第三章 ディス・カントン・アールガウ巡礼 15 レンツブルグ→ラウフェンブルク 3
奇妙な夢を見た。雪原の上を奇妙な生き物の上に乗り疾走して行く夢だ。どっどっどっどっ、と一定のリズムを刻む。生き物が巻き上げる雪は小石のように固くそのツブテが頬にあたる。私は頬に手をやろうとするが手綱から手を離せない。そこで目をさます。
次に気がついた時は粗末なベッドに寝かされ手足を縛られておまけに猿ぐつわまで噛まされていた。殺すには忍びなかったのかモレマも私のような不意の来客の処遇に困り、誰か上の者に報告しに行ったのだろう。けれど安心はできない。処刑されるのが少し先延ばしになっただけかもしれないのだ。
後頭部は確認できないが血はでていないようだ。しかし腫れていて熱く鈍い痛みがあった。ずるずると引きずられたのか巡礼衣がひどく汚れている。身動きが取れず何もできないが、灯り窓から見える月の位置から判断すると倒れて運び込まれてからそう時は経っていないものとみえる。
誰かがドアを開けて入って来た気配がした。灯りはなく、誰だかわからない。私は首を巡らしドアの方を見る。黒い影が私に近づいて来る。
「のんびり寝てないで起きてくださいよ」
耳元でスパグスが言った。スパグスはいつぞやエゲムで言った同じセリフをはいた。私は猿ぐつわを外すように顎で指し示して唸ってみせる。
「今までどこへ行っていた?」
私は猿ぐつわが外され開口一番そう言った。
「まあいい、さっさと手足の戒めを解いてくれ。この修道院を出よう」
スパグスはすぐに行動に移そうとしたが、動きを止めて何か逡巡している。
「今逃げると追っ手がかかりますね。それに門を開けることもできません。私に考えがあります。もうすぐ礼拝の時間です、その時を狙います。それまでそのままでいてください」
そうスパグスは言うと私の呼びかけを無視してそのまま行ってしまった。その上猿ぐつわをきちんと戻すことも忘れなかった。
私はくぐもった声で罵倒すると舌打ちを漏らした。
しばらくすると誰かが部屋に入って来た。スパグスかと思いそちらをみたが、スパグスではない。目を隠すマスクをした長身の男と傍らにはモレマが一緒だ。
「お早いお目覚めだね」
男は綺麗な大陸言葉で言った。私は声を発しようとしたが猿ぐつわのせいで情けない唸り声しか上げることができない。男は口に指を一本当てて騒ぐなとジェスチャーをしながら私の猿ぐつわを下へずらした。
私は声を上げようとしたが喉が詰まったように声が出ない。
「良い子だ」
男は言った。仮面からのぞく目はにごっており、何を考えているかは表情から読み取ることはできない。虚無をたたえ内心こちらを見下している目をしている。
「うちのバカが手荒いことをして申し訳なかったね」
男は詫びたがおそらくなんの感情も持っていない。モレマが小さい声で何か言ったが無視して不意になんの前触れもなくモレマの頬を張った。
“Sonat, nunc cum hoc homine loquor. Noli a latere interrumpere.”
(うるせえ、私は今この人と話している。横から口を挟むな。)
男は荒っぽい声でモレマを叱責した。こちらがこの男の本性なのだろう。
「あんた、行商人だそうだな。巡礼者は首都での荷物のチェックが甘いからな。荷物を一つばかり運んでくれないか? 報酬はたんまりと出す。しかも定期的に依頼する。なにやつらは持ち込みは制限するが中から出る分はノーチェックだ。なんのリスクもない。しかも定期的に依頼する。悪い話じゃないだろう?」
モレマはおそらく売人であり運び屋なのだろう。年に一度アーラウへ行くと言っていたのも運び屋として荷物を受け渡すためなのだろう。男は私を新たな運び屋として目をつけたのかもしれない。
こういうものは作るよりも売りさばく方が難しいと聞いたことがある。おそらく彼らは大口のお得意があるはずだ。しかしそれに加えて独自に販路を広げようと目論んでいるのだろう。
「普段はどこへ卸しているんだ?」
私は聞いた。
「スキヴィアスだ。あいつらのところにただ同然の値段でほとんどを卸している。慈善事業じゃないんだ。俺たちは搾取されている」
スキヴィアスで原料を精製しているのだろう。ここは原料を作るための工場なのかもしれない。
「原料じゃ売っても高が知れている。違うか?」
「よく知ってるな。けれどそこは考えがある。俺は北大陸のカルテルと太いパイプがある。原料でも高く買ってくれるんだ。気象的に向こうの大陸じゃ原料の植物が育たないからな。向こうで精製するというわけさ」
こいつは口が軽いようだ。
「あんたは荷物をピッテムまで運んでくれればいい」
男は言った。
「申し訳ないが犯罪の片棒を担ぐのはごめんだね。それにあんたの会社は社員を大切にはしないようだ。福利厚生も怪しいものだな」
手足を拘束され猿ぐつわをした人間を信用しろというのは無理な話だ。すぐにトカゲの尻尾として切ってくるだろう。まぁそれ以前に仲間になるつもりなど毛頭なかったのだけれど。私はこうやって興味を持つと首を突っ込んでしまう傾向がある。
“Abominatio est omnino.”
