第三章 ディス・カントン・アールガウ巡礼 16 ラウフェンブルク→ブリュッグ→クルム(インタークルム) 1
十 ラウフェンブルク→ブリュッグ→クルム(インタークルム)
私たちはラウフェンブルグを逃げるように出たあと、ただひたすらに南へ向かって馬を走らせた。追っ手が現れるイメージに常にさいなまれ私は何度も後ろを振り返る。今にも闇を引き裂き松明をともした追っ手が私たちを捕まえようと迫ってくるのではないかと。下手をすると殺されてしまうかもしれない。しかし今のところは追っ手の気配はなく静かなものだ。相棒であるスパグスはそんな焦る私には何も言わず従ってくれた。
各修道院には早馬や早鴉といった緊急で他の修道院と連絡を取り合う方法があるという。そのため私たちは次のブリュッグを素通りし、クルムの修道院を目指す。
ブリュッグの修道院は思ったよりも近く、すぐについたのだが側を通ることは避け遠回りをした。どのみち門は開いていないだろうし、たとえ緊急で中に入れてもらえたとしても何があったかを詮索されるのも避けたかった。ラウフェンブルグから連絡が行っているかもしれないと危惧したからだ。海辺に建つブリュッグを崖の上から見下ろしたが、動くものはなく暗く静まりかえっていた。
ブリュッグから目的のクルムまではコル・デュ・アスパンとよばれる峠を越えれば後は一本道のようだ。深夜だが月が出ていて進む分には問題ない明るさだった。野宿も考えたが、こんな状況で眠れるはずもなく、それならば少しでも先へ、少しでも安全な場所へ進みたかった。それでどれだけ距離が稼げるだろう。頭の中では微々たるものだろうとわかってはいたが私はいてもたってもいられなかった。
馬も私の焦りを敏感に感じ取ってくれているのか懸命に走ってくれた。
小川のほとりで馬を休ませ少し休憩をする。私たちは馬を大木につないだ。ついでに私の側頭部の傷をスパグスに見てもらう。後頭部も側頭部も腫れているが出血などはなく、それほどひどくはなさそうだ。傷を綺麗に小川で洗い流し、濡れたタオルを当てて冷やしておくぐらいしかできることはない。辺りは川のせせらぎと虫が鳴く音が響いている。馬は大量の汗をかき、大きな身体から水蒸気が立ち上っている。私は馬をねぎらいそっと撫でた。
「追っ手は来ると思うか?」
私は石に腰掛け水を飲みながら聞いた。
「火事でそれどころじゃないことを願いましょう。あの二人もあなたに逃げられたことに気がついたら追っ手をかけるとは思いますが、でもおそらく大丈夫でしょう」
スパグスはそう言ってさらに続けた。
「彼らも後ろ暗いところがあるので大手を振って追っ手をかけるとは思えません。もし逃がす気がないのなら捕らえたときに始末していたでしょうし」
スパグスの言うことはもっともだが、なかなか物騒なことを言う。
「それにスキヴィアスに無事についた暁には彼らが横流しをしていることについて密告すれば我々は安心でしょう」
「信じてもらえるだろうか?」
スパグスは暗闇の中でもにやりとしたのがわかった。荷物をまさぐりケシの実をいくつか取り出した。
「いざとなったら証拠としてこれを出せばいいでしょう」
まったく抜け目のない男だ。小休止を終え私は幾分落ち着きを取り戻しクルムへ向けて出発した。
ブリュッグからクルムまではかなりの距離があった。目的地であるクルムはインタークルム(最大のクルム)とも呼ばれ現在スキヴィアス修道院の次に大きな修道院である。
クルムへは相変わらずの山道だった。左右からせり出した草や木の枝や蔦などによって道が狭められ、頭上の月の光を遮った。道は本来の半分ほどの幅に狭まっており、馬に乗った私たちは一人ずつ通れるだけの幅しかなかった。
迫り来る追っ手の馬の足音も聞こえず、私たちは無事に朝を迎えることができた。視界にクルムの修道院が見えてきた。
開門と同時に私たちは中へ滑り込む。こんな早朝にやってくる巡礼者はもちろんいないが、入れ違いに次の修道院に向かう人たちの大集団と遭遇した。
大集団は入り口でとまり、出発を前に打ち合わせを行っているようだ。中心に一際大きな馬車が止まっている。おそらく金持ちの巡礼者が乗っているのだろう。御者とともにまわりには強面の傭兵たちが目を光らせている。金持ちは一人で多くの荷物があるのか荷台も多く、たくさんの従者も連れている。
そんな大集団に追従せずにさっさと行ってしまう者もいる。いずれも馬を持った者たちだ。馬を持たない者たちはその場に留まり行くべきか迷い右往左往している。そのほとんどが単独の巡礼者で、馬車の後を金魚の糞のようについていくようだ。
「皆、これからスピーナドルシーに向かうのか?」
「でしょうね。しかし馬がないと無事では済まないでしょうね」
見る限り徒歩の者がほとんどだ。大きな馬車も傭兵や従者を抱えているので歩きの速度でしか進めないだろう。
「あれだけかたまっていても所詮は烏合の衆です。狙われたらひとたまりもないでしょう。まだ少人数の方が逃げ切れる可能性はありますね」
スパグスは言った。
「何も島は対策はしていないのか? これじゃ巡礼にくるリスクが高すぎやしないか?」
私が巡礼者ならこんな危険を冒してまで来ようとは思わないだろう。
「対策してもいたちごっこのようですね。それに山賊もいつくるかわかりませんし。なにも持っていない単独行なら見逃されることもあるようですよ、あの」
スパグスは一際大きい馬車を指さし、
