第三章 ディス・カントン・アールガウ巡礼 14 レンツブルグ→ラウフェンブルク 2
“Sed de stola monachi iudicans, annon peregrinatio est?”
(ところでその修道衣からすると巡礼ではないのですか?)
何かを聞かれるのが一番困る。自分語りなら適当に相槌を打ってやり過ごせるのだがそうはいかない。
annon peregrinatio est?=巡礼ではない、とモレマは言っている。服を指差しているので修道衣についても言っているようだ。
“Mercator viator sum(私は行商人だ。).”
と応えた。買受人やましてや歩荷などという単語は知らないし、言ったら余計にややこしくなる。
“Sicne hic es emere?(じゃあ仕入れに来ているのですか?)”
“Ita.”
“Si institor es, melius eris ad Aarau loco vacuo.”(行商人ならこんな何もないところじゃなくてアーラウへ行った方がいいですよ。)
“Aarau?”
内容はわからなかったが聞き取れた単語を繰り返した。
“Iustum est. Hic solus paradisus in hac insula est. Ibo etiam semel in anno.”(そうです。この島の唯一の楽園です。私も年に一度だけ行くんです。)
おそらくだがバーデンにはなくアーラウにあるもの。それは歓楽街だろう。私は当初この島に似つかわしくはないその場所の必要性を疑問視していたがこういう人間のためにあるのかもしれない。歓楽街には拳闘や闘犬、闘鶏などもありもちろん賭場もあり、娼館や酒場ももちろん多い。小銭をためてアーラウまで年に一度遊びに行く。それが彼にとっての唯一の楽しみなのだろう。この島を出ればいいと私は思うのだがそれは彼自身望んではいないのだろう。私は話を戻すことにした。
“Quid hic habemus? Līber quaer(ここには何がある? 私は本を探している。)”
そう言ったつもりだったがモレマは不思議そうな顔をしている。
“Līber? Līber quaeris? Nihil in hoc mundo difficilius est quam libertas obtinere. Praesertim si in hoc monasterio es. Hic carcer, ut ita dicam. Nescio qualem libertatem vis.”
(自由? 自由を探しているのですか? この世に自由ほど手に入れ難いものはないかもしれません。特にこの修道院にいればね。いわばここは監獄です。あなたがどんな自由を求めているのかはわかりませんが。)
どうやら違ったように伝わってしまったらしい。
“Nulla hic līber?(ここには自由はないのか?)”
私はここには本はないのかと尋ねた。
“Oh, Ah nulla hic libertas. Omnes incredibiliter occupatus est. Multum laboris habeo simul ac disciplina mea. usus sum, ut sic loqui possum.”
(ああ、ここには自由はありません。皆、驚くほど忙しいんです。修行と同時に仕事をいくつも持っているので。私は雇われだからこうやって話をしている余裕はありますが。)
どうやら本はないらしい。まぁあったとしても宗教関連であろう。宗教関連は申し訳ないが需要がない。欲しい人がいない限りどんなに素晴らしい本でも価値はないのだ。
“Ubi destinatum est?(どこが目的地なんですか? )”
モレマは聞いた。理解できたので答える。
“Skivias est.(スキヴィアスだ。 )”
“Sic per spinam tuam vadit.(じゃあ背骨を通るんですね。 )”
背骨については聞いておきたかったが言葉がわからないのがもどかしい。
“Sic furum diligentissime habebis. Lupus dicitur.”
(それじゃ賊にはくれぐれも気をつけてください。狼っていうんですが。)
“Lupus?(狼?)”
その単語はこの島にくるまでも何度もきいていた。島へ渡る前も散々脅かされた。エゲムでの出来事を思い出す。
“Id quod vocantur.”
(あいつらはそう呼ばれています。)
“Lupi oppugnabunt?(狼が襲ってくるのか?)”
“Quia spina nidus est. Si oppugnaris, suus 'super.”
(背骨はやつらの巣なんですよ。襲われたらおしまいです。)
どうやら背骨には狼が巣食っているらしい。
“Morsus erit?(噛み殺されるのか? )”
“Diversus,imo lupus nomen est fur.”
(いや、狼は賊の名前です。)
何が、Diversus=違うなのだろう。もしかして獣の狼ではなく狼という名の賊なのかもしれない。
私はタバコを取り出すと一本巻いて火をつけた。灰皿が見当たらないので食堂は禁煙かもしれなかったが構いはしない。モレマも咎めなかった。紫煙が薄暗い食堂の天井へ昇って行く。
“Mālus erat.(悪かったな)Potesne nobis aliquid de illo dicere?(それについてもう少し教えてくれないか)”
モレマの顔色がかわる。
“Mālus?”(マールス?)
ああ、悪かった。勘違いだ、と言いたかったが勘違いは単語がわからないのでもう一度“Mālus”とだけ答えた。
“Quis hoc audivisti?(誰から聞きました?)”
