるで、自分のことを言われているようだった。
ギンジは続ける。
「ただ」
「俺が知っているのはここまでだ」
「その旅人が」
「神湯を見つけたのか」
「どこへ行ったのか」
「それすら分からない」
シャルネが考え込む。
「でも」
「手掛かりにはなります」
クラマも呟く。
「温泉を愛する者の前に現れる……か」
桶さんは、しばらく黙っていた。
やがて。
『……俺』
『温泉、めちゃくちゃ好きなんだけど』
「知ってる」
シャルネが即答した。
『だよな』
その場に、少しだけ笑いが戻った。
だが。
桶さんは、すぐに真剣な声へ戻る。
(この話)
(何か引っかかる)
(神湯を探した旅人)
(いくつもの温泉)
(温泉を愛する者)
(……もしかして)
桶さんの中で、何かが少しずつ繋がり始めていた。
しかし。
まだ。
答えには届いていなかった。




