第三章 ディス・カントン・アールガウ巡礼 24 好奇心は猫を殺す "Curiosity killed the cat." 6 クルム(インタークルム)→背骨
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山裾から森の深部に至る。顔を上げるとアールガウ山の稜線に陽が沈もうとしていた。川を渡るという話だったがどうなったのだろうか。確かめようにも列は縦に長く伸び先頭は遠目にも確認することはできない。まさかこのままスピーナドルシーへ行くということはないだろうが。そのまま上流まで行き、そこで野営するのだろうか。
相変わらず歩みは牛歩のようだ。何をそんな荷物があるのかわからないが従者たちが荷を背負い、遙か先に馬に乗るメンチャカ氏の四方は傭兵で守られている。その後に従者が続きそしてさらに後方に自分のような巡礼者が数人ついている。前を行く者の足元を見ながら一歩一歩足を前に進める。進む速度は遅いのでついていくのは容易だが目的地もわからないのでいつまで歩けばいいのかわからないのは苦痛だった。
突然前方が止まった。考え事をしながら歩いていたのでつんのめり前の男の背にしたたか顔をぶつけてしまった。
「急にとまらないでくれよ」
非礼をわびることなく前の男に文句を言った。男はうんざりした顔で振り返り「前が止まったからだ。文句なら先頭に言え」と言った。彼もまた自分と同じ巡礼者でメンチャカ氏と共に進む数少ない仲間であったが、仲間意識は低く結束力はないに等しい。第一彼の名前さえ知らないのだ。前の方で傭兵たちが何か叫んでいる。後方の自分たちには聞こえないがどうやら今日はここで野営するということらしい。なるほど進んでいくと彼らが止まったところは開けた平地で我々が集まっても十分なスペースがあった。慣れない山道でひどく脚が痛かったし、そろそろ陽が暮れるのでここで休めるのはありがたかった。各々自分のスペースを確保し野営の準備をする。人が密集しているのでそれだけで安心感があった。単なる思いつきでしかなかったが自分は少し離れた木の下に居場所を作った。木の下は根が血脈のように伸びその根と根の間の窪地に一人分のスペースを見つけた。先ほど前を歩いていた男が根を挟んで隣に同じように寝床を作っていたのが少し気に触ったが、余所へ行けなどというわけにもいかず黙っていた。正確には疲労困憊で話などする気が起きなかったからなのだが。巡礼者はメンチャカ氏を中心に皆遠巻きに場所を見つけているので仕方がなかった。
傭兵が中央で大きなたき火を始めた。炎が離れていても頬を焦がすほどだ。従者たちが煮炊きを始めている。メンチャカ氏は従者に指示を出し鶏とヤギを〆て豪勢な夕食と酒盛りが催された。宴はいつまでも続いていたが早々に辞すと自分の場所へ戻った。あまり積極的にメンチャカ氏たちと連む気にはなれなかったからだ。
夜半過ぎ、広場の中央で、大きな叫び声が上がり騒がしくなったために眠りを妨げられた。あたりは真っ暗で、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなったが、程なく野営地で眠ったことを思い出した。まだ喧噪が聞こえてくるのでこんな夜中まで乱痴気騒ぎが続いているのかと思ったが、ぼんやりとした頭で焚き火を見ると一気に覚醒した。明らかに殺気をはらんだ男たちが人を切りまくり暴れているのが目に入ったからだ。それは頭から頭巾を被っており見慣れない広刃の刀を持っていたので一目で賊だとわかった。木の影になるところで寝たのが功を奏したらしい。焚き火近くの宴会をしていたメンチャカ氏の取り巻きや従者たちが一番に狙われたらしく数人が血を流して倒れ込んでいる。急いで腰を浮かせた。目の端でメンチャカ氏が絹の高そうな寝間着のまま四方を傭兵に守られながら逃げ出すのが視界に入った。自分もそれに追従することにする。荷物をまとめている時間はない。すぐにでも賊の矛先がこちらに向くかもしれないからだ。ふと、隣で寝ていた男を見ると、胸を刺され目を見開いて死んでいた。取るものも取りあえずその場から逃げるようにメンチャカ氏の後を追った。
手足が震え歯の根が合わない。隣で死んでいた男とは寝床はほんの少ししか離れていなかった。まったく賊の気配も感じず自分は寝ていたわけだ。もしかして死んでいたのは自分だったかもしれない。そう思うと震えは止まらなくなった。
戦いに加勢するなどという考えは微塵も浮かばなかった。いかに自分に被害なく生き延びるかだけを考えて行動する。自分の身が一番なのは当たり前のことだろう? ザザは開き直り逆に仲間を助けようとしない傭兵に憤った。内心では怒りで恐怖を糊塗していることはわかってはいたが止めることはできなかった。
