第三章 ディス・カントン・アールガウ巡礼 9 バーデン→ツォフィンゲン
7 バーデン→ツォフィンゲン
次の日の早朝、私たちは満を辞して首都へ向かう。朝に昨日手配した馬が宿屋に届けられた。私たちは宿屋の家族に見送られながら首都へ出発する。一家総出で見送るのでまるで戦地に赴くようだ。豚も横におとなしく座っていた。一晩でスパグスに懐いていたようだ。
首都までの道は整備されているが山道である。他の巡礼者もちらほらと見かける。乗合馬車も出ているようだが皆は徒歩で向かうようだ。
道中スパグスから入国審査についてのレクチャーを受ける。
「書類を出せばオーケーってわけじゃないのか?」
スパグスはとんでもないと首を振った。
「面接のようなものもありますし、荷物のチェックもかなり入念です」
「いらない物は持ち込むなってことか」
「込み入った質問は何を言われてもわからないと言ってください」
スパグスは言った。
「ああ、実際言葉がわからないしな」
私は言う。
「受け答えは普通に本土の言葉を使っていただいてかまいません。彼らは修道士の中でもエリートですから言葉はわかると思います。けれど彼らは少しでも気に入らないことがあるとへそを曲げて入国許可が下りなくなってしまいます」
「たいした人格者だな」
「そういう皮肉もなしです」
私は肩をすくめたが馬上なので伝わったかどうかはわからなかった。
そういう手前には私は慣れている。店に入るのに左足から入ったとかいう理由で物を売ってくれないような爺さんを毎日のように相手しているのでそんなものはお手のものだ。
部屋は煙草の煙で白くかすんでいた。男が二人難しそうな顔をしてむっつりと座っている。例の黒い修道衣を着て丸い帽子をきちんと被っている。修道士たちは修行僧というよりは優秀なビジネスマンのようにみえた。エリート意識も高いのだろう。
“Estne peregrinatio?”(巡礼か?)
“Non.”(いいえ)
スパグスが審査官と話している。男は申請用紙をろくすっぽ見ていない。スパグスと男は現地の言葉で会話しているので私にはわからない。私は会話中気配を消していた。
“Quid iste guy?”(そちらの男は何だ?)
“Ipse adiutor meus est. Hoc non intellego, quia ex continenti veni.”(私の助手です。大陸から来たのでこちらの言葉はわかりません)
“adiutor”という言葉は確か助手といった意味だったのではないだろうか? スパグスの物言いに少し引っかかったがこの際目をつぶろう。
スパグスの番が終わり、審査官も納得したようで私に番が回ってきた。入国審査は実に物々しい。私は荷物を一つずつ机に出し、「これは何かね?」「歯ブラシです」「これは何かね?」「五徳です」なんてやり取りを続ける。パンツの中や靴の中まで調べる時があるとスパグスは言っていたがそのようなこともなく――今日の審査官がそれほど職務に熱心ではなかったせいであろう――ほとんどの物は問題なかったが、私の持っていた本は没収されてしまった。価値のある物は持ってきていなかったので金銭的にはかまわないのだが、私の愛読書ばかりなので心苦しかった。一時預かりなので帰国時には返してくれるそうだがスパグスからあまり期待しないように、と言われた。ひどい話だがそのまま図書館へ流れていってしまうらしい。肋骨王の本を修道士が読むとは思えないがまた買い直さなければならないな、と思った。ウルバヌス教に関するものは大丈夫なようで持っていた中では唯一価値のある「フィジカ」と地図だけが許された。バーデンで購入した物や煙草や酒は問題なく通過した。
服はこれに着替えてくれ、と上下一揃いを手渡された。清潔感はあったが新品ではなくかなり使い込まれている。ひどく重くごわついた素材で、まったく汗を吸いそうにない。肌触りは最悪で皮膚を直接ヤスリがけされているようにチクチクと痛んだ。まるで囚人のようだ。異教徒用なため色はクリーム色で灰や黒が基本の修道衣の中ではかなり目立つだろう。最後に返却しなければならないそうだが汚れがひどい場合は買い取らなければならない。
「これを汚さないなんて至難の業だろ」
私が軽口を言うとスパグスが「シー」と黙るように促した。
私はスパグスからあらかじめ教えてもらった通り、審査官と会話をする。審査官も現地の言葉から大陸の言葉に切り替えてくれた。
「どこまで行く?」
「スキヴィアスだ」
「何の用だ?」
「知り合いに届け物だ」
私はマンドラゴラの入った包みを開けた。荷物検査では開けもしなかった。スパグスによると隠すと確実に没収されるので自ら見せた方が良いとのことだ。審査官もわかっていて泳がせているらしい。それはなぜかというと…
「これは何だ?」
「薬の一種だ」
審査官は包みを隣のやつに見せた。なにか小声で話している。私は笑顔をたたえ朗らかな口調で言う。
「あなたたちのような聖人に会えて光栄です。握手してもらっていいですか?」
私は手をだし握手を求めた。もちろん手には金貨を握っている。審査官は何度かうなずくとなにもなかったようにポケットに金貨を入れた。
「問題はないようだな」
審査官は書類にスタンプをドンドンと大きな音を立てて押していく。
「ようこそ、聖地へ」
大仰だが私は少し敬虔な気持ちになった。雰囲気に流されやすい質なのだ。
私とスパグスは厩舎へ向かい馬をだすと馬を引き、門から外へと出発した。目指す第一の修道院がある東へと馬を走らせる。