私の拙い言葉は二人に伝わっただろうか? まったく糞食らえだ。
男はフッと笑ったように見えた。
「手荒な真似はしたくなかったのだけれどな。モレマ、拷問器具を持って来てくれ」
男は私をびびらせようとわざと大陸言葉で言った。しかしモレマは言葉を解さないのでぽかんとしている。私は思わず笑ってしまった。こいつらは凸凹コンビできっとなにをやってもうまくいかないのだろうな、と思った。
“Morema,tormenta mihi affera.”
同じ内容で言ったのだろう、モレマは部屋を飛び出していった。しかしながらすぐに手ぶらでもどってきた。
“Calamitas est, ignis est!”(大変です、火事です!)
とても慌てた様子で言った。どうやら緊急事態らしい。おそらくスパグスの仕業だろう。男はすぐさま私をそのままに連れ立って部屋を出ていった。
入れ替わるようにスパグスが部屋に入って来て、私の戒めをナイフで切った。手首が擦れて赤くなっていたので私は撫でさする。
部屋を出ると外がなんだか騒がしくなってきた。
「逃げますよ、姿勢を低くして」
「随分遅かったな、おかげでひどい目にあった」
「文句は後で聞きます。とりあえず逃げましょう」
私は頭を下げスパグスの後ろをついて行く。スパグスは扉を開け左右に誰もいないか確認して迷いなく進んで行く。
「なぜ誰もいない?」
「みんな火事でてんやわんやですよ」
そういやどこか焦げ臭い。
「しかもあいつらの一番大事な畑を燃やしましたからね」
スパグスは振り返りニヤリと笑った。
「入り口はがっちり縛ってきましたから消火活動もできないでしょうし…」
スパグスもわりとひどいことをする。
入り口近くに来ると中庭からの煙がここまで来ていて視界は真っ白になっている。
「煙を吸い込まないでください、意識が飛びますよ」
煙だけでもウエルカムランチの原料だ、かなりの効果があるらしい。私たちは裏手に回り厩舎から馬を引き出した。馬も頭を下げさせてゆっくりと歩かせる。門は水を外の湖から引き入れるためか開け放たれており、人がごった返していて皆パニック状態に陥っている。礼拝の時間と火事が重なったのだ。蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。我々は何も咎められることもなく門を通過し外へ出ることができた。もちろん追って来る者はいない。先ほど見えた月が静かに輝いている。
「ね、うまくいったでしょう」
スパグスが月光の下にっこりと微笑んだ。
スパグスによるとスキヴィア修道院とここは兄弟のようで同じ性質があるらしい。もともとは蒸留酒に薬草や香草を浸して薬として用いていた薬酒が始まりであり、こちらの言葉では”liquor(液体)”といい、大陸ではリキュールという。こちらの方は馴染みがあるだろう。その他にも薬としてバラやユリ、セージ、ローズマリーなどの香草や植物は頭痛や腹痛、睡眠補助や月経誘発に用いられた。中でもケシの茎の皮をすりつぶして蜂蜜と混ぜたものは胃痛を抑えたり、不眠を解消したり不安やストレスを取り除き、頭痛や歯痛をなくす万能薬として用いられた。ここで作られたケシはすべてスキヴィアスに送られるのだろう。ケシはウエルカムランチの原料でありスパグスはケシの出どころを調べていたらしい。薄々は感じていたのだけれどスパグスはどうやらただの案内人ではないようだ。案内人にしては優秀すぎるし、なにやらこの島について調べている節がある。けれど私は特に追求することはしなかった。よくいなくなるのもそのせいだろう。
「知っていたのなら早く教えてくれてもいいものだがな」
と、私は嫌味を言った。嫌味の一つでも言う権利は私にはあるだろう。
「確証がなかったので」とスパグスは言い訳をした。まぁ助けてくれたことは変わらないので良しとしたが何とも後味が悪い。ちなみにこの修道院には実際にリンゴの木はあったらしいのだが、ケシを育てるために切り倒したそうだ。それが隠語の元となったようだ。
私はまさか一日に二度も使うとは思ってはいなかったが、スパグスの目を見て言った。
“Abominatio est omnino.(まったく、糞食らえだ。)”