メンチャカ氏たちも傭兵もよほど慌てていたのか皆徒歩でしかも駆け足で野営地から逃げだし森の東側へ進んでいた。どこかを目指しているわけではないだろう。他の者もそこに追従する。賊たちは野営地に留まっているらしく追ってはこないようだ。だが皆止まることなく駆け続ける、恐怖に追い立てられ、賊が追ってきていると思い込んでいるのでろくに休憩などとれるはずもなくひたすら進む。
そんな先頭を行くメンチャカたちに追いつき苦言を呈する者がいた。ザザである。ザザは傭兵たちを激しく責め立てた。
「なぜすぐに逃げ出した? 彼らをあんたらなら助けてやれたはずだ」
近くの皆も小さな声でそうだそうだと加勢した。外野の援護射撃で気を大きくしたのかザザは傭兵長にかなり強い口調で詰め寄った。傭兵長はそれを無視した。あたりはまだ夜があけておらず森の中は薄暗い。
「あんたらは我々を守る義務がある。違うか?」
ザザの言い方に腹が立ったのだろう、傭兵長は顔をあげ睨みつけた。
「違うね。俺はあんたに雇われたわけじゃない。メンチャカ氏を守るのが仕事だ。おまえを守る義務なんてこれっぽっちもないね。無料で守ってもらおうなんて虫が良すぎるとは思わんか?」
今度はザザが顔を真っ赤にしている。
「それじゃ私たちはただの捨て駒じゃないか! 何のためについていってるんだ!」
ザザは叫ぶように言った。皆が注目する。
「そんなことを言っても俺は知らんよ。金魚の糞よろしくついてきたのはそちらさんだろ」
傭兵長は続ける。
「もしあんたが俺を雇いたいというなら話は別だがな。メンチャカ氏から貰うはずの成功報酬と違約金、さらに新しい契約金を払ってくれるなら喜んであんたを守るぜ」
ザザがそんな大金を払うことができるはずもなく、彼は押し黙ってしまった。
「そんなに仲間想いならあんたがあの場に残って賊と戦えばよかっただろう。あんたも逃げてきたのなら同じムジナだ。自分を正当化して他人に当たる姿は醜いぜ」
ザザは思ってもみなかった指摘を受け声を失った。ザザは明らかに傭兵を下に見ていたからだ。
「だが後方はあまりに危険すぎる。襲われたらひとたまりもない。せめて中程に入れてくれないか」
ザザは話をすり替えた。ザザは決して他人に謝ったり感謝したりはしないのだ。傭兵長は舌打ちをもらした。
「さっきも言ったが私たちが嫌ならさっさと先へ行けばいい。無理に一緒に行かなくていいだろう。誰も一緒に来てくれなんて頼んではいないからな、だが中段には入らないでくれ、邪魔だからだ」
今度はザザが舌打ちをもらした。ザザも一緒にいた方が安全であることぐらいは理解しているのだ。誰もが自分が犠牲になることはごめんだが、誰かが犠牲になっている間に逃げるつもりなのだ。後方にいたら一番に襲われるのは自分たちだ。
実際に落ちた橋の所から単独の巡礼者たちは川を渡り先へ行く者がほとんどだった。ザザも一緒に行くべきかと迷ったのだが自分の目から見て彼らが生き残れるとは思えなかった。だからメンチャカ氏の方についていくことにしたのだ。
傭兵と話すために苦労してわざわざ先頭まで行ったのだが何も言い返せずすごすごと後列に引き返した。
ザザは最悪、メンチャカ氏の馬車に使っていた馬四頭を混乱に乗じて盗むつもりだった。やはり馬は必要だろう。今朝、商人風の男に馬に乗せてくれないかと頼んだが断られたことをまだ根に持っていた。どうしてもスキヴィアスに行かなくてはならない。ウルバヌス教は自分に生きる道を示してくれた。ただひたすら祈り魂の救済を切望した。巡礼に出てスキヴィアスにたどりつけさえすればそれが実現すると確信している。他人を陥れてでもスキヴィアスに辿り着かなければならないのだ。自分は使命があり生きる価値がある人間なのだ。多少の犠牲はやむを得ないだろう?
人を騙して金を稼いできたが、ウルバヌス教はそんな自分を許してくれた。稼いだ金は全て教団にお布施した。
メンチャカ氏は傭兵たちを急かした。だが傭兵長が言いにくそうにメンチャカ氏に進言する。
「荷を取りに戻らなければなりません。特に馬は必須です」
傭兵長はメンチャカ氏にそう言った。
「いらん、そんなもの賊にくれてやればよい。私はこれだけ持っていればそれでいい」
黒い布に包まれたアーティファクトだけは何があっても手元から離さず持ったままだ。
「それに今頃賊が全て持ち去っているだろう、違うか、アレック?」
「しかしメンチャカ様、このまま丸腰でスピーナドルシーへ向かうのは無謀です。馬はこの先絶対に必要です。それに交渉の余地はあると思います。後ろの巡礼者達を奴隷として賊にくれてやれば多少の荷物は取り戻せるはずです」
メンチャカ氏は傭兵長の提案を吟味している。
「タダでくれてやるのも惜しいか」
「このまま行っても逃げ切れるとは思いません。奴らは馬で追ってくるでしょう。じきに追いつかれます。ある程度の武装と準備は必要です。あわよくば賊がどこかへ行っているかもしれません。とりあえず戻ってみて様子をうかがってみてはいかがでしょうか?」
「わかった、戻ろう」
メンチャカ氏は言った。




