第三章 ディス・カントン・アールガウ巡礼 5 エゲム→カレー→ピッテム
4 エゲム→カレー→ピッテム
スパグスとは会ったときから旧知の仲のようだったので、二人旅の方が思いの外スムーズに進むようだ。エゲムからは元来た東の山へは行かずに南の海沿いの崖を進み、直接カレーへ向かう進路をとった。パルぺルナはかなり北に位置するので立ち寄れなくなるがカレーまで食料は何とか持ちそうである。海沿いといっても砂浜はなく切り立った崖の上なので、途中かなり迂回しなくてはならなかったがそれ以外は比較的順調に進んだ。
丸くえぐれるような湾は港を作るには不向きな地形ではある。カレーも予想できたことだがズウェーフェーゼレとなんら変わらず、崖に無理矢理作ったような町であった。
カレーの正式名はパ=ド=カレーというそうだ。海峡の奥まった場所は地上で言うボトルネック、水上ではチョークポイントといい要衝としてかつては栄えていたそうだが利便性が悪く、現在はピッテムにその座を奪われてしまったらしい。
カレーからは船は出ておらず我々は仕方なく徒歩でピッテムへと向かうことにした。ピッテムは遠く、船で半日程度とみていたため徒歩だとどのぐらいかかるか見当もつかない。途中何度か野宿する羽目になるはずだ。カレーで一泊した後、滞在する理由もないのでそのままピッテムを目指すことにする。カレーの町で食料を調達できたがいささか心許ない。ズウェーフェーゼレもカレーもなぜこんな場所に港を作ったのか、しかもなぜこんな不便な地に住んでいるのか理解に苦しむがそれなりの事情があるのだろう。まぁ単純に故郷だから離れられないという理由なのかもしれない。故郷というものは一種の呪縛のようなもので、私の出身地もまたとんでもない僻地だが、折に触れ帰りたいと思うことがあった。それはふとした瞬間に訪れる。いわゆる郷愁というやつだろう。私の故郷は何もないなんの面白みもない貧困極まりないところだが帰る家があるというだけで私の心に灯がともるのだ。
ピッテムへ向かう途上で地図に載っていない規模の小さな集落があったのだが、宿屋もなく野宿をせざるを得なかった。夜行性の獣の心配もあったし、何より賊と遭遇するのは避けたかった。何かあればすぐに集落に逃げ込めるように近くの少し高台にある森の近くで野宿をすることにした。あたりが夕闇に紛れ、徐々に夜のとばりが降り始める曖昧な時間帯。高地から見る景色はあまりにも美しく、甘美な瞬間だった。放牧した羊を牧羊犬が集め家路につく。たばこの葉を背負った女たちが笑い合いながら帰って行く。それはまるで一枚の絵画のように美しかった。
月に雲がかかっているが、月明かりを透過して雲が明るく輝いている。美しく冷たい光が私に届く。月の光を浴びているとなんだか浄化されているような気分になる。
高台の上は風が直接吹き付け見通しもよすぎるために私たちは丘から少し移動し森までやってきた。比較的深い森で樹齢百年は下らない木、松や樺などが頭上高く覆っている。
月明かりの下、少しひらけた場所で下草を払い、整地すると簡易的な寝床を作った。たき火が時々パチパチと爆ぜて赤く激しく燃える。夕食は芋やらトマトやらを煮込んだスープだった。味は悪くなかった。塩さえ入れておけば食べられるものができる。
「島はここより危険か?」
私は気になっていたことを聞いた。
「ええ、平地がほとんどないのと賊や狼がうようよしているんですよ。野宿はできませんね」
「島は徒歩で移動するのか?」
「徒歩でもいいですが、馬をバーデンか首都で調達します。賊に襲われても馬があれば逃げ切れますからね。馬は(大丈夫ですか)?」
「ああ、問題ない。よろしく頼むよ」
賊に襲われることが前提なのが少し引っかかったが私は何も言わなかった。
私は思っているよりも疲れていて、横になるとすぐに眠りに落ちた。朝まで夢も見なかった。
翌朝、寝床のすぐ近くを牛が歩いていた。私は驚いて飛び起きた。私たちが寝た森の中は集落の牛飼いが牛を放牧するための獣道のすぐ脇だったようだ。
荷物の片付けを終え、たき火で珈琲を飲むと三十分後には私たちはピッテムに向けて出発した。スパグスによるとピッテムまで男の脚で三時間強というところらしい。
途中、雨が降り続いた。雲は私たちを執拗に追い続けた。風は次第に強まり横殴りの雨が頬を打つ。沼の原野、岩だらけの土地を抜け樺とモミが生い茂る森の中へ入る。頭上高く覆う木々は雨を遮った。
ピッテムに着く頃には雨は上がっていた。町の作りはズウェーフェーゼレと同じだが、中立都市だけあって旅人に門戸が開かれていて、活気がある。比較的大きな港町で、ヘントヴェヘルへムまではいかないが船の手配や宿泊、物資の調達などができそうなので私たちはほっと胸をなで下ろした。
ピッテムも崖に作られた高低差のある町であったが、きちんと螺旋の階段が作られ、道は石畳となっていたので町の行き来は比較的楽だった。町に一軒の宿屋は港から最も離れた断崖の最頂部にあるので私たちは階段を上らなければならない。野宿続きだったので私たちは身体の節々が痛く疲労が溜まっていたので階段は身にこたえた。
このような町だが酔狂な旅行者が来るらしく――人のことはいえないが――宿屋はなかなか予約が取れないほどの人気らしかった。なんとも不思議なことが世の中にはまだまだ多い。たまたま空いていたので私たちは部屋を取ることができたのだけれど、主人の言うたまたまがどれほど信憑性があるのかはわからない。値段をつり上げるための言い訳かもしれないが。しかし私たちの泊まる部屋以外はすべて埋まっているとのことだった。おそらく皆アーラウへ向かうための中継地点となっているからかもしれなかった。
こう言っては失礼だが、きちんとした宿屋だった。久しぶりにベッドで眠れるのはなんとも幸福な気持ちであった。こういう小さな幸せも旅の醍醐味だろう。部屋は狭いがそんなことはどうでも良い。寝転がりながら煙草を吸い、フィジカの続きを読みたかったが目を閉じた瞬間に眠りに落ちた。私は断言する、清潔なシーツと暖かい布団に抗える者はこの世にいないと。
翌朝、出発前に手持ちの食料がつきかけていたのでパンとチーズ、オリーブの漬けたもの、魚の干物などを宿屋の主人から分けてもらった。
ピッテムからアーラウへ向かう船は比較的簡単に見つけることができた。私たちはついにアールガウ島へ上陸することができる運びとなった。
その後、私たちはアーラウからバーデンへ船で移動しそこから陸路で島の内陸にある首都ツォフィンゲンへ赴き、そこで入国検査を受けることになる。
やっと次回目的地である島に上陸します。




