第三章 ディス・カントン・アールガウ巡礼 20 好奇心は猫を殺す "Curiosity killed the cat." 2 クルム(インタークルム)→背骨
森は夏の終わりの光を受け、青々と生命力に溢れた木々が生い茂っている。色濃くむせるような緑の匂いがする。馬に乗っていても額や首元を汗が伝う。時折、腐葉土の積もった地面で馬が脚をとられバランスを失いヒヤッとさせられたが幸い落馬はしなかった。馬でもなかなかの難所だ、さすがに坂や道が険しくなってくると我々は馬を降りて引いて進む。大集団で多くの荷物を持つメンチャカはここを越えるのはさぞかし大変だったことだろう。このまま進むと大きな吊り橋を渡り沢を越えて対岸に渡り、島の東の海岸を目指すことになる。森を北上せずにすぐに沢を渡り東へ行くという選択肢もあるそうだが、そちらはあまり使われていないため悪路で延々と吸血ヒルの住む沼地を進まなくてはならないらしい。馬を持つ者なら尚更そのルートは避けて通った方が良いだろう。
山道を進んで行くと沢はV字谷となりそこに吊り橋がかけられているのだが、たどりつくとその橋は落とされており、川を渡ることができなくなっていた。明らかに人為的なものだった。傍には馬車や荷車が打ち捨てられている。メンチャカたちも橋は渡れずそのままさらに森の奥へと進んだようだ。どうにか渡河できないかとドメニカリが単身谷底に降りてみたが人だけならまだしも馬がいては無理なのは明白だった。賊はメンチャカたちを襲うために橋を落としたのだろう。ドメニカリによれば何人かは崖を降り渡河した形跡が残っているとのことだ。メンチャカと迎合しない単独の少数の巡礼者たちだろうか。
この先は元来スキヴィアスに向かう道ではなくアールガウ山へ向かう道である。いや道という道はない。足元を見るとメンチャカたちも森の奥へ向かったようだ。私たちも行かざるを得ないので森の奥へ入る。鬱蒼とした森の中は陽の光が届かず暗い。腐葉土の地面は柔らかく歩きにくく獣道のように細く曖昧で薮の中を進むようでいくらも進めない。馬も不快なのか神経質そうに何度も首を振り鼻を鳴らした。
「今日中に目的地に着くのは絶望的か?」
私は前を行くドメニカリに訊いた。
「おそらく。だが野営するにしても平らな場所がなさそうだから川を越えてからだ」
ドメニカリは振り返って言った。
「賊の狙いは遠回りさせて疲労させることか?」
「それもあるが、自分たちの襲いやすい場所へ誘導しているんだと思う。それと先ほどの橋の所で隊を分断させるつもりだったんだろう。川を渡った連中は今頃殺されているか捕まっているだろうな。大集団だから一人残らず捕まえるのが難しいと判断したのだろう」
ドメニカリが言った。洞察は的確だが慈悲はない。希望的推量がないので期待や希望といった感情は抱けない。私は川を渡った者たちの無事を祈るばかりだ。
あたりは見通しが悪く常に緊張していなければならなかったが幸いなことに襲撃を受けることはなかった。馬車を捨てたメンチャカたちは徒歩だがペースは思ったよりも速そうだ、とドメニカリは言った。痕跡だけで進む速度までどうしてわかるのかは疑問だったが私の知らないサインのようなものがあるのだろう。
数時間渓沿いに進むとやがて渓が浅くなり、ようやく馬をつれても川を渡れそうな場所を発見した。私たちはそこから対岸に渡ることにした。ドメニカリが再びさらに森の奥まで入って行った。しばらくすると戻ってきて、
「メンチャカどもはここで川を渡ることはせずにさらに森の奥へ進んだようだ」
ドメニカリの痕跡を探す能力は確かなので奥へ進んだのは間違いないだろう。彼らは大所帯なので通れば多くの足跡が残るし枝に体が触れ折れる。薮は切り開いているし痕跡を残さずに進むことは不可能なのだそうだ。
メンチャカたちはここに気がつかなかったのだろうか? 後ろのスパグスに訊くとおそらく日が暮れかけていてとりあえずは野営し、翌日に川をもっと上流から渡るつもりだったんじゃないでしょうか? と言った。なるほど、ここでは野営するには不向きなのでそれはあり得るなと私は納得した。
川は太陽光で小魚の群れがキラキラと輝き、透明感があった。私たちは十分用心しながら渡河を始めた。
馬とともに川に足を入れると苔と土が浮き上がり、透明な水が濁った。川の流れは思ったより速く流れに足を取られそうになりながら進む。
「石の上はぬめっているから避けて通れ」
先頭のドメニカリが言った。川の流れる瀬音が耳にやけに大きく響く。我々は並足の半分ほどの速度で進んだが、森の中を行くより格段に早かった。
「対岸へ上がった先、道がなく藪が濃すぎて馬で行くことができん。このまま川を下る」
ドメニカリが言った。私たちは対岸には上らずにそのまま川の中を南下していく。川は浅いがひどく滑るしなにより冷たかった。しばらく進むと足の感覚がなくなるほどで、私は我慢できず騎乗したが不安定でほどなくして再び降りて手綱を引いた。馬も大人しく従ってくれている。問題はどこで左側の岸に上るかだが、川は元橋があった場所へ着く前に進行方向左へ分岐しており、私たちはそちらへ入っていくことにした。支流のようで川幅は広く歩きやすかった。広い河原に出たので、支流から河原へ上がるとドメニカリか人がいた痕跡を見つけた。