私は知らず知らずのうちにタブーに触れてしまったらしい。先ほどの受け答えでおかしな部分はあっただろうか? 考えられるのはmalusという言葉だ。これは私は悪いという言葉で用いたのだけれど、私は母音を伸ばしてマールスと発音した。これは後からスパグスにきいたのだが島の言葉で同じ語でも母音を伸ばすか否かで全く違った意味になるというのだ。例えば、先ほどもあったliber (本)とlīber (自由な)はつづりは同じでも意味は全く異なる。話が噛み合っていなかったのはそのせいだろう。後で知ったことなのでこの場では私はどうしようもなかったのだけれど。ちなみにmālusは果物の木やリンゴの木を意味するそうだ。なぜそれを隠語にしていたのかはわからないが。
“Potuisti mihi cigarette dare?(煙草を一本くれませんか? )”
モレマは言った。口に手を当ててタバコを吸う真似をする。私は一本彼にあげ火を付けてやる。うまそうに煙をはいた。二人して無言でしばらくタバコを吸っていた。
“Quis tibi dixit mālus in hoc monasterio fieri?”
(この修道院でリンゴの木を作っているのは誰から聞きました?)
モレマは話を戻した。マールス自体がなんの意味かはわからないのだが、それは隠語で何か他のものを表しているようだ。
“Praesent a justo rumor.(噂だよ。)”
私は口からでまかせを言った。
“Tantum pares mei hoc funda vocabulo utuntur. Estne aliquis in obliquum currens? Mercatores, negotiatores, vel nautae saccos suos numquam aperiunt.”
(この隠語を使うのは仲間内だけだ。誰か横流ししているのか? 卸の奴らか、売人か、船の連中は荷を開けることはないしな。)
モレマは一人でぶつぶつと独り言をつぶやいている。私を値踏みするようにじっと見た。
“Visne welcome lunch?(ウェルカムランチが欲しいのか?)”
モレマが言った。少し口調が変わった。どうやらマールスはウェルカムランチの隠語だったらしい。
“Habesne welcome lunch?(ウエルカムランチがあるのか?)”
私はうろ覚えの単語を総動員して聞いた。文法などはおそらく間違っているかもしれないが伝われば良かった。
“Nulla welcome lunch producta ipsa sunt. Technologiam non habemus ut eam excolant, hic materias crudas exportamus.”
(ウェルカムランチの製品自体はないんです。精製する技術がなくて、ここでは原料を輸出しているんです。)
ウェルカムランチは対クリーチャー用の毒を開発中に偶然できた副産物だ。意識を高揚させる作用を持つ薬物だが依存度は高い。麻酔として医療用に用いられたがいつしか市場に流れ中毒者を大量に出したことから禁止されたのだ。今は製造することはおろか使用も所持もすべて禁止されもし見つかると厳重に処される。
“Lorem bonum fieri posses, ut specialem aspectum facere possis.”
(良い顧客になるかもしれませんね、特別に見せてもいいでしょう。)
“Quaeso tacere et me sequi. Non est bonum in oculis publicis nimium esse.”
(黙ってついて来てください。あまり人目につくのはまずいので。)
モレマはそう言うと立ち上がった。私は黙って後を追う。
モレマは中庭へと向かっているようだ。中庭では日陰で干していた図書室の古い書物を片付けている。綴じ紐が解けてバラバラになったものもある。私が興味深そうにしているのをモレマはわかったようだが、
“Mane de conspectu. Noli oculum cum aliquo contactum facere.”
(人目につかないように。誰とも目を合わせないで。)
と言った。どうやらコソコソしろと言っているようだ。
中庭の裏側、人がいない場所へとモレマは私を誘いやってきた。着いたところは何も変わったところもない雑草が生い茂る庭の隅っこだった。
モレマはしゃがみこみ何かごそごそとしている。そしてあたりを見回し人がいないことを確認すると地面から鉄の輪を引き出し引っ張った。地面と似せてカモフラージュされた板をずらすと、下から階段が現れる。どうも私は地下へ降りる穴蔵と縁があるようだ。
ランプを持ったモレマの後ろをついて行く。階段を下りきり、入り組んだ通路を進む。所々部屋のようになった穴があり、そこに収穫物を保管しているようだ。再び階段を登る。跳ね板を押し上げると四囲を高い壁で覆われた畑が姿を現した。夕日に照らされる。ウェルカムランチの原料であるケシが中庭一面見渡す限り花を咲かせている。出入り口は先ほどのハッチのみで、秘密の畑と言ったところか。
「壮観だな」
私は一歩前に踏み出し、葉に触れようとした瞬間、後頭部に衝撃を受け膝をついた。私はあまりに無防備だった。もっと用心すべきだったのだ。しかしモレマも私に危害を加えるのなら最初からしらばっくれればいいものを引くに引けなくなったのか、秘密を知ってしまったからには生かしてはおけないと思ったのか。モレマの心境はわからない。急に気が変わったのだとしか思えなかった。
“Adhuc non possum tibi credere. Odorat sicut canis patriae.
Si vitam tuam pro veritate moderate non dederis, si vere morieris, superfluum erit.”
(やっぱりあんたは信用できない。国の犬の匂いがする。あまり分不相応になんでも首をつっこむと、ほんとに死んだらそれは無駄死になりますよ。)
さらに棒状の物で側頭部を殴られた。目の前で火花が散り薄れ行く意識の中でモレマは何かを言った。私の視界が暗転する。




