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転生したら桶でした  作者: 玉葱将軍


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第五十一話 松の湯の主人


 その日の夜。


 松の湯。


 二階の一室で、エルフの男は一人座っていた。


 湯呑みに入った酒を口へ運ぶ。


 だが、味はほとんど分からなかった。


 頭に浮かぶのは、昼間の出来事ばかりだった。


「そんな小さな世界だけ見て生きていればいいと思います」


 ミリナの言葉。


「……生意気な小娘だ」


 そう呟く。


 だが、不思議と腹は立たなかった。


 いや。


 腹は立っている。


 ただ、反論できなかった。


 それが気に入らなかった。


 窓の外を見る。


 夜の木漏れ日温泉郷。


 昔はもっと賑やかだった。


 白樺の湯。


 柏の湯。


 松の湯。


 どこも客で賑わい、通りには笑い声が溢れていた。


 だが、今は違う。


 閉まった店。


 空いた建物。


 人の少ない通り。


「……」


 エルフは静かに目を閉じた。


 源泉の湯量が減り始めたのはかなり前だ。


 最初は少しだった。


 誰も気にしていなかった。


 だが、年々減った。


 少しずつ。


 確実に。


 父親も動いた。


 自分も動いた。


 原因を探した。


 何度も源泉へ向かった。


 周辺の地形も調べた。


 古い資料も読み漁った。


 今でも続けている。


 諦めたわけではない。


 今も方法を探している。


 だが、見つからなかった。


 そしていつしか――


「俺が守らなきゃならない」


 その思いだけが強くなっていった。


 木漏れ日温泉郷は自分が守る。


 松の湯は自分が守る。


 だから、他人の手を借りるのが嫌だった。


 余所者はもっと嫌だった。


 何十年も。


 何百年も。


 この場所を見てきたわけじゃない。


 そんな奴らに何が分かる。


 ずっとそう思っていた。


 だが、気付けば――


 白樺の湯とも距離ができた。


 柏の湯とも距離ができた。


 温泉郷の人々とも距離ができた。


 客も減った。


 昔から来ていた常連も離れていった。


 それも分かっていた。


 分かっていて、変えられなかった。


「……馬鹿だな」


 誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。


 昼間。


 あの桶は怒った。


 本気で怒っていた。


 そして、あの小娘も最後まで逃げなかった。


 昔の自分なら、あんな風に言えただろうか。


 しばらくして、エルフは立ち上がった。


 机の引き出しを開く。


 そこには、何十年も書き続けた記録。


 源泉の調査記録。


 湯量の変化。


 周辺地形の変化。


 自分なりに調べた全て。


 誰にも見せていない資料だった。


 それを見つめながら、深く息を吐く。


「親父……」


 誰もいない部屋。


 小さく呟く。


「俺一人じゃ無理だったみたいだ」


 夜は静かに更けていった。


 翌朝。


 白樺の湯。


 朝食を食べていたミリナ達の前に、見覚えのある男が立っていた。


「えっ……」


「ギンジさん!?」


 コトネが目を丸くする。


(ギンジ!?)


 桶さんは思わず心の中で叫んだ。


(待て待て待て)


(その見た目でギンジなのか!?)


 長い銀髪。


 整いすぎた顔。


 絵画から出てきたような美形エルフ。


(もっとこう……)


(エルフっぽい名前じゃないのか!?)


(ギンジってなんだよ!)


(近所の魚屋の頑固親父みたいな名前じゃねぇか!)


 ミリナが吹き出しそうになる。


「桶さん」


「失礼ですよ」


(いや、だってギンジだぞ!?)


(この顔で!?)


 シャルネも口元を押さえて肩を震わせていた。


「……何がおかしい」


 ギンジがじろりと睨む。


「い、いえ」


「なんでもありません」


 ミリナは慌てて首を振った。


 ギンジは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


 そして――


「源泉へ案内してやる」


 その一言で、場の空気が変わった。


 コトネが目を見開く。


「本当ですか!?」


「勘違いするな」


 ギンジはぶっきらぼうに答える。


「温泉郷を見捨てたわけじゃない」


「ただ……」


 一瞬だけ言葉を切る。


「確認したいことができただけだ」


 そう言って踵を返した。


 ミリナ達は顔を見合わせる。


 そして――


 木漏れ日温泉郷の本当の問題へ。


 ついに踏み込むことになるのだった。

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