「賊か?」
「いや、人数的に壊れた橋から川を徒歩で渡ってきた連中だろう。北上してここに来たらしい。道に迷ったか誘導されたのかいずれかだろう」
河原には焚き火の跡が残っている。
「我々もここで休もう」
ドメニカリが言った。私たちは濡れた修道衣を岩場に干し、乾いた下着に着替えた。スパグスが乾燥した流木を集め火を起こす。素足をたき火にかざす時がこの旅の中で最も幸せを感じるときだった。
我々はお茶を入れ少し遅い昼食をとった。クルム修道院で食料を少し分けてもらったので、私たちはパンを食べ新鮮な野菜を丸かじりし、オリーブのピクルスをつまんだ。冷えた身体は焚き火で温まった。空を見上げるとあたりは薄暗い。空気が湿った匂いがする。急に空模様が怪しくなり分厚い雲が海の方角から流れてくるのが見えた。
「一雨来そうですね」
スパグスが言った。
「そうだな。午前中には森を抜けたかったんだが、ニ、三時間の遅れだな」
ドメニカリが続けて言った。
「このまま川沿いを行こう。ここを抜ければスピーナドルシーは目の前だろう」
ドメニカリはそこで黙って眉間に皺を寄せた。
「しっ」
私が話そうとしたのを制した。
鳥の声に似せたクラック音が聞こえた。指の関節をならしたような音だ。
「賊が仲間と連絡を取っているのかもしれないな。こちらの動向をうかがっているのか」
それを訊き、我々は腰を上げ出発した。
左手、森の隙間からアールガウ山の稜線がみえる。すぐに海岸へ出られるわけではないようだ。支流の周りは青々とした緑で覆われ始め、川の流れは隠れて音だけでそこに川があることがわかるようになった。緩斜面でひどく歩きにくかった。土が緩く、足を取られるので生えている木の根をつかみつつ、前へ進んでいく。馬は重いので脚にも負担がかかりあまり良いとはいえないだろう。
「ついに降ってきやがったな」
ポツポツと雨が頬を打ち、すぐに本降りとなった。私はフードを被った。せっかく着替えたのだがまたずぶ濡れになりそうだった。歩くうちに川から離れ、あたりは木が少なくなり、急な坂が続いた。
ようやく森を抜けて、荒野に出た。遠く時化た黒い海が見える。前方に小高い丘がみえる。築山のようだ。視界が悪くはっきりとはみえなかったが、私たちはそれを目印に進んでいった。
それは築山などではなかった。近づくにつれそれを認識した私とオジェは言葉を失った。無数の死体が積まれたものだったのだ。その凄惨さに私たちは戦慄した。スパグスとドメニカリは押し黙りつつ死体を検分している。
「先行していた巡礼者たちのようだな。賊と小競り合いになり命を落としたようだ」
ドメニカリは言った。
「傭兵はいないようです。それにしても酷い」
スパグスが補足した。
「何のためにこんなことをしたんだ?」
オジェが言った。
「そりゃメンチャカたちがここを見つけた際に脅かすためだろう、次はお前たちだってな」
ドメニカリは言った。地面が流れ出る血で黒い池ができている。
「まったく糞だな」
オジェは吐き捨てるように言った。
「賊は皆馬に乗っていた。そのまま北へ向かっている。もし北からメンチャカたちがここを通過したなら見つけたはずだが、彼らが南へ向かった痕跡がない」
ドメニカリが言った。
「まだここに来ていないということか」
オジェは言った。
「おそらく。それよりこの雨だ。我々もそろそろ野営地をみつけなきゃならん。先へ進むか?」
オジェがこちらを見たので私は少し逡巡したのち、
「このまま放っておくわけにはいかないだろう、弔ってやりたいのだが」
時間が押していたし皆が渋るかと思ったのだがそんなことはなく私の提案にオジェたちも全員同意してくれたので私たちは手分けして大きな穴を掘り死体を埋めた。
「燃やすのは無理か?」
「この雨だしな、時間もかかるし難しい。まぁ狼どもに食べられるよりマシだろ」
きっと狼なら穴を掘り起こしてしまうだろうが私たちにできることはこれぐらいしかなかった。自己満足といえばそうかもしれない。ただ見えないように蓋をして隠しただけと言われても反論できない。
「そろそろ野営地を探したいんだが、このまま南下すればスピーナドルシーだ。スキヴィアスの閉門には到底間に合わん」
ドメニカリが言った。
「選択肢は?」
オジェが聞く。
「一つはここに留まる。開けた場所なので野営地として使える。現に巡礼者たちはここで野営しているしな。まぁ襲われる確率は高い。あとは先程の河原だ。見通しがいいので賊に襲われても対処のしようがある。だがこの雨だと水嵩が増しているだろうし、シェルターを作るには不都合だな。材料となる木々を運ばなくちゃならない。一長一短だな。あとは敢えてここから北上して森に入る。森なら野営地には困らないだろう。雨も遮ってくれる。だが賊には狙われるだろうな。どの選択肢もあまりおすすめできないがオジェの旦那が決めてくれ」
オジェは顎に手を当て考えたのちに、
「北へ向かうか。河原に戻るのも億劫だし、ここは死者には申し訳ないが薄気味悪い。北に行けばメンチャカたちがなぜここを通過していないかもわかるだろ」
私たちはオジェの決断を受け入れ、馬に乗り北を目指すことにした。