「馬車のようにみるからに金を持ってそうな連中がいるから狙われるんですよ。それはこの島に限ったことではないですし。修道院が彼らを守る義務はないんじゃないですか?」
と、スパグスは言った。
「あれだけ人数がいると統率がとれないでしょうね。まだ出発はしないようなので少し話してきます」
スパグスは馬を下りて彼らの元へ行った。
呼びもしていないのに向こうから近づく者がいる。私が一人になったので与しやすいと思ったのだろう。
「なぁ、あんたもスキヴィアスに向かうんだろ? ものは相談なんだがその馬に乗せてくれないか? 金なら払うからさ」
男は灰色の修道衣を着ているので単独の巡礼者であろう。
「私は今到着したばかりだ。悪いがすぐにスキヴィアスへ向かうつもりはないよ」
私は不快感をあらわにそう応えた。
「嘘をつけ! こんな早朝に着くわけがない。夜中に移動する馬鹿はこの世にいないだろ」
その馬鹿が目の前にいる。ひどい言われようだ。
「徒歩であの大きな馬車の後ろをついて行けばいいだろう」
私は相手をするのが面倒になり不機嫌そうに言った。
「そう言わないでくれ。ここから先、徒歩でスピーナドルシーを越えるなんて自殺行為だ。明日発つのならそれまで待つよ、な、それならいいだろ?」
では最初に馬を用意しておけばいいと思うのだが言っても無駄だろう。
「困っている者を助けるのがウルバヌス教の教えだろ?」
「見ての通り私は異教徒だ。馬も一人乗りだ。悪いが他を当たってくれ」
そう言うと男はあからさまに不快な表情を浮かべた。男は諦めたようだが去り際に「糞野郎」と小さな声で、だが聞こえるように言った。私はやれやれと苦笑した。
スパグスが戻ってきた。
「ドメニカリも誘ったそうですが断られたそうです。賢明ですね。彼はまだ修道院にいるようです」
ドメニカリはああ見えてなかなか律儀な性格のようだ。以前にしけた顔だなんて思った私は少し反省した。
「彼らはスピーナドルシーを甘く見ていますね」
私も彼らと同じように甘く見ていたようだ。次の修道院までスピーナドルシーを通ればすぐに着くと思っていたのだが、そうではなくスピーナドルシー自体はスキヴィアス修道院の手前ニキロ程だけでそれまでは今までと同じような山道が続くらしい。スピーナドルシー自体は難所であることは承知していたが用心さえしていれば馬で走り抜けることはできるだろうと思っていたが全行程で考える必要があるようだ。
スパグスによれば早朝から馬を飛ばしてスキヴィアス修道院に着くのが閉門間際だそうだ。馬を持つ者が早々に出たのもそれが原因だろう。つまり大所帯で徒歩と変わらぬ速度なら途中で野宿する必要が出てくる。それは賊にとって格好の的となるだろう。ずっと狼のように付け狙い、スピーナドルシーで追い詰める。それはまさに狩りであり賊はそれを楽しんでいるのだろう。
「私は彼らに少人数で馬で急いで行けと助言したのですが」
スパグスは言った。
「とりつく島もなかったろ」
「ええ、彼ら傭兵は雇われている身なんで雇い主に従うしかないようです。ああ、その雇い主が馬車から出てきたようですよ」
そこで初老の男が馬車から出てきた。
「おい、あれはメンチャカじゃないか。スパグス」
スパグスは知らないようだ。
「ディエゴ・メンチャカだぞ、あれは」
私は同じことを繰り返した。
「知っている人ですか?」
ディエゴ・メンチャカ・ゴンザレス=キンタニリャ。旧都を代表する実業家だ。大陸じゃ知らない者はいないだろう。後ろの荷台の中身はカヴァーで見えないがおそらく大量の財宝なのだろう。彼は非常に危険なアーティファクトを取り扱う会社を立ち上げ急成長し成功を収めている。
私はスパグスに手短に説明した。
「修道院ごと買収するつもりかね」
私は冗談半分で言ったがそれも実現できるほどの財力はあるだろう。メンチャカならあの大所帯もうなずける。あの大金のお布施で何を願うのか、さしずめ永遠の命と言うところだろうか。
傭兵の責任者とメンチャカが何か話し合っている。さしずめまだ出発しないのかと言っているのだろう。メンチャカは自分に注目が集まっていることに気がついたのか、辺りを見回し
「私のような持つ者は持たざる者に手を差し伸べる責務があります。私に着いてくるものは拒みません。皆の食事と安全を保証します」
その言葉でまわりに取り巻いていた人たちが一斉に拍手をした。メンチャカは傭兵にまた何か一言言った後馬車の中にひっこんだ。
「メンチャカが熱心なウルバヌス教徒だとは知らなかったよ」
私は言った。
「そうでもないみたいですよ」
スパグスの言うとおりメンチャカは巡礼者の服を着ていなかった。しかも我々の着ている修道衣でもなかった。金持ちはなにをしても許されるらしい。
「じゃああの貢ぎ物はお布施ではないのか?」
私は呆れながらそう言った。
「どうでしょうね。きな臭いですね」
スパグスはそう言った。
「あんな大所帯じゃ目立つだろうね」
私は率直な意見を言った。
「わざわざ襲ってくださいと言っているようなものですよ。あの傭兵たちもこの島に慣れた手練れじゃない自前の傭兵団のようですし」
スパグスは続ける。
「けれど私たちにとっては運が向いてきたかもしれません。あのような金持ちに賊もかかりきりになるでしょう。賊も私たちにかまっている暇などないでしょうし」
「スケープゴートということか」
「言い方は悪いですがそういうことです」




