第三章 ディス・カントン・アールガウ巡礼 21 好奇心は猫を殺す "Curiosity killed the cat." 3 クルム(インタークルム)→背骨
「オジェ、あんたの判断に文句はないんだが…、なんていうかな、私も似たところがあるんでわかるんだが」
私は森の中を進みながらオジェに言う。
「好奇心は猫を殺すって言ってな、厄介ごとに首を突っ込むと身を滅ぼすって話だ。まぁ野営地をどこにするかの最適解は私にもわからないけれど。老婆心だけどな、気をつけたほうがいい」
「違いないね、だがメンチャカを放っておいて先に進むのも気持ち悪いだろ」
「確かにな、まぁ私も同じ選択をしただろうが」
「それに薮をつついて蛇をだすともいうだろ、損することもあるが宝物を手にすることもある、あんたもわかるはずさ」
今回は蛇が出なければいいが、と思ったが言わないでおいた。
「ここを見てくれ」
私たちが話していると、ドメニカリが馬を止めて地面を調べ、我々を呼んだ。場所はもうすぐ森に差し掛かろうかという荒野だ。
「不可解だな、メンチャカたちはここまで来てまた森へ引き返しているようだ」
「それはどういうことだ?」
オジェは訊いた。
「襲われた形跡はないが、ここまで逃げてきて森に戻る必要があったのか? なぜ全員戻る必要があったのかわからんね」
ドメニカリでもわからないこともあるらしい。
「森に行けばいずれわかるさ」
オジェは陽気に言った。
森の中は背の高い杉が多く、低木が少ないが密集していたので雨を遮ってくれた。頭上を見上げても木の頂点は見えない。長年の雨で土を押し流しているのだろう、根も多く露出しかなり進みづらい。程なくして野営地にできそうな平らな場所を見つけた。平らとは言ったが木の根が張り巡らされ、下草はたっぷりと雨水を含んでいた。草を払いスペースを確保すると、ドメニカリは枝を弛ませて頭上を覆う庇にした。水滴が盛大に頭の上へ降ってくる。その下でドメニカリは小さく火を起こす。木はどれも湿っていて煙ばかりでてなかなかつかないのでその間に私は野営の準備をする。となりでオジェも馬の背の荷を解いて野営の準備を進めている。
「島で何か収穫はあったのかい?」
私はオジェに話しかけた。
「ウエルカムランチは手に入らなかったが、織物や香辛料を安く仕入れることができたよ。本土で売れば数十倍の値段になりそうだ。それに少しだけだがいいものを手に入れた。夜に披露するよ」
私はその気がないのでなにも仕入れておらず手ぶらの状態なので、オジェは商人としてかなり優秀なのがよくわかる。
ようやく炎が安定すると我々は火を囲み人心地ついた。
「火を焚いても大丈夫なのか?」
「もうこちらに人がいることはバレているだろうし、雨で暗くて何も見えないからな、灯りは必要だ」
ドメニカリはそう言いながら荷物から鍋を取り出して夕食の準備を始める。濾過した雨水を沸かし、湯が沸くとそこに途中で摘んだ甘草と乾飯を入れ塩で味を整えた。できあがった粥のようなものを器に入れて皆に配る。
「卵があれば幾分ましになるが、味は期待しないでくれ」
ドメニカリはそう言ったが、腹が減っていたので胃にするすると落ちていった。程よい塩味と苦味、ほのかな甘味が疲れた体に染み込んでいく。あっという間に食べ終わってしまった。他の皆も無言で食べている。時々、水滴が焚き火に落ちて、じゅっ、と音を立てて水蒸気が上がった。
食後は特にやることはないのだが、私たちが一服していると先ほど言っていたようにオジェが荷物から小さな袋をいくつか取り出した。
「なんだい、それは?」
「お楽しみさ、レッドマンのルーズリーフ、オリバーツイストのビットって言ってピンとくるか?」
「もちろん!」
私は鼻息荒く答えた。どれも代表的な噛みタバコのブランドだ。噛みタバコは頬と歯茎、もしくは上唇と歯の間に煙草の葉を挟み、噛むことによってニコチンや風味を摂取する煙草である。その後、口の中の唾や痰は吐き出す。
オジェが袋から取り出したものは四角い塊になったものだった。
「これはこの島でしか手に入らないプラグっていう希少品だ。ほとんどの修道院は自分たちが使う分だけ自家栽培しているそうだ。それを少し分けてもらった」
オジェは話しながら塊をナイフでチーズを削ぐようにカットする。
「煙草の葉を四角いレンガ状の塊に押し込めたものをプラグっていうんだ。本国じゃ人気がないから入手することはできないけどな」
「口上はいい。早くくれ」
「そう焦るな、前置きで気分を高めるのもまた楽しいもんだぜ」
そう言ってカットした煙草の破片を私は受け取った。私はそれを歯に挟み一噛みする。ガツンという衝撃が来る。いつも吸っているタバコとは比べ物にならないくらい直接ニコチンと風味が届く感じだ。そう濁りがなく濃いという表現が一番近いだろうか。私はしばらく咀嚼した後、唾を吐き出した。オジェも同じように唾を吐き出す。スパグスは参加せずに火の番をしており、ドメニカリはスパグスと交代で寝ずの番をするため今はさっさと仮眠をとっている。
「修道院の連中もこうやって夜な夜な隠れて下品に唾を吐いているわけか」
私たちはそう言って笑った。
「こっちも試してくれよ。こっちはポルポだ」
