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神の頬に触れるような気持ち 好奇心は猫を殺す 年代記第七章  作者: ヌメリウス ネギディウス


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第三章 ディス・カントン・アールガウ巡礼 8 ピッテム→アーラウ→バーデン 2


 バーデンの港は意外にもアーラウと大差なく一瞬アーラウにいるかのように錯覚したほどだ。非常によく似ている。アーラウにはほとんど滞在していないがきっとこのような感じだったのだろうなと思う。けれど一つだけ違うのは漂う空気感だろう。ピリッとした張り詰めた緊張感のようなものを感じるのだ。これから戦地へでも向かうかのような、あるいは猟に出かける朝のようなそんな感覚がこちらにまで伝播してくる。ここが隔絶された聖地であることを否が応でも認識させられる。けれどスパグスは慣れているのか、バーデンの町でやらなくてはいけないことは多いですよ、と先に立って歩き出した。


「馬は(大丈夫ですか)?」

 スパグスは私に訊いた。私は「ああ」と応えた。商人の移動は基本的に馬か徒歩だが、私は歩荷人なので人が踏み入れないような場所に荷物を運ぶことが多く、そのほとんどが徒歩なのである。けれど馬の操作には慣れている。馬よりもっと操縦が難しいものに昔乗っていたからだ。

「では先に馬を調達しましょう」

ふ

 スパグスとその男は古い友人らしく馬を手配してくれる差配師だそうだ。野生の馬を捕獲し、鞍を載せるまで調教し出荷するのが生業らしい。この島のほとんどの馬が彼によって手配されたものだそうだ。我々は厩舎に入り馬を見ていった。元の毛に白い毛が混じり遠目には灰色に見える粕毛の馬が二頭用意され、スパグスが手配料を支払っている。馬は頑丈そうであまり見たことのない品種でこの島特有の馬のようだ。スパグスは島の言葉で男に何か言った。相手は肩をすくめていた。値切りでもしたのだろう。

“Mane cras equum ad stabulum sume.”

(馬は明日の朝に宿屋まで運んでくれ。)

 スパグスは再び現地の言葉で男に何か言った。男は返事をした後うなずいている。


 私たちはその脚で雑貨屋へ向かった。もうここはウルバヌス教のお膝元である。しかしすべての人が巡礼者や修道士ではないようだ。修道院の収穫物などを買い取る行商人や、そこで働く一般の人や普通に暮らす者もいてその人たちのためのお店も多い。

 修道院は自給自足だと聞くがそれだけで補いきれない物をこの町で調達するのかもしれない。もちろんアーラウのような歓楽街はないが。規模は小さいが役所や郵便局などもあるようだ。ギルドは残念ながらないのでヘントヴェヘルへムでもらったギルド証はここではなんの役にも立ちそうにない。食料品を扱う雑貨屋がいくつかあるので私は食料を補充しておくことにした。

 雑貨屋は失礼ながら意外にも充実していた。鮮度の良い肉や魚、日持ちがする干物や燻製などの加工食品、野菜に果物、そしてコーヒーや酒、煙草などの嗜好品まで。巡礼者のための品揃えなのだろうかと思ったが、スパグスにきくとこの町と次の首都には普通に人が住んでいるとのことだ。それに出稼ぎでこの島にやってくる人も多く――この島は税金がかからないので――その人たちのための店でもあるわけだ。修行と巡礼と自給自足では成り立たないのだろう。そこまでストイックではないので肩透かしだったがアーラウで何も買えなかったので私にとっては好都合だった。すべてが少し割高だったがそこまでひどい値段ではない。私はパンやチーズ、ソーセージ、水などを買った。水が最も高かった。酒と煙草は買えるだけ買ってくださいとスパグスが言うので相場よりかなり高かったが言われた通り買っておいた。

「修道院でも食事はでるのだろう?」

 とスパグスに訪ねたが食事は出るが、それに加えて他の用途でも使うらしい。

「別の用途?」

 私が訊くとスパグスは親指と中指をすりあわせた。袖の下ということらしい。


 私は店を出ると宿屋に戻るのが億劫だったので店先で煙草を吸った。スパグスに勧めたがいらないと言い「先に宿屋に戻ります」と言い行ってしまった。アーラウの港で煙草と決別したのだが短い決別だったな、と私は一人笑った。

 煙草をせびる者もいなければ話しかけてくる者もいない。これは大変珍しいことだった。私が余所者で異教徒であることがもしかしたらわかるのかもしれない。道行く人を眺めながら煙草を吸っていると、一際威厳のある衣装の者がおり、こちらを胡散臭そうに見ていた。どうやら煙草を路上で吸うのは褒められたことではないようだ。だが男は何も言わずに立ち去っていった。あれが評議会のメンバーなのだろう。評議会はバーデンや首都でこの島の政治を取り仕切っている者で各修道院から選ばれ首都に派遣されるそうだ。大変な名誉であるらしい。


 修道院では日々、厳しい修行が行われ自給自足のために労働が義務付けられている。すべての修道院がウルバヌス教の出家した信徒たちによって運営されている。

 また修道院では様々なものが作られる。野菜や葡萄などの農作物や、養鶏や養豚、蚕による製糸など多岐に渡り、中には治外法権を利用しての密造酒や煙草の葉、大陸では認可されていない薬の原料や調剤などが行われているらしい。あくまで噂の域はでないが。


 私は煙草を吸い終わると、スパグスの後を追うようにあまり気が進まないが宿屋へ戻った。

 夕食はフムスだった。この地域では主食だ。茹でたひよこ豆と胡麻をペースト状に練りニンニクやオリーブオイルを加えレモン、塩で味を整える。どろっとしたものでそれを野菜にディップしたりパンに塗ったりして食べる。味は悪くない。島の基本は豆料理だとスパグスは言う。

 夜は驚いたことに夫婦の隣りで寝ることになった。おそらく私のベッドは夫婦のどちらかが普段使っているのだろう。スパグスは先程夕ご飯を食べたダイニングの床で豚と子どもと一緒に寝ている。どちらも似たようなものか。

 夜は亭主のイビキがうるさくほとんど眠れなかった。私は毛布を頭までかぶり寝ようとしたが、気持ち良さそうにイビキをかく様子に腹が立ってなかなか寝付けなかった。無性に煙草が吸いたかった。

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