第四話 桶、ついに喋る
一ヶ月が経った。
相変わらず――
湯けむり亭は今日も繁盛している。
今日は男湯の日。
湯気の立ちこめる浴場では、冒険者たちが好き勝手くつろいでいた。
「ぐあーっ、生き返る!」
「熱湯風呂空いたぞー!」
「おい、そこ滑るぞ!」
騒がしい。
実に騒がしい。
そして。
「ぷはーっ!」
ひとりの冒険者が、かけ湯もせず浴槽へ飛び込んだ。
ザバァッ!!
(だからやめろぉぉぉ!!)
俺は心の中で叫ぶ。
ここ一ヶ月で、色々なことが分かった。
まず。俺は“人を癒やす”ことで成長する。
軽傷を治す。
疲れを和らげる。
安心させる。
そういった行為で、“湯徳”というものが溜まるらしい。
そして、それが経験値代わりになっていた。
現在レベルは7。
……とはいえ、かなり上がりにくい。
毎日大量の冒険者に使われ続け、ようやく4レベル上がった程度だ。
(これ絶対、後半レベル全然上がらないやつだろ……)
だが、今の問題はそこではない。
「おい、その椅子使いっぱなしだぞー!」
「細けぇなぁ!」
(細かくねぇよ!)
床には散らばった桶。
戻されない椅子。
洗い場はびしゃびしゃ。
しかも浴槽へ飛び込む奴までいる。
この風呂屋。
決まり事がゆるすぎる。
もちろん、大衆浴場なのだから多少は仕方ない。
幸い、温泉の湧き量はかなり豊富だ。
湯は常に流れ続けているため、最低限の清潔さは保たれている。
だが。
(毎回ミリナの掃除めちゃくちゃ大変そうなんだよなぁ……)
閉店後。
ひとりで浴場を片付ける
ミリナの姿を、俺は毎日見ている。
だから気になる。
めちゃくちゃ気になる。
(絶対、風呂の決まり事を作った方がいいだろ……)
だが俺は桶。
喋れない。
伝える手段がない。
そんな風にモヤモヤしていた時だった。
ぴこん。
突然、桶の内側に光文字が浮かび上がる。
⸻
スキル獲得
《念話》
⸻
(……は?)
その直後。
閉店時間になり、冒険者たちが帰っていった。
騒がしかった浴場が静けさを取り戻す。
湯の流れる音。
床を洗う水音。
そして、ぱたぱたという足音。
「今日も疲れましたぁ……」
ミリナがほうきを抱えながら入ってくる。
いつもの閉店後だ。
俺は、さっきのスキル表示を思い出す。
(……念話ってことは)
試しに念じてみる。
(聞こえるか?)
「ひゃっ!?」
ミリナの肩がびくっと跳ねた。
きょろきょろと辺りを見回す。
「え……?」
(あー……やっぱ聞こえてる?)
「だ、誰ですか!?」
完全に混乱していた。
当然だ。
閉店後の浴場には誰もいない。
残っているのは。
湯気と。
桶だけ。
ミリナの視線が、ゆっくり俺へ向く。
「……うそ」
(いや俺もびっくりしてる)
「えっ」
(たぶんこの桶)
「えええぇぇぇっ!?」
ミリナが飛び上がった。
持っていた掃除桶を取り落としかける。
「しゃ、喋っ……!? えっ!? えぇっ!?」
(正確には念話っぽい)
「ね、念話……?」
ミリナは恐る恐る近づいてくる。
そして、そーっと俺を指でつついた。
(つつくな)
「ひぅっ!」
びくぅっ! と肩を震わせる。
だが逃げはしなかった。
怖いというより、混乱の方が大きいらしい。
「ほ、本当に喋ってる……」
(俺も驚いてる)
「な、なぜ急に……?」
(たぶんレベルが上がったからだと思う)
「れべる……?」
ミリナが小首を傾げる。
(あー、悪い。俺の故郷の言葉だ)
「故郷……?」
(えーっと……力の位、みたいなもんだな)
「なるほど……?」
完全には分かっていない顔だった。
だが、一応納得はしたらしい。
なので俺は、この一ヶ月ずっと言いたかったことを口にする。
(混乱してるところ悪いんだが)
「は、はい!」
(風呂の決まり事を作らないか?)
「決まり事……ですか?」
(まず、湯船に入る前にちゃんと体を流してほしい)
「はい」
(桶と椅子は使ったら戻す)
「はい」
(浴槽へ飛び込まない)
「はい」
(あと閉店後のお前の掃除が大変そうなんだよ)
その瞬間。
ミリナが、きょとんとした。
「……見ていてくれたのですか?」
(毎日見てるからな)
風呂屋だし。
桶だし。
するとミリナは、ふふっと小さく笑った。
「じゃあ明日、“湯けむり亭の決まり事”って貼り紙を作ってみます」
(おぉ、それいいな)
「ふふっ……なんだか本当に、湯けむり亭の主みたいですね」
(やめろ。俺はただの桶だ)
そう返した瞬間。
ステータスの奥で、何かが淡く光った気がした。
⸻
加護:《???》
⸻
(……なんだ今の)
だが光はすぐ消え、
再びいつもの表示へ戻ってしまう。
「回復桶さん?」
(……いや、なんでもない)
湯気が静かに漂う。
今日も風呂屋は、平和だった。