それはラペやスナッフと呼ばれる嗅ぎタバコで、葉を細かくすり鉢などで砕き、鼻腔内に吸い込むことで摂取する。これもニコチンをすぐ摂取できフレーバーが長く持続するのが特徴だ。
「修道院の連中はヘルバ・レジーナと呼んでいた。女王のハーブって意味らしいな」
嗅ぎタバコはとても細かいものから粗いものまで、また乾燥したものや湿ったものなど様々な質感のものがある。これはかなり細かいものなので、辛口なのかもしれない。ひとつまみ程の煙草の葉を手の甲にこぼれ落ちないように注意しながらのせて、私は鼻から吸い上げた。
「熟成させるのに数年かかるそうだ。それに特徴がわかるか?」
私はオジェの言葉はほとんど聞こえていなかった。これは中毒性がある代物だ。頭がぼんやりする。
「敢えて香りや風味を添加していない本来の風味を楽しむ高級品だ。本来ならスパイス、ピカン、メンソールなんかの香りをつけて他にもコーヒー、チェリー、オレンジ、シナモン、ミントなんて味をつけるんだが…」
「オジェ、これを譲ってもらうわけにはいかないか?」
私は少し怪しい呂律で言った。
「もちろん、同業者価格で譲るさ」
なんだかまんまとのせられた気がしたが、希少なものが手に入ったのだ、よしとしよう。
翌日、早朝。雨はすっかり上がっていた。私は近くの川で顔を洗った。支度ができればすぐに出発するということだ。一応ここまで来たのだからメンチャカのいる森の奥をめざすということに決まった。その後合流するなり何なりしてスピーナドルシーを目指しても時間的余裕はあるだろう。そんなことを考えながら川面を見ていた。川上を見ると川がカーブする所が流れがゆるい瀞場になっていて、淵までは深くはないが底は見えない。もし魚がいればどうにかして捕まえることができれば朝食にありつけるなと思う。暗い瀞場は鏡のようでさざ波ひとつないのだけれど、そこに何かが流れついて淀みでぷかぷか浮いたり沈んだりを繰り返している。私は川縁に近づき落ちていた棒でそれに引っ掛け手元に手繰り寄せた。初めそれは太い木の枝かと思ったが人間の腕だった。所々火傷のような引きつった跡が残って爛れている。焦げたというよりはもっと高温で溶けてしまっているような印象を受けた。
急いでそれを持ち帰り皆に見せたところ、入れられた刺青が傭兵団のもので、ドメニカリがよく知る男のものだった。
「アレック…」
ドメニカリはそうつぶやいた。
「こいつとはバクーからの付き合いで腐れ縁だった。俺がこうなっていた可能性もあったわけだ」
ドメニカリは腕を河原に埋めた。
「煙草をくれないか?」
ドメニカリが言ったので私は一本火をつけて渡した。ドメニカリは一口吸うとそれを死んだ仲間の墓に刺した。煙が曇天の空に一筋上がり、消えた。私たちはタバコが燃え尽き灰になるまでじっとしていた。
私たちはメンチャカたちがどうなったのか確かめるために北上することにした。
馬はその場に踏みとどまり前に進むことをためらった。どうも近づきたくないらしい。野生の勘というやつだろうか。あたりは必要以上にしんと静まりかえっている。
「静かすぎるな」
ドメニカリがささやくように言った。鳥のさえずりなどそういった音が何も聞こえない。すべての動物がどこかへ行ってしまったかのようだ。私たちは仕方なく、近くの木の幹に馬をつなぎ止めた。そこからは徒歩で進んでいく。
息を飲むとはこのことだろう。開けた場所に出た我々を待っていたのは死体の山だった。その凄惨な様子は現実離れしていて逆にリアリティを欠いていた。ほとんどの死体が原形をとどめていない。まるで溶けてしまっているかのようにドロドロになっている。黒焦げの死体もあり、それはまるで夢の中の出来事のようだ。しかし、それが夢でないことはわかっている。私の手足はしびれ、肌は総毛立って私はその場で凍り付いたように身動きができないでいた。
敵味方問わず、すべての人間がひどい姿で死んでいた。
「生存者はいないか?」
私は聞いたがそれはまったく期待できないことはわかっていた。ドメニカリもスパグスも首を振るだけだった。
「これは目論見が外れたのかもな」
ドメニカリがぼそっと小声で言った。賊もかなりの損害を出しているようだ。
「これはやはり(アーティファクトファクト)か?」
私はオジェに訊いた。
「そのようだな」
オジェは凄惨な様子にフードの口元を押さえている。
ドメニカリは死体を調べていた。顔見知りも多いのだろう、かなり辛そうにしている。死体の検分はドメニカリに任せ、スパグスは辺りの様子を見て回っている。最も激しく燃えて地面まで黒く焦げて深くえぐれてしまっている場所をスパグスは気になるのか入念に調べている。口を押さえて息を止めているようだ。しばらくすると離れてみていた私とオジェを手招きで呼ぶ。
「ドメニカリも来てください、できるだけ息をしないように口を覆ってください」
私は首に巻いていた布を口元まで押し上げ彼に近づいていった。
スパグスが調べていた場所のえぐれた底に黒ずんで鈍い光を放つ見たこともない物体が半ば埋まるように先端をのぞかせている。大きさは二十センチにも満たない、槌のようなものだった。
「超古代からの贈り物をメンチャカは使ったようだな」
オジェはとんでもないことをしやがる、と小さくつぶやいた。




