七十三話 神湯という可能性
セレナがミリナの呪いを調べ始めて、数日が経った。
毎日のように、セレナは湯けむり亭へやってきていた。
ミリナの状態を確認し、呪いを抑える。
完全に消すことはできない。
それでも、進行を遅らせることはできていた。
「今のところ」
「大きな変化はないわ」
セレナが言う。
「ありがとうございます」
ミリナは頭を下げた。
だが、セレナの表情はあまり明るくなかった。
「ただ」
「この呪いについて、少し気になることがあるの」
「気になること?」
シャルネが聞く。
「ええ」
「少し古い記録を調べてみたの」
セレナは、何冊かの古い本を机に置いた。
「この呪いに似た症例は」
「過去にも何度か記録されている」
「でも」
「どの記録も」
「通常の解呪では治せなかった」
「じゃあ」
ミリナが不安そうに聞く。
「どうやって治したんですか?」
「そこが問題なの」
セレナは、一冊の古い本を開く。
「記録によって内容が少し違う」
「でも」
「共通して出てくるものがある」
「それが」
「神湯」
「神湯……?」
ミリナが首を傾げる。
「ええ」
「神の湯」
「そう呼ばれている温泉よ」
その瞬間。
桶さんの中で、何かが弾けた。
『神湯!?』
思わず声が出た。
そして、その声はミリナだけではなく、部屋にいた全員へはっきりと届いた。
「……え?」
ミリナが固まる。
「今の……」
シャルネも目を見開く。
「……桶?」
そして、セレナは静かに桶さんを見る。
「やっぱり」
『……やっぱり?』
桶さんが聞き返す。
セレナは、少しだけ目を細めた。
「あなた」
「普通の魔道具じゃないのね」
『……聞こえてるのか?』
「ええ」
『マジかよ……』
桶さんは、しばらく固まっていた。
ミリナも驚いている。
「セレナさん」
「桶さんの声が聞こえるんですか?」
「今はね」
「あなたが驚いて声を出したから」
「それで聞こえたのかもしれないわ」
『なるほど……』
桶さんは少し考える。
『でも』
『なんで今まで気づいてたんだ?』
「最初から少し気になっていたわ」
「ミリナさんが」
「誰もいないところへ話しかけることがあるでしょう?」
「それに」
「あなたから受けた温泉の力」
「普通の魔道具では説明がつかない」
『……』
「だから」
「何かあるとは思っていた」
「でも」
「本人が話したくないなら」
「無理に聞くことでもないでしょう?」
桶さんは、少しだけ感心する。
『……あんた』
『結構いい奴だな』
「褒めてるの?」
『もちろん』
「そう」
セレナは、少しだけ笑った。
「それより」
「神湯の話よ」
『あぁ』
桶さんは、改めて本を見る。
「神湯って」
「本当にあるんですか?」
ミリナが聞く。
「分からない」
セレナは、正直に答える。
「古い記録には」
「確かに存在したと書かれている」
「でも」
「場所が書かれていないの」
「ただ」
「いくつかの記録には」
「大きな傷」
「病」
「呪い」
「それらを癒した湯として記されている」
『……』
桶さんは、じっと黙っている。
「どうしたの?」
セレナが聞く。
『……それ』
『俺の力と似てる』
「え?」
『俺が今まで』
『温泉を使ってやってきたことと』
『同じなんだ』
セレナの目が、少しだけ見開かれる。
「なるほど」
「だから」
「あなたは神湯に反応したのね」
『たぶんな』
『でも』
桶さんは、ミリナを見る。
『神湯が本当にあるなら』
『探す価値はある』
「桶さん……」
ミリナが桶さんを見る。
『俺は』
『今までずっと』
『湯けむり亭で温泉の良さを伝えてきた』
『その温泉で』
『ミリナを救えないっていうのが』
『正直悔しい』
桶さんの声は、いつもより静かだった。
『だから』
『神湯があるなら』
『俺は探したい』
セレナは、しばらく桶さんを見つめていた。
「……そうね」
「あなたなら」
「可能性があるかもしれない」
『本当か?』
「ええ」
「少なくとも」
「普通の人間が探すよりは」
「あなたが探す方が」
「意味があると思う」
「なぜ?」
シャルネが聞く。
「神湯が本当に存在するなら」
「それは普通の温泉ではないはず」
「あなた自身が」
「温泉と深く関係している存在なら」
「何か感じ取れる可能性がある」
『……』
桶さんは、静かに考える。
(神湯)
(そんなものが本当にあるなら)
(絶対に見つけてやる)
「でも」
セレナが、現実的な話をする。
「神湯を探すのは」
「簡単ではないわ」
「場所が分からない」
「記録も古すぎる」
「伝説として扱われているものも多い」
『それでもいい』
『探す』
即答だった。
ミリナが、少し驚いた顔をする。
「桶さん……」
『ミリナ』
『今度は俺が助ける番だ』
その言葉に、ミリナの目が少しだけ潤んだ。
「……はい」
こうして。
ミリナを救うため、新たな目的が生まれた。
神湯。
それが本当に存在するのか。
どこにあるのか。
まだ、何一つ分からない。
それでも。
桶さんは、初めて自分から温泉を探す旅へ出ることを決めた。